つよつよ侍女の古代魔法〜七歳の王子を送り届けるだけの簡単なお仕事〜

小絲 さなこ



「武器を捨てて、両手を挙げろ!」


 銃口をこちらに向けて叫ぶ大男に行く手を阻まれ、アニーとテオは立ち止まった。

 テオの震える指が、アニーのロングスカートを握りしめる。


「おねーちゃん……」


 テオの不安が滲む声。

 彼の頭にアニーの手が乗った。

 安心させるように微笑む彼女に、テオは頷く。


「もう一度言うぞ。武器を捨てて手を挙げろ」


 ゆっくりと大男に視線を向けたアニーは────









「テオ。七歳。母は八年前まで王宮に侍女として仕えていた伯爵令嬢。当時の王太子妃の怒りに触れ、王都から追放された」


 アニーはそこまで読み、視線を空へと一旦移した。

 息を吐き、続きを読むため魔導通信端末に指を滑らせる。


「カネーゼ領で母子ふたりで生活していたが、五年前に母を亡くてからは修道院暮らし……か。幸運の持ち主かもしれねぇな」


 

 現王の血を受け継いでいる七歳の男の子をカネーゼ領にあるフリップ修道院から王宮へと送り届ける。

 護衛は第一騎士団の団長。

 アニーの任務は、道中付き添う侍女兼護衛だ。



 今回の任務は多額の特別手当が魅力的だが、アニーの昇格試験も兼ねている。 

 昇格──つまり、お給料アップである。 

 役職に興味は無く、侍女役も苦手だが、お金が大好きなアニー。

 今回の任務を二つ返事で受けたのが間違いだった──と彼女は後に後悔することになるのだが、この時は知る由もない。


  

「昇格したら週一回しか食えねぇ爆肉バーガーが週二回食える! よっしゃあ! あたしが無事に城に送り届けてやるぜ」





 任務当日。

 アニーたちが修道院に到着すると、朝早くにも関わらず、そこで生活している全員がテオとの別れを惜しんでいた。


 たった七歳の子供が、本人の意思とは関係なく生き方を決められてしまう。

 そのことに、アニーは胸を痛めると同時に苛立ちを覚えた。


 

「そろそろ出発しましょう」

 王の側近のひとりであるエリックが、テオを連れてアニーと騎士団長の前で立ち止まる。

 サッと騎士団の礼をとる騎士団長。侍女としての礼を取るアニー。 

 テオは不安そうな表情でふたりを見ている。

 エリックがテオにふたりを紹介した。

  

「テオ様、こちらは第一騎士団の団長オスカー。彼女は侍女兼護衛のアニー。道中、テオ様の身の回りの世話はアニーが担当いたします」 

「うん。オスカーさん、アニーさん、よろしくね」


 ふわりと微笑むテオの美しさにアニーは息を呑んだ。

 

 蜂蜜色の髪。瞳の色は王と同じ薔薇色。

 確実に王の血を引いているとわかるほど、王によく似ている、整った顔立ち。


「よろしくお願い致します、テオ様」


 アニーは深く頭を下げた。

 


 フリップ修道院から王宮までは魔導車で約六時間。

 朝に修道院を出発し、途中休憩を多めにとったとしても、その日の日没前には王宮に着く──はずだった。



 修道院を出発して二時間ほど経った頃。

 山を超えている際に、真っ黒な魔導車に襲撃を受けた。

 峠道でカーチェイスを繰り広げた挙げ句、宙を舞うアニーたち四人を乗せた魔導車。落下中、アニーはテオを抱えて転移魔法を発動。無人となった車は、そのまま谷底へと落ちていった。


 

 アニーとテオが転移したのは、山の麓の宿場町イヤーデ。 

 アニーはテオの顔を覗き込んだ。顔色は悪いが怪我はしていない。

 

「あの、オスカーさんとエリックさんは……」


 唇を震わせるテオは今にも泣き出しそうだ。

 

「ぼ、ぼくのせいで……」 

「安心してください。魔法でどこかに転移しているはずですから。万が一のときの対応は打ち合わせ済みです」


 そう言ってアニーは微笑み、テオを抱きしめる。


 こうなることは予想していた。

 今ごろ七歳の子供に姿を変えたエリックがテオに扮し、オスカーと共に王都へと向かっているはずだ。

 

