自転車で飛ぶ!
「この道は長年通ってないと、わかんないんだ」
急な登り坂からスッと脇の細い道に入ると、トモヤは言った。
遅刻しそうなとき(ほとんど毎朝だが)使う道だ。その道を登りきると体育館が姿をあらわす。そばに立派な体育館倉庫がそびえる。倉庫の向こうにずらっと並んでいるプレハブが各クラブの部室長屋。その倉庫と部室の間に、ちょこんとベニヤ板でできた小屋がある。元、物置小屋。現、トモヤの属する映画研究部の部室。
トモヤはいつもの癖で、新愛の情をこめて小屋に目を向ける。
自転車が少し大きめの石を踏む。
よろける。
思わず両手でブレーキを握りしめる。
!
気がつくと、トモヤは自転車から放り出されて宙を飛んでいた。
本当に、自転車は宝ものだ。不可能を可能にしてくれる乗り物だ。今、トモヤは自転車で空を飛べることを発見していた。ただ、どうやって着地するかはまだ見つけられていない。
飛行中のトモヤの視界に、ぐんぐん迫ってくるのは…。
ベニヤ板でできた小屋の屋根。つまり愛すべき映画研究部の部室。
トモヤは迫りくる危機に、両腕で頭を抱えて目を閉じた。
でも、どうして人間って、こういうとき目を閉じるんだろう? 少しでもそんなシーンから逃れるため? 短い人生のなかで、そんなに体験できるものでもない(したくもない)貴重な体験だ。それを見逃すなんて、もったいなくないか?
トモヤは目を開ける。
その目に飛び込んできたのは…。
CRUSH!
飛び散る火花。
バリバリバリバリッ、グシャ。
トモヤはベニヤ板の屋根を突き破り、約二メートル落下。
「ッ痛!」
なるほど…。いい経験をした…ぜ。これ、次回作にいかせるかな。
「大丈夫ぅ?」
サクラモチが小屋の入口から顔をのぞかせる。彼女はトモヤが放り出された自転車から転げ落ちる寸前に、ヒラリと飛び降りたのだ。
「ケガない?」しかし、その口調に心配に色は含まれていない。「あ~あ、屋根こわしちゃって。入口はここじゃないの?」
こいつ…。自分の登場の仕方をネタにしやがって。
トモヤは目で不平を言う。そして、打った腰をさすりながら起き上ろうとして床に手をついて、ギョッ!
「こ、これ…、」自分が下敷きにしている代物をみてトモヤは言葉を失う。
昨夜、部長のハルカが徹夜で造った撮影用エア・バイクのセット。
トモヤは痛みも忘れ、そのセットの上から飛びのいた。
ああっ! 前半分がぺちゃんこ!
前部が全部パァ…なんて言ってる場合じゃないぞ。
どうしよう…。
冷や汗がタラ~…。
ハルカになんて言おう…。
いや~、落ちてきたのがボクでラッキーだったよ。もし、落ちてきたのがジャバ・ザ・ハットだったら、前半分だけでなく後ろもペチャンコになっていたね…とでも言うか。
「うわぁ~!」
突然、わきあがった叫び声にトモヤはギョッとした。
「な、なんだっ!」まさか、まだ何か壊したか? それとも、もうハルカが?
しかし、そこにあるのは、サクラモチの輝いた顔。希望いっぱいの笑みを浮かべ、瞳をキラキラさせて。
その表情が、たったいま壊したセットのことをトモヤの頭から追いやる。
なんだか、これ、いい顔…。
夕飯の食卓に大好物を見つけた子どものような…。
サクラモチは小屋の中に山積みにされている道具に心を奪われる。
映画という名の夢を創る小道具たち。
想像力が生み出したセットの数々。
大小の個性豊かな宇宙船。
さまざまな星系から集められた武器の山。
背景用の星空が描かれた別世界の入り口のようなガラス板。
チョークで白くなったカチンコ。
壁にはぎっしりメモが書きこまれたストーリー・ボード。
すみっこで一人派手なのは反射板のアルミホイル。
そして、興味ある装飾を施された衣装たち。
サクラモチは、その中で黒と銀にぬりたくられたヘルメットにそっと触れた。
ザラッとした感触。なんだか懐かしい友達に再会したような気分。
「それ、今、作ってる映画の主人公のヘルメットだよ」
トモヤの静かな声にサクラモチは我に戻ると、あらためてそのヘルメットを見つめた。
「主人公は宇宙船乗りなんだ。エア・バイクで宇宙を疾走するヒーロー」そのヘルメットをやさしくなでる。「撮影にスクーターを使うからヘルメットがいるんだ。だから、らしく塗装したりしてね」
トモヤの説明にサクラモチはヘルメットを見つめたまま。
「興味ないか、そーゆーの」
トモヤは苦笑い。
映研あるある、だ。いくら熱をこめて説いても、相手にはなにも伝わっていないってパターン。高三にもなって宇宙のヒーローや絵空事を真剣に語る人間のほうが少ないのは承知している。校内でも白い目でみられているのをわかっている。それとも、あれは羨望の目なのか?
「わけわかんないことに熱中してるオタクだって思ってんだろ?」トモヤは自虐的に笑ってみせる。
「え?」サクラモチは顔をあげ、トモヤをまっすぐ見つめる。「わけわかんないこと? これをそう呼ぶなら、この世界で生み出され、この世界に存在しているあたしこそ…わけわかんない」少しこんがらがった顔をして。
その意見にトモヤの頭もこんがらがる。
それを見ると、サクラモチは微笑んで、その表情のままヘルメットに視線を戻す。
「とても意味のあることよ、それは」物語、映画。描く者、描かれる者。演じる者、演じられる者。「演じられる者より演じる者…」
サクラモチは、そうつぶやいたかと思うと、サッと目をあげていった。
「ねぇ、冒険SF小説のヒロインが将来の夢とかもってたらおかしい?」
「夢?」トモヤはくりかえした。「夢かぁ」
夢は誰でも持っている。ただ、それを追い続ける勇気がないだけだ。夢ってのは追い続けないと腐って消えちまうのに。これってクサい台詞かな。でも、これをクサいと思うこと自体、夢を失っている証拠だと思う。
トモヤはサクラモチを見る。
演じられる者より演じる者、か。
「お前の夢は女優になることか?」
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