第3話 はぐれ星の母娘

 各々、トレイにコーヒーカップを載せると僕たちは席に着いた。


 彼女は僕の背中越しにドアの外を見やったようだ。


「ここから見える景色は、あまり変わらないのですね」


 僕は振り返って外を見た。

 通路の反対側は魚屋で威勢の良さそうな立ち振る舞いが見える。


「かつてこの場所は、小さなスナックで、母が経営していました。前の『魚辰うおたつ』の先代もお客様で、私はよく膝にのせてもらいました」


「ひょっとして……?」


「はい、母一人子一人のよくある図式です。お決まりの“父の顔知らず”の……」


 僕のまったくの偏見ではあるが……彼女はそんな境遇にあった人とは到底思えない様なとても品のある顔立ちで……先日、僕との縁談に断りを入れて来た“くだんの女性”とは比べる事すらおこがましかった。


 僕は努めて平静を装おうとしたが、ゴクリ!とコーヒーを飲み込んでしまった。


「このペア宿泊券にはどういった意味が?」


 彼女は悲しみに潤む目を隠す様に、まるで手を付けていないコーヒーカップへ視線を落とした。


「母は大病で……夏までは無理と言われています。せめてその前にそれなりに贅沢な旅行をさせてあげたいのです。でも本人は『ただでさえ多大な迷惑を掛けている私にこれ以上お金を使うなんて』と納得してくれないのです。だから!! 福引で当たった旅行ならと!! もちろん自分でも何度も挑戦しましたが、私はくじ運が無くて……だからもし、あなたのご事情が差し障らないなら……」


 彼女の言葉に嘘は1mmも感じられなかった。


 でも僕はほんの少しだけ嘘をついた。


「ウチの両親は年中旅行に行ってるクチですから、その旅館も既に制覇済みです。僕は元より独り身ですから使う気もございません。このペア宿泊券はあなたに差し上げます。 どうかお母様とふたりで素敵な思い出を作ってください」


「そんな! それはできません!!」


 そう言われても、僕はどうしてもこの親子に宿泊券を使ってもらいたかった。


「ひょっとしてあなた……」


「あ、私は宮部綾子と申します。」


「名乗るが遅れました、斉藤一輝と申します。宮部さんは あの福引でウィスキーのミニチュアボトルを当てませんでしたか?」


「ええ、ふたつ……」


 そう言って彼女は例のミニチュアボトルを二つ出した。


「実は僕は酒販会社に勤めていて、その販促品はお気に入りだったのです。せっかく正当な理由で手に入れられるかと思ったけど『くじ運』が無くて特等を引いてしまいました。なので、その一つと交換してください。僕にとってそのくらいの価値があるものなのです」


「でも……」

 と彼女が恐縮するので、僕は更に提案した。


「僕の好物は地酒なのです。その宿は加賀にあります。加賀は美味しい地酒の宝庫です。僕に地酒のお土産を買って来てください。僕は素敵な女性からプレゼントを貰った事がないのできっと幸せな気持ちになれます」


 そう言うと彼女は真っ赤になって初めてコーヒーカップに口を付けた。

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