「怖かったでしょう。でも安心してください。このアニーが、必ずテオ様を無事に王宮へお連れいたします」



 自分ひとりならともかく、テオを連れての長距離転移魔法は不可能。

 無理すれば出来ないこともないが、いくら膨大な魔力を持つアニーであっても王都に着くと同時に魔力切れで倒れてしまうだろう。それは避けたい。

 

(今夜はこの町に泊まるしかないか……)


 魔導通信端末で上司と連絡を試みるも、通じない。アニーは顔を顰めた。

 テオが不安を滲ませる表情でアニーを見上げている。それに気付いた彼女は身を屈め、テオと視線を合わせた。

 

「とりあえず、ふたりで王都を目指しましょう……今からあたしとテオは姉と弟ということにする。できるか?」


 口調が突然変わったことに驚くも、こくりと頷くテオ。

 

「良い子だ。あたしのことは、ねえさんって呼んでくれ」 

「……お、おねーちゃん」 

「…………くぅ!」

 

 アニーは思わず胸を押さえた。

 

「どうしたの? 痛いの? 顔が真っ赤だよ!」 

「いや『おねーちゃん』って呼ばれるのも悪くねぇな、と思って」

 


 古着屋で服を替え、人気のないところに移動。アニーは、魔法でふたりの髪色と瞳をお揃いの焦げ茶色へと変えた。これでどこから見ても『農村から都会に行こうとしているきょうだい』だ。

 姉と幼い弟という設定なので、宿も一部屋だけ取る。宿代に含まれている夕食を摂り、案内された部屋に入ると、ベッドはひとつ。

 

「あたしは床で寝るから、ベッドはテオが使ってくれ」

「でも……」

「立場上、あたしは王子様と同じベッドで寝るわけにはいかないんだよ」

「でも、今はきょうだいなんだよね」

「……」

 

 アニーは息を吐いた。 

 共に暮らしていなくても親は子に似るのかもしれないな、と思いながら。


「それに……あの、こわくて……」


 アニーは目を伏せた。

 いくら王の血をひいていても、テオはたった七歳の子供だ。

 

「今夜のことは、誰にも言わないって約束してくれ。あたしの首が飛んじまう」


 アニーがベッドに潜り込むと、テオが抱きついてきた。

 声をあげそうになったが耐える。


「もうちょっと、力緩めてくれるかなァ……」

「朝までずっと一緒にいてくれる?」


 甘えた口調に思わず「わかったよ」と応えてしまい、内心焦るアニー。

 彼が寝付いたらベッドから出ていくつもりだったのに、退路を絶たれてしまった。


「仕方ねぇなぁ……」

 

 呟きつつも、ぽんぽんとテオの背を撫でる。


 

 やがてテオが寝息を立て始めた。

 その頭をそっと撫で、瞼を閉じるアニー。

 

 

「絶対、無事に届けてやるからな」



  

 イヤーデから魔導列車に乗車。ここから王都までは約三時間だ。

 列車内で車内販売の弁当を食べたり、たわいもない話をして過ごすふたりは、どう見ても姉と弟にしか見えない。

 近くの座席に座る老夫婦が親切で、干し林檎をくれたり、うとうとし始めたテオに上着を掛けてくれた。


(こういう人畜無害そうなのが手練の諜報員とか殺し屋だったりするんだよなぁ)


 すぐに老夫婦に懐いてしまったテオに不安を覚えるアニー。

 彼女は世間知らずの村娘を演じつつ、内心最大限警戒していたが、それは杞憂に終わった。


 平和な魔導列車の旅はあっという間に終わり、王都の駅に到着。

 

 昨日から上司と連絡が取れないことに苛立ちつつ、アニーは人気のない場所に移動した。魔法で、自分とテオの髪と瞳の色をお揃いの薄い茶色に変える。ここではこの色が一番目立たないからだ。服装も王都の住民らしいものに替える。


「今のあたしたちは王都の郊外に住む、姉と弟。今から王宮の食堂で働く親に会いに行くっていう設定だ。ここからは乗合魔導車と徒歩で移動するぞ」


 

 

 乗合魔導車の窓から見える王都の賑やかさに目を輝かせるテオ。

 そんな彼を見て、やはり普通の七歳の男の子なんだとアニーは再認識した。

 

 まだ子供のテオは、王族になるということがどういうことなのかわかっていない。

 つい数日前まで庶民だった子が、王族になる。それは純粋な彼をどう変えてしまうのだろうか────アニーは繋いだ手を握りしめた。


 

