池袋駅の地下に潜むもの

よし ひろし

池袋駅の地下に潜むもの

「くそったれがっ!」

 朝、通勤のためにマンションの駐輪場に降りた俺は、自分の自転車のタイヤがパンクしているのを見て思わず叫んだ。後輪の空気が完全に抜けぺしゃんこになっていた。それだけでもイラっとするが、更に頭に血を昇らせたのは、これ見よがしにタイヤに突き刺さっていた画鋲の姿だ。

「どこのクソガキのイタズラだぁ!」

 地団太を踏んで怒りをあらわにするが、どうしようもない。今日は朝から重要な会議がある。仕方がないので、急いで最寄りの駅――西武池袋線の江古田駅へと走った。


 十五分ほどで駅に着き、上がった息を整えながらホームで池袋行きの電車を待つ。

 ここは各駅しか止まらない。人間をすし詰めにした準急を一本見送り、次に来た各駅電車に乗り込む。朝のラッシュ時なので混んではいたが、見送った電車のようにすし詰め状態ではなかった。


 十分ほどで池袋駅に着き、東武東上線に乗り換えるべく、地下の改札を抜けた。勤める会社は東上線で池袋の二つ先、下板橋にある。普段は愛車の電動アシスト付き自転車で通勤するので、この時間に池袋駅を使うのは久しぶりだ。

 改札を出たところで時間を確認すると、遅刻するかギリギリだ。そこで、スマホで上司に送るメッセージを打ちながら地下道を進んでいった。


 某家電量販店の前の歌でおなじみの「東が西武で 西東武」という具合で、西武線から東武線に乗り換えるには池袋駅の地下街を東西に横断する必要がある。久しぶりのことなので、スマホを操作しながらも、ちらちらと案内板を見ながら、人波にのって地下道を進んでいった。

 有楽町線の改札を横目に進み、JRの南口改札を過ぎる。そこで右手に曲がり、南北に伸びるオレンジロードと名付けらている通路を進んでいく。確かこの先に東上線の改札があるはずだ。


 東西に延びるメインの通路と異なり、南北に延びる通路は幅が狭い。床も壁も天井も白く、天井の照明に照らされて妙に明るく感じる地下道を進んでいく。左手は東武デパートなのだが、この時間はまだシャッターが下りていた。進みながらスマホで時刻表を確認。大丈夫。すぐにでも乗れそうなやつがある。

 歩む足を少し早めて、地下道を急ぐ。が――


「……あれ、ここ、こんなに長かったか?」


 そろそろJRとそれに相対する東武の改札が通りの左右に見えてきてもいいはずなのに、白い道が続くばかりだ。更に足を速め、先を急ぐが――


「おかしい。なんでだ。改札がない?」


 それどころか突き当りに見えてくるはずの東西に走る通りも見えてこない。


 はぁ、はぁ、はぁ……


 全速力で通りを駆ける。


(おかしい、おかしい、おかしい……)


 左を見る、右を見る。白い壁が永遠と続く。


「そんな、馬鹿なぁ!」


 思わず叫んだ時、


 ドン!


 誰かとぶつかった。


「あっ――、すみませ……、えっ?」


 当たった相手に謝ろうと振り返ると、周囲の風景が変わっていた。先程までいたオレンジロードとは違う幅の広い地下道――東西に延びるメインの通りの一つだ。


「抜けたのか?」


 慌てて周囲を見回す。JRの大きな改札が通りの左右に見える。中央改札――なら東武の改札はそこだ。

 首を巡らす。あった、東武東上線の改札口。


「よし!」


 俺は改札口に走り込む。スマホをかざして中へ進み、ホームへと続く階段を上がった。


「今ならまだ遅刻せずに済む」


 階段を上がりきってそう思った時、目に見えない壁の様な物にぶつかった。そして、視界が暗転する。


「えっ?」


 次の瞬間、俺はまた地下道の中に戻っていた。


「な…、どういうことだ……」


 先程入った改札の前に戻されていた。


「冗談だろ……」


 訳が分からない。しばらく唖然と立ち尽くしていたが、そのまま呆けているわけにはいかな。

 再び改札を抜けて、ホームへと階段を上る。しかし――


「馬鹿な……」


 結果は同じだった。もう一度、今度は違う階段を上がってみたが結果は変わらなかった。


「……」


 パニックで、頭が回らない。辺りの人々の様子は特に変わったとこがないのが余計に不安にさせた。


「どうすれば……、そうだ、一旦地上に出て、そこから改札に回れば――」


 そう考え、西口のすぐ前に出る階段を目指す。ところが――


「あれ、どこだ? あれ、違う、こっちじゃない……」


 気が焦っているのか、道順が全く分からなくなっていた。狭い通路に入り込み、進むとコインローカーが置かれた袋小路になっていた。


「はぁ、はぁ…、くそっ……」


 元来た道を戻る。ところが、出た所は先程通った場所とは違う。いや、違うような気がする……


「どこなんだ……」


 まるで迷路の中に迷い込んでしまったようだ。いや、大丈夫だ。日本の地下道は親切すぎるほど案内板が出ている。

 西口出口の案内を探す。あった。すぐに見つかる、が……


「なんだ、これ。西口と東口が同じ方向?」


 そんなことはあり得ない。さらに周囲を見ると、西の端にある副都心線のホームと東の端にある西武池袋線のホームを示す案内が同じ方向を向いている。丸の内線に至っては三方向に向かって案内板が出ていた。


