7.

あの日から実に半年。

どこまでも続いていたあの青は、すっかり色褪せる季節となっていた。

あいつはまだ目覚めていないらしい。

あいつが目覚めないと、捜査が出来ず有罪確定にはならない。眠って逃げてないで、早く目覚めるべきだと言ってやりたい。


「寒い」


学校に向かうだけでも一苦労な季節だ。冷え切った手に息を吹きかけても、温まることはなかった。

あの日からずっとこの手には、あの気色悪い感覚が一向に抜けない。

肉体を殴った時の音、感触。全てが染み付いて、とれないのだ。ずっと何かが憑いている。まるで呪いのように。


「おはよう」


教室に着くと、隣の席の櫻井さんが声をかけてきた。手には暖かそうなカイロが握られている。


「おはよう。寒いね」


マフラーを取りながら、席につく。

本来の私を取り戻してから、私にも友達が出来るようになったのだ。

普通に送る学校生活ほど、穏やかなものはなかった。

特別楽しいわけでもないが、それでも櫻井さんと移動教室を共にしたり、恋バナを聞いたりする時間は幸せだった。

でもいつも、何処か満たされないのだ。心にはぽっかり穴が空いて、冷たい風が吹いている。そんな穴を隠しながら、私は今日も生きている。



「ただいま」


冷たく冷え切った門に手をかけながら、私は園に入った。

吐いた息が白く染まるほどの寒さの中でも、子供達は元気に駆け回っていた。

悠樹も、そうだったな。

視界がぼやけてしまう。

マフラーを巻いても、ヤンチャなせいですぐ緩んでいた。

会いたいな。

気が緩むと、いつだって涙がこぼれ落ちる。

玄関に続く石垣を歩いていると、中の様子がおかしいことに気がついた。

静かだ。

誰かが門を潜ると、中でベルが鳴る仕様になっているため、帰ってくると、必ず玄関まで出てきて迎えてくれる。

けれど、その姿が見えなかった。


「ただいま」


やはり、私の勘は当たっていたようだ。

玄関から覗くリビングには、テレビがある。田辺さんを含む、大人たちがその画面を吸い付くように眺めていた。

けれど、何かがおかしい。


「どうした、」


その続きは言わせて貰えなかった。

テレビには、大きな字でこう書いていた。


『浅倉家殺人事件 容疑者は早瀬晃』


手の力がフッと抜け、スクールバッグが床に叩きつけられる。

その衝撃で、田辺さんたちが私に気がついたらしい。顔を青ざめて、テレビのリモコンに手をかけた。


「やめて!」


叫ぶような、私の声だった。

私はこのニュースを見なければならない。

そう思った。


「でも」


そう呟く田辺さんたちを無視して、私はニュースにのめり込む。


「今朝、早瀬容疑者が交番に出頭した、とのことです。現在容疑者として捜査している少女の父親であり、娘に罪を擦りつけたと主張しているようです。犯人にしか知り得ない情報を持っていたことや、本人が自首して来たということで、警察はこの男を容疑者として、逮捕しました」


その言葉を聞いた途端、私の心臓はとてつもなく速く、拍動した。

何のこと?

犯人はあいつでしょ。

半年という時間をかけて、整理していた頭の中はごちゃごちゃにかき乱されていた。


「現在まで逮捕されていた少女は、冤罪だったと認める方針だとのことです」


足の力が抜けて、最早立っていることすら出来なかった。

どういうこと。

あいつは、冤罪だったの。

私の、家族は、あいつに殺されたんじゃないの。

苦しい。

気道が確保できない。呼吸が上手く出来ない。


「少女は、未だ目を覚ましておりません。一刻も早く悪夢から解き離れることを祈っています」


専門家らしき人たちの見解も終わり、事件の特集は終盤に差し掛かっていた。

頭の中で色んな憶測が飛び交い、頭痛は絶頂に達していた。

額からは汗が流れている。

嫌な汗だった。

床に顔を伏せて、絶え間なく訪れる吐き気に耐えていた。

苦しい。


あの日のことを思い出した。

殺人鬼だと、私はあいつが消えるまで殴り続けた。

あの日からずっと頭の底で思っていたことがある。私にはあいつが人を殺すような目をしているようには、どうしても思えなかった。

だって、全てから逃げていた私に手を差し伸べてくれた。

もし、あいつが本当に冤罪だったら、とんでもないことをした。

喉の奥から、熱いものが湧き上がってくる。


「おええっ」


ピカピカに磨かれている床に、思い切り吐瀉物を散乱させた。激しい匂いが鼻をつく。

それでも、この気持ち悪さが治ることはない。

これでもかというくらい、手に力を込める。


私が、彼女を殴って殴って、泡沫に溶かした。


「この体は、魂で出来てる」


あの高くて、細い声がこだまする。

私は魂を破壊してしまった。

あいつは、彼女は、つゆりは、もう目を覚ますことは決してない。

私が壊してしまった。

殺人鬼は、私だったのだ。

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