 市街地にある市場のはずれ。いわゆる下町と呼ばれるエリア。

 この辺りは、戦後の区画整理されないまま住宅が建ったせいで迷路のようになっている。



「武器を捨てて、両手を挙げろ!」


 銃口をこちらに向けて叫ぶ大男に行く手を阻まれ、アニーとテオは立ち止まった。


 舌打ちしたアニーが半歩後ろのテオを見下ろすと、彼はアニーのスカートを握りしめている。

 彼女はテオの頭に手を乗せた。

 安心させるように微笑むアニーに、テオは頷き、彼女もまた頷き返す。


「もう一度言うぞ。武器を捨てて手を挙げろ」

 

 アニーはテオの手を引き剥がし、横に突き飛ばした。


「やなこった!」


 叫ぶや否や、銃声が狭い路地に響く。

 テオの短い悲鳴がその余韻に被る。

 

「そんな撃ち方じゃ、当たらないぜ」


 歌うような声の主はアニーだ。

 男は目を見開いた。


「いつの間に……」


 銃口が青い空に向けられている。細い女性の手とは思えないほどの強い力で。

 いつ距離を詰められたのかわからず、戸惑う男は視線を彷徨わせている。


「身体強化か。いにしえの魔法を使うとは……何者だ」


 その問いには応えず、アニーは男の顔を覗き込んだ。


「なぁ、おっさん。これどうしたんだ。このタイプの魔銃はまだ開発中だと聞いたが?」

 

 ──しかも、その開発そのものが、極秘。

 付け加えられた囁き。

 唾を飲み込む男のこめかみに、一筋の汗が流れる。


「お前には関係ないだろう」


 フードを被り地面に伏せるテオにチラリと視線を向け、アニーは息を吐いた。


「なるほど……お前もこいつも権力しか頭にねぇお偉いサマに振り回されてるってわけか」


 気に入らねぇな。舌打ち混じりで呟き、男の首を撫でるアニー。

 その微笑みの美しさに、男は息を呑んだ。


「雇われたアンタにゃ同情するよ。成功しても処分されるだろうからな」 

「な……あの方はそんなことは」


 彼女の拳が男の鳩尾にめり込む。


「おやすみ、おっさん。安心しな、命までは取らねぇよ。子守唄が必要なら歌ってやろうか」


 男の体が地面に沈んだのを確認し、テオに駆け寄るアニー。


「もう大丈夫だ」


 抱き起こそうと手を伸ばすと、テオは泣き出してしまった。


「もう、もうやだああああ」


 わあああん!

 鳴き声が路地に響く。


「もう、ぼくをころして! ころしてよお!」

「お、おい……」

「ぼくがっ! ぼくがいなくなればっ……だれも、ケガしないし、死なない!」


 叫んで走り出すテオ。

 アニーが魔法で彼を捕まえようとしたその時、銃声が響いた。


「いやあー!」


 うずくまるテオを掬うように拾ったのは、アニーの倍くらいある体格の男。


「はは。獲物がこんな腰抜けのチビだったとはな」


 そう言うと男は、テオの頭に銃口を当て、ニヤリと笑った。


「その子をこちらに寄越せ」


 静かに、だが鋭い口調で男を睨みつけるアニー。 

 男の唇が弧を描く。


「ヒューゥ! えれぇ美人の護衛じゃねーか」


 テオを小脇に抱えた男は、アニーの前に歩み寄り、彼女の顎に手をかけた。

 ぐい、と乱暴な力で上に向かせられ、彼女は顔を歪める。


「やめろ! おねぇちゃんに手を出すなぁ!」


 テオは足をバタつかせ、身を捩って男の脇から逃れようともがいた。


「おとなしくしろ、このガキ!」


 男がテオの頭に銃口を突きつける。


「殺すぞ!」


 喉を鳴らし、テオは全身の動きを止めた。

 鳴き声をあげるのを必死になって堪えている。


「ほほう。胸も大きいな……このガキの命が惜しければ、俺と一晩──」


 男はその続きを口にすることはできなかった。

 

 欲に塗れた間抜け顔のまま、後ろに倒れたからだ。

  

 そして、アニーの手には、先程の男から奪った魔銃が握られている。




「うわああああん!」

 

 地面に放り出されたテオは泣き叫んだ。

 

「もう、もう、やだあああああ!」 

「死んでないぞ。眠らせただけだ」 

「やだやだやだやだ! もうやだあああああああ!」


 