「どういう事なんだ…。狂ってる。世界がおかしくなっている?」


 案内板はあてにならない。とにかく地上に出る階段を探し、地下道を進んだ。すると程なく地上からの光が漏れる階段を見つけた。


「よし!」


 階段を一段飛びで上がっていく。ところが――


「なにっ!」


 再び見えない壁に阻まれ、地上に出たかと思った途端に暗転し、景色が変わる。再び地下道。それも、どこだかわからない。


「はぁ、はぁ…、なんなんだ。一体何が起こっているんだ」


 もうダメだ。訳が分からない。混乱が不安と恐怖を呼び起こし、体が震えてきた。


「そうだ、誰かに訊けば――」


 近くにいた中年男性に声をかけた。


「あの、すみません」


 だが、男性は何も聞こえなかったかのように素通りしていく。


「えっ…。あの、ちょっといいですか」


 別の男性に改めて呼びかけるが、反応がない。全く無視をされたので、思わず手が伸びた。


「ちょっと!」


 男性の肩をつかんで呼び止める。男性が驚いたようにこちらを見た。しかし、首をかしげるとすぐに歩き出していった。その様子は、まるで俺のことが見えていないかのよう……


「まさか!?」


 俺はすぐ横を歩く女性の前に飛び出し声をかけた。


「すみません」


 ところが女性はそのまま真っ直ぐ歩み、俺にぶつかる。


「きゃっ!」


 悲鳴を上げて転ぶ女性。何が起こったのかわからないといった感じで辺りを見回すが、俺の姿は全く目に入っていないようだった。もちろん声も届いてない。


「そんなぁ…、馬鹿な……」


 なんだ、俺は…どうしてしまったんだ。見えてない。そこにいない? こんなの、まるで幽霊――


「死んだのか、俺は……」


 いやいや、そんなはずない。そんな記憶はない。


 俺はふらふらと地下道を彷徨った。どこに向かっていいのかわからない。今自分がどこにいるのかもわからない。


「どこに――、あっ、そうだ、スマホで――」


 現在地を確認しようとスマホを取り出し見た。しかし、電波が繋がらない。


「なんでだ。地下だからか? いや、そんなはずない。さっきまできちんと繋がっていた」


 最後の望みも絶たれた。絶望感が腹の底から湧いてくる。


 その時――、何か妙な視線を感じた。どこからかじっと見られているような感じ。


「……誰だ。どこから…、見ている?」


 背筋がゾクッとした。なんとも言えない恐怖感が湧いてくる。


 逃げなきゃ――!


 無意識のうちにそう思い、とにかく地下道を走り出した。


 来る、来る、来る! 何かが追って来る!!


 走った。JRの改札が見えた。丸の内の改札もある。東に向かっている?

 途中で南北の道に曲がる。右手に西武百貨店。左手には様々な店舗。チェリーロードか?

 進むとパルコの入口が見えてくる。


「はぁ、はぁ…、くそ、まだついてくる?」


 後ろを振り向く。が、姿は見えない。ただ、気配は感じた。

 走るしかない。そう思って前を向いた時、左手の壁にある扉が開いて、男性が一人現れた。白髪頭の小柄な年寄りだ。その老人が、こちらに向かって声をかけてくる。


「こっちへ、急げ!」


 厳しい顔をして、手招きをしている。


「えっ――」


 俺が見えている!


 藁にもすがる思いでその老人の元に駆け寄った。


「中に――」


 手を引っ張られ、扉の中へ。すぐに老人が扉を閉めた。


「奥へ――」


 言われるまま狭い通路を先に進む。

 少し行くと部屋に出た。機械室のようだ。どうやらメンテナンス用の通路と部屋のようだ。


「あ、あの…」

「静かに。気持ちを落ち着かせろ。深呼吸して、頭を空っぽにするんだ」

「え、あ、はい」


 有無も言わせぬ強い語気に、俺は素直に従った。


 すぅ、はぁ…、すぅ~、はぁ~……


 とりあえず、気持ちが落ち着く。が、鼓動はまだかなり早い。


「奴は人の負の感情を感じ取る。それが奴の餌だ」

「奴――、何なですか、それは? それにこの地下道はどうなってるんです?」

「ここはいわゆる次元の狭間だ。こちらからは元の世界に干渉できるが、あちらからはこちらは見えない。こちらにいる者も含めてな」

「次元の狭間?」

 思わず首をかしげる。


「人々の集まる場所には時空のひずみが出来やすい。ここもそんな場所の一つだと思ってくれ。どうして出来たのかは、わしにも分らんが、そういうものだと納得するしかない」

「納得……、そう、ですか……。それで、奴とは?」

「正体は分からん。ただ、最近ここに現れた謎の存在だ。わしが思うに、他の世界からやってきたモノではないかと。特定の姿を持たない黒い影のスライムかアメーバーの様な生物だ」

「え……」

 理解が追い付かない。いきなりSFの世界だ。


「奴は人の負の感情に惹かれてここに来た。奴が現れて以来、この空間の時空が乱れだしている。あんたみたいにこちらに