002【見えていなかった、見えていたはずのもの】

 なにをする気にもなれなくて、家に帰ったら私は数日間泥のように眠っていた。

 学校に行かなければならないがそれすらも面倒で、億劫で。食事もとらずにずっと、眠っていた。

 しかし、頭と体が痛くなり、寝ることもままならなくなった。

 しょうがないので水を飲み、ため息を吐く。

 泣きたい気持ちだが、泣けるほど器用ではなかった。ふと、座っているソファの下から何かが伸びているのを見つけた。

 ――なんだろう、これ。

 つまんで、引っ張り出して、私は悲鳴をあげた。


「な、なにこれ……!」


 それは、蛇の抜け殻だった。しかも、とてつもなく太く長い。一気に血の気がひいていくのが分かる。

 家の中に蛇がいる。もし毒蛇で、噛まれたら。

 しかしどうしたものか。忌避剤を撒けば良いのだろうか。だが家の中に臭いの強いものを撒く訳にはいかないのでは? 捕まえて逃がすしかない? そんな胆力はない。

 ぐるぐると思考が巡るが、結局どうしたら良いのか分からず。とりあえず証拠として抜け殻の長さを測ってとっておくことにした。


「に、2m……」


 抜け殻の長さは2mはあった。

 日本の蛇ってここまで長くなるのだろうか。近所で飼っていた蛇が脱走したとかなのかもしれない。

 調べてみよう。


「……近所で蛇が脱走した話はない……」


 話になっていないだけかも知れない。

 しかし踏んだり蹴ったりだ。母親を亡くした先に蛇が家に入るだなんて。……家にいるのも怖いし、明日は学校に行こう。そういえば、お母さんが随分前に『生き物は飼っても良いけど、私にちゃんと言って』って言ってたな……あれ、どういう意味だったんだろう。


 ――ご飯を食べて、お風呂に入って歯磨きをして寝よう。


 また明日、考えよう。


 私はありもので料理をし、お風呂を沸かして、入り、歯磨きをして就寝した。



 朝起きると、かさ、と何かが足にあたった。

 嫌な予感がして、私はそれをつまんで引っ張る。あ、あれ、昨日の抜け殻より長い……?


「ひ……」


 冷たい呼吸が喉を這う。こんな短期間に蛇は脱皮をするの?


「は、測ろう……」


 長さを測る。大きさが違うなら、数匹いる可能性もある。


「……2m50……」


 大きさがだいぶ違う。これは数匹いるかもしれない。写真も撮っておこう。

 学校の先生に相談してみよう。そのためにも、さっさと学校に行こう。私は支度をして、家を出る。速足で学校の通学路を歩く。


 学校に着き、自分のクラスへと向かえば、驚いた顔をするクラスメイトたちがいた。私には友達がいない。なので話す必要もない。私は自分の席に着いて本を取り出す。本に集中すれば、時間なんてあっという間だ。


 担任の先生がやってきて、ホームルームを行う。連絡事項の際に、先生が注意喚起を促す。


「最近、不審者が多いので登下校の際には気をつけること、あまり一人で帰らないように」


 不審者も多いんだ。怖い世の中だ。

 ホームルームが終わった後、先生に私は家に蛇がいることを相談した。写真も見せる。


「うわ、大きいね……これが家に?」

「はい……どうすれば良いですかね?」

「先生が捕まえて逃がしてあげるよ」

「え?」


 思った以上の結果だった。捕まえて逃がしてくれるのなら、それは嬉しい。


「美澄、最近学校来なかったし心配だからな、無断欠席はダメだぞ?」

「すみません……」


 先生には申し訳なく思う。


「じゃあ、家に帰る時声をかけて」

「分かりました、ありがとうございます」


 これで安心して家で過ごせるようになる。


「お父さんは帰ってこないの?」

「……そうですね」


 父親は、一応いるのだが、家に全く帰ってこない。用事があれば連絡して、帰って来るようにお願いしなくてはならない。


「蛇程度で呼び出すと怒ると思って」

「そうか、ま、先生が行ってそれで済めば良いか」


 楽天的な先生だ。

 その後は心配事が解消されそうなので楽に過ごせた。家に帰る時間となり、先生に声をかけて私の家へと一緒に向かう。


「ちゃんと食事はとってる?」

「昨日はありものでした」

「食べてるなら良いけど……今日はちゃんと食べるんだぞ?」

「そうします」

「進路は何か考えてるか?」

「びっくりするぐらい何もないです」

「ほんとか? 先生もびっくりだ」


 なんて、軽口や冗談を交えながら先生と話す。あっという間に家に着き、私は家の玄関の扉を開けた。


「あぐっ」


 後ろからそんな、先生の声が聞こえてきた。振り返れば、先生が地面に倒れていた。近くには黒い帽子、マスク、サングラス、黒い服と、絵に描いたような不審者が立っていた。片手には、金槌を持っている。

 血の付いた、金槌を。


 やばいと瞬時に理解して私は家の中に入り扉を閉めようとするが、相手の方が速い。扉を掴まれ、家の中へと入ってくる。慌てて私は2階の自室へと逃げ込む。鍵を閉めるが、不審者は自室のドアを破る勢いでドアを蹴っている。


 ど、どうしよう……!