 アニーは必死に宥めたが、テオの泣き声は延々と路地に響き続けた。



◇ 


『食堂 胃袋の友まんぷく』

 城下町にある、騎士団御用達の店。 

 泣き疲れ眠ってしまったテオを背負い、アニーが店の扉を開く。

 

「おい、アレク!」

 

 名を呼ばれた大柄の店主は、アニーの顔を見るなり大声を上げた。

 

「無事だったか!」

「あたしを誰だと思ってるんだ。当たり前だろ」

「その子供が例の……か! どうしたんだ。大丈夫なのか?」

「安心しろ。眠っているだけだ。悪いがうちのバカ上司と連絡取ってくれないか。あと、奥の部屋使わせてもらうぞ」


 店主の妻がバタバタとアニーのあとを追い、店主は店の外にある案内板を『本日は閉店しました』に替えた。



 テオが目を覚ましたのは翌朝。

 昨日、何時間も泣き喚いたせいで目の周りは腫れ、顔も浮腫んでいる。

 アニーは蒸したタオルを当てながら、テオの頭を撫でた。


「ぼく、おうじさまにならなきゃだめ?」


 ぽつり。

 テオの呟きに微笑みだけを返すアニー。


「おうじさまなんて、なりたくないもん」 

「どうしてそう思うんだ?」


 長い沈黙のあと、テオが口を開く。

 

「だって、ぼくのこと、殺そうとそうとするんだもん。だから、ぼくをまもろうとするとキケンなんだ。なんでぼくを殺そうとするの? なんで……どうして……」


「王子様の命を狙うのは、次の王様になってほしくないからだ」

「だから、ぼくは、おうじさまにならないって……」

「そう簡単にはいかないんだよ。でも、ひとつだけ殺されないための方法がある」


 テオはじっとアニーの顔を見つめた。

 

「みんなが幸せになる国をつくる王様になるんだ」 

「みんなが幸せになる国?」 

「そう。そのために必要なことは何か。テオはわかるか?」


 テオは首を振る。


「誰にも文句を言わせない、完璧な王子様になるんだよ!」


 そう言って胸を張るアニー。


「完璧な王子様って、どうやったらなれるの?」 

「それは、あたしはわかんねぇ!」


 わかんないと言いつつも偉そうな口調のアニーにテオは笑い出した。


「な、なんだよ」

「おねーちゃんもわからないこと、ぼくがわかるわけないよ」

「そうだな。でも、城でいっぱい勉強して強くなったら、わかるかもしれねぇな」

「そう……かな」


 テオは自分の手を見つめている。


 この子が今から手を伸ばそうとしているものは、七歳の手には大きすぎる運命だ。

 そう思うと、背中を押していいものかアニーは躊躇した。


「おねーちゃんは、ぼくが完璧な王子様になったら、うれしい?」

「そりゃあ、嬉しいさ!」


 キッパリと言って、アニーはテオを抱き寄せる。


「テオは優しい子だからな。人の痛みがわかる王子様は、きっと将来いい王様になれるはずだ」

「完璧な王子様になったら……おねーちゃんを……みんなを、守れる?」

「いっぱい勉強して、強くて優しい王子様になったら、きっと守れるさ」


 テオは頷くと、アニーを見つめた。


「ぼく、がんばる! 完璧な王子様になって、それで、みんなを守るよ!」

 


 

◇ 

 

 店の奥にある食材の倉庫の床板を外すと、地下へと続く石の階段が現れる。



「気をつけて行けよ」

「おじさん、ありがとう。ミニ爆肉バーガーおいしかった。また来てもいい?」

「そりゃ光栄だ。大きくなったらお忍びで来るといい。その時は特製爆肉バーガーを食わせてやる」

 

 店主と笑顔で握手をかわしたテオが、さっと顔色を変えた。不安を隠さない表情で階段を覗き込んでいる。


「ここから先、灯りは最小限だ。あたしに掴まって、絶対手を離さないこと、声を出さないこと!」


 そう言うとアニーはテオの手を握った。


「ここを抜ければ王宮だ」


 

 

 ひんやりとした地下通路を無言で歩く。

 濡れた地面を歩く靴音。

 ぴちゃんぴちゃんと水が落ちる音が響く。

 

「もうすぐだ」

 

 アニーがテオの耳元で囁くと、彼女の手を握るテオの手に力が込もった。

 

