カクウ

最澄悠夏

第1章【キミとボク】

第1話【りおり&スネイク】

001【あの人の最期】

「中途半端ではダメだ――しっかりと、最後まで」


 そんなことを、言う人だった。そんなことを思う人だった。

 子供ながらに、この人は大変そうだなと思うくらい、中途半端なことを嫌う人だった。私が好きで始めたことも、嫌々やっていることに対しても、あの人は最後までやりぬけと言っていた。

 その強迫観念じみた教えを受けて、子供の時はなんでそんな辛いことを言うのだろうと疑問に思っていたが、今になってなんだかあの人の言っていたことの末端が理解できそうな気がする。

 ――あの人が亡くなった、今になって。

 もう、あの人の真意は分からないが、推察するに――あの人は、私に『聞き分けの良い子供』になって欲しくなかったのだと思う。あるいは諦めの悪い子に育って欲しかったのだと思う。

 あの人は、私の好きなことを禁止することがよくあった。そのたびに私はあの人に怒り、あの人を恐れつつも反抗して、隠れてその禁止された好きなことをしていた。

 ゲームをしたり、絵を描いたり、本を読んだり、友達と遊んだり。

 それがバレた際に、あの人は若干嬉しそうだった。まるで、思い通りに事が進んでいるかのように上機嫌で私を怒っていたのだ。変な人だな、と今でも思う。

 思えば、あの人は横暴ではあったがなんだかんだ私の意思を聞くことがよくあった。

 私が何を思ったのか、感じたのか。それで、私は何をしたいのか。

 そもそも家にあまり帰ってこない母親になぜいちいち話さなければならないのに苛立ちを感じていたが、それも今ならコミュニケーションの練習のように思える。身近な人でもその都度話さなきゃ伝わらないのだから、他の人にはもっと話さなきゃ伝わらないだろう――そう思えるようになった。

 なんだかあの人の教育のレールの上を走っているようで私としては不本意なのだが。

 親の育て方が良かったんだと言われると、あの人の……あの親のどこが良いんだと疑問に思う。

 横柄で横暴で乱暴で、自分のルールを押し付けてきて、私の好きな事を軒並み禁止にして――そして、私の成長をなによりも喜んでくれていた人だった。私のことを大事にしてくれていた人だった。

 なんで今になって気づくのだろう。

 気づくには、遅すぎた。

 あの人はもう、墓の中にいると言うのに。


「お母さん」


 12月の寒空の元、あの人――お母さんが永く眠る墓の前で、私は一人、立っていた。


「なんで死んだの」


 と恨み言のようなことを言っても仕方がない。そもそもお母さんは交通事故で亡くなった。自分の意思で死んだ訳ではない。トラックとの衝突で即死だった。トラックの運転手も心臓発作で亡くなっていた。

 誰も悪くない。

 てっきり母親は無敵なんだと思っていた。

 なにをしても死なないし、なにをしても傷つかないし、だからなにをしても良いと思っていた。しかし存外あっさりと、いなくなってしまった。人はいつ死ぬか分からないと言うが、本当にそうだ。


「――寒い」


 ここ、菊前市は沿岸にあり、12月にもなると海沿いの地域特有の寒い風が吹く。

 ――ああ、随分と昔だけど、こういう日に、寒い寒いと言いながらお母さんと一緒にお家に帰って、抱きしめてもらったっけ。

 温かい思い出だが、今となっては冷たい刃のように心に刺さる。


 ……帰ろう。


 ここにいても辛くなるだけだ。色々なことを思い出して、苦しくなる。

 私が家へと戻ろうと、足を動かした時だ。背後から声をかけられた。


「こんにちは、美澄理織さん」


 鈴の音のような凛とした声が、辺りに響いた。



 振り返れば、そこには整った顔立ちをした大人の女性が立っていた。微笑みを浮かべており、その姿からは大人の余裕が窺える。誰だろう。こんな美人な方は私の知り合いにはいない。お母さんの知り合いだろうか。それなら私の名前を知っていても不思議じゃない。


「……お母さんの知り合いの方ですか?」

「ええ、仕事で少し――……手を合わせても?」

「あ、すみません」


 私は墓の前から退く。女性は墓の前に行くと、手を合わせ、目を閉じる。

 女性の顔の微笑みが消える。

 何秒か沈黙が流れ、女性は目を開け、手を降ろす。その表情は、私からして見ても、仕事で『少し』知り合っただけの者の墓に向けるような表情ではなかった。

 もっと複雑な感情の表れのように見えた。

 女性は、ふ、と一息吐くと、こちらを見る。その時には、先ほどまでの微笑みが戻っていた。


「理織さんは、本子さんの仕事を詳しくご存知ですか?」


 本子と言うのは私の母親の名前だ。


「警察だったのは知っているんですが――あまり仕事の話をする人ではなくて、詳しくは知りません」

「そうですか」


 あの人らしいです、と女性は少し言葉を零す。


「申し遅れました、私、鈴鳴神楽と言います」

「――鈴鳴さん」

「私はこれで帰ります、寒いので体調にはお気をつけて」

「はい、ありがとうございます――鈴鳴さんも体調には気をつけて……」

「……あ、そうでした、ひとつ――言いたかったことがあります」


 鈴鳴さんは懐からメモ用紙とペンを取り出し、さらさらと電話番号を書く。


「不思議なことがあったら、教えてください……私、そういう話が大好きなので」

「……不思議なこと?」

「なにか不可解なものを見たとか、そういう現象が起きているとか――あなたの場合は蛇にまつわることかも知れないですね」


 はい、どうぞ、と言って電話番号が書かれたメモ用紙を私に渡してくる鈴鳴さん。

 私は意味が分からないまま、メモ用紙を受け取った。


「え?」

「失礼、ちょっと喋りすぎました――では、私はこれで」


 鈴鳴さんはすたすたと歩いて去っていった。

 ――な、なんだろう……不思議な人だったな。


 私も帰ろう。


 お母さんのいない家に。ただいまの声が無意味な家に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る