 警察!


 私は震える手で110番に電話して事情を説明する。すぐに駆けつけると言っていたが、今は一秒も時間が惜しい。窓から逃げる……? いや、飛び降りれば怪我をするし、その足で逃げられる気がしない。


 ドアが大きな音を立てた。

 そちらを向けば、ドアの鍵の部分が破られていた。


 きい……と音を立ててドアが開く。不審者が入ってくる。不審者は私の口元めがけて手を伸ばし、悲鳴を出せないように塞いでくる。


「……!!」


 そのまま押し倒され、不審者は私に馬乗りになった。そのまま片手に持っていた金槌を振り上げる。


 ああ、このまま死ぬのか。


 金槌で滅多打ちにされて。


 そんなの――そんなのは――……!!


 絶対に嫌だ! ここで死にたくない!!


 そこに、んでしょう。助けてくれても、良いでしょう。そこで見てるだけだなんて、あなた、とってもなのね。


 金槌が振り下ろされる。私は思わず目を瞑る。


「い”!!」


 男の悲鳴が聞こえた。目を開ければ、不審者の金槌を持っている手に大型の、真っ白な蛇が噛みついていた。その蛇は明らかな殺意を持って不審者の手を噛み砕かんばかりの力で噛んでいる。


「あ”あああ!!」


 不審者は私の口から手を離し、その手で蛇を掴み離そうとしている。

 私は立ち上がり、蛇の形をよく見る。


「……頭が、さんかくににてる」


 毒蛇の大きな特徴だ。頭の形状が三角形に似ている。

 蛇はその巨体をしなやかに回して不審者に絡みつき、そして取り押さえる。


「あ、が……」


 不審者はしばらく声を出して悶えていたが、ぐったりと動かなくなった。蛇はトドメを刺そうとしているのか、頭をもたげて不審者の首元を見る。


「あ、や、やめて」

「……」


 蛇は不思議そうに私を見る。


「さ、さっきは煽ってごめん、でも、こ、殺すまでじゃない、って」

「……助けろとしか言ってないって?」


 私は驚いた。しゃ、喋った……?


「当たり前、動物だって喋れるよ」

「そ、そう、なの?」


 蛇は少し不審者を見て戦えないと判断したのか、するすると離れる。


「理織」

「あ、私の名前……なんで知ってるの」

「ずっと前から見てたから」


 ……もしかして、お母さんが言ってた、動物云々の話ってこの子のことなのかな。


「私、あなたの名前も知らない」

「じゃあ、今つけて」

「……」


 蛇は私の手を見る。私は、見られた手を伸ばして、蛇の頭に触れる。蛇はこの瞬間を、待ちわびていたと謂わんばかりに頭をすりすりと私の手に擦りつける。


「クチナシ」

「……花の名前?」

「真っ白なのが、似てるから」


 尻尾で、たん、と床を叩いて、嬉しそうにする蛇――クチナシ。


「理織、約束して」

「なに?」

「これからは、ちゃんと僕のことを見るって、約束して」


 ――そうか、私は。

 この子のことを、見ていなかったのかも知れない。子供の頃からずっと一緒だったこの子のことを、見て見ぬふりをしていたのかも知れない。

 こんなに大きくなるまで。


「ごめんね、クチナシ――これからは、ちゃんと君のこと見るよ」

「……うん、ありがとう」

「そ、それでクチナシ、この人死なないよね?」

「毒の巡りは遅くしてあるよ」


 蛇って毒を操れたっけ。


「君が殺さないでって言うから」

「……不思議な力があるんだね、じゃあ、警察が来るまで……」


 私が部屋を出ようとすると、どたどたと足音が聞こえてきて、人が現れた。


「鈴鳴さん?」

「理織さん」


 現れたのは鈴鳴さんと、もう一人、眼鏡にスーツの長身の男性だった。男性は部屋の中を見て、一言。


「状況を説明してもらえますう~?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る