 歩くこと数十分。

 わずかな光が漏れる扉の前にたどり着いた。

 扉の近くにある狭い窪みにテオを立たせる。アニーは彼の頭を撫でて囁いた。

 

「あたしが様子を見てくる。あたしがいいと言うまで、ここで頭を守って伏せてるんだ。いいね?」

 


 そっと扉を開けて外に出る。


「薔薇の香り……」

 

 王宮の庭園。

 城下町の食堂から入った秘密の地下通路を抜けた先にある扉は、王宮庭園の隅にある道具小屋に続いているのだ。

 

 周囲に誰もいないことを確認し、アニーは魔導通信端末で連絡を試みた。


「アニー!」

 

 手を振りながら駆け寄ってくるのはアニーの同僚だ。

 

「どうなってんだよ! なんで援護にこねぇんだよ!」

「いや、ちょっとこっちはそれどころじゃなくてな」


 昨日の晩に王宮で起きた騒動を耳打ちされ、舌打ちするアニー。

 

「それなら仕方ないな……ていうかマジかよ。昨日着かなくて良かったのか」

 

 程なく、エリックとオスカーも姿を現した。


 

「もう大丈夫ですよ、テオ様」

 

 扉を開く。

 内側で待機するテオをそっと立たせ、手を取るアニー。

 

「王宮に到着いたしました。さぁ、髪色を元に戻しますね」

「おねーちゃん……」


 眉を下げ、アニーを見つめるテオの顔は不安で強張っている。

 

 開けたままの扉から入ってくる陽の光。

 薔薇色の瞳が揺れる。

 アニーはそれに気付かないふりをした。


「姉と弟という設定は、これで終わりでございます」

「……やだ」


 涙混じりの声。

 このまま泣き出しそうなテオに、アニーは頭を掻いた。こんなに懐かれるとは思ってなかったのだ。


「おねーちゃんと呼ばれて、アニーは嬉しゅうございました。この数日間のこと、私は一生忘れません。姉弟きょうだいごっこは私たちふたりだけの秘密。今はそれで我慢していただけないでしょうか」


 視線を合わせ、真っ直ぐにテオの瞳を見つめるアニー。

 彼もまた、アニーを真っ直ぐに見つめた。


「ひみつ?」

「ええ。秘密というのは、とても大切な約束です」

「やくそく……」


 テオの手を取り、アニーは自分の小指と彼の小指を絡ませる。


「ええ、秘密です。私たちだけの」




 

 無事テオを送り届けたアニーは、雇い主の執務室へと向かった。

 乱暴にノックをし、返事を待つことなくドアを開ける。


「こんな任務を昇格試験にすんじゃねぇ!」


 怒鳴られた上司は、顔色ひとつ変えない。


「きみならやり遂げてくれるって信じていたよ。さすが俺のアニー」

「誤解を招く言い方はやめろ!」


 くつくつ笑う男をアニーは睨みつけた。


「昨日の街での刺客、てめぇの婚約者──侯爵家の手の者だろ」

「御名答。やはり俺のアニーは流石だね。こんな隠密仕事なんて辞めて、俺のお嫁さんにならないか?」 

「誰が、あんたみたいなおっさんと!」 

「おっさんって……十歳しか離れてないし、きみは俺の婚約者と同い年じゃないか」 

「キモッ! いい年こいて、成人して間もない十六歳の小娘に手を出すとか、キモッ!」 

「あぁ……いいね、そのゴミを見るような目! ゾクゾクするよ……」 

「うおあ。鳥肌立ったじゃねーか! ハアハアすんな! この、変態!」 

「あぁいいねぇ……でもこういう刺激的なやり取りは、ふたりだけで過ごす夜にしようね。誰かに見られたら、王弟にそれはないじゃないかって言われてしまうよ」 

「誤解を招くようなことを言うな! 誰がてめぇなんか……それより、あの侯爵家どうすんだよ」 

「そうだねぇ……ま、あの家に関しては色々と調査中ってことだけ言っておくよ」



 テオの存在はごく一部の者しか知らされておらず、王は陰で見守るよう指示していた。

 あの子には権力争いに巻き込まれることがない、穏やかな一生を送ってほしい──それが王の願いだった。

 しかし、先月第二王子が病死、先日第一王子が毒殺されことにより、そういうわけにもいかなくなってしまったのである。

 テオは王位継承者として王宮に迎え入れられたのだ。

 

 王弟ヴォルフは継承権を放棄すると宣言しているが、テオが王位継承するまで継承権放棄は出来ない。


 つまり、テオを亡き者にしたいのは、王妃だけではなく──

 


  

「あの調子だと、テオは王宮でも狙われるかもね」


 そう言ってヴォルフはアニーを意味ありげな目で見つめる。

 先程のような、いやらしい目ではない。それに気付き、アニーは唇を引き結んだ。



「きみを王子殿下専属の侍女兼護衛に任命する」

「勘弁してくれ……」


 やはりそう来たか、とアニーは頭を抱えた。

 

 今回のような臨時の侍女兼護衛なら、多少ボロが出ても──普段通りの言葉遣いや仕草がうっかり出てしまったとしても、咎められることはない。

 だが、王子専属侍女兼護衛となると、完璧な貴族令嬢としての立ち居振る舞いが求められる。

 王弟命令だとしても、王宮で侍女として仕えるためには、厳しい試験と研修があるのだ。


 

「やっと気付いたようだね。今回の任務は七歳の男の子を王宮に送り届けるだけの簡単なお仕事……ではない」

 

 アニーは唇を噛み締めた。


「あたしはスラム育ちの平民だぞ!」 

「……表向きは、ね。アンジェラ・ソフィア・キシュリーブル」

「その名前の女は死んだ! あたしはアニーだ! スラム育ちの孤児。ただのアニーだ!」

 

 アニーは鋭い目で上司を睨むが、彼はそれに動じず微笑んでいる。


「引き受けてくれるね、アニー」

「貴族の振る舞いなんて、できねぇよ」 

「いやー、なかなかサマになってたらしいじゃないか。我ながら、さすが俺の見立てだと思ったね。きょうだいに扮した演技も完璧だったというし……俺の可愛い甥の侍女兼護衛にぴったりだよ」


 一旦そこで区切り、目を細めるヴォルフ。

 

「やってくれるね?」

 

 有無を言わせない笑み。

 薔薇色のその瞳は、光の加減で血の色にも見える。

 


 あぁ、くそ、さすが王弟なだけある──アニーは首を縦に振るしかなかった。 







 三カ月後。


 テオはテオバルトと名を変え、王子としてのお披露目の準備に追われていた。

 礼儀作法や勉強で、時間感覚も曜日感覚も無くなりつつある。

 

「かえりたい……」


 広い自室の、広いソファでテオは呟いた。

 今は束の間の休憩時間。

 それなのに、休んでいる気がしない。

 

 豪華すぎる部屋。子供の目から見ても超一流の物だとわかる品々しかなく、落ち着かない。

 ふかふかすぎるソファは座ったが最後、立ち上がるのに苦労する。


「殿下」

 

 いまだに慣れない。王子として扱われることが。


「かえりたい……」

 

 このあとは、体を鍛えるための運動が待っている。


「殿下」


 呼ばれ慣れない敬称だが、二度も呼びかけられれば、さすがに気がつく。 

 声の主は、部屋の入り口に立っている専属侍女のマリーだった。

 

 そしてその隣には──


「新しく殿下の専属侍女となった者を連れてまいりました」


 テオは目を見開いた。

 叫びそうになったのをグッと堪える。

 

 テオは新入りの侍女を見つめた。

 深く頭を下げたままの彼女。


「顔を、上げて……」

 

 テオが震える声で声をかけると、新入りの侍女が頭を上げた。

 

 結い上げた金色の髪。白い肌に整った顔立ち。そして、意思の強そうな紫の瞳。


「アニーでございます、殿下」


 テオはアニーに駆け寄り、そのまま飛びついた。

 

「よろしくね、アニー!」

 

 王宮侍女のお仕着せに身を包むアニーは、ゆっくりと身を屈め、テオの背中にそっと腕を回す。


「よろしくお願い致します、殿下」 

「うん、アニーが来てくれて嬉しい!」


 そう言って、アニーの頬に唇を押し当てるテオにアニーもマリーも目を剥いた。

 

「殿下っ?!」 

「殿下、何をしているのです! アニーから離れてください!」 

「もう、どこにも行かないって、約束して! アニー!」

 

 

 これは面倒なことになった、かも──内心頭を抱えるアニー。


(でもまぁ……ここまで熱烈に慕われるのは、悪い気はしねぇな)




 

 ──新たな騒動の幕開けは、もうすぐ。

 

 部屋の片隅に飾られた薔薇の花びらが一枚、はらりと落ちた。

 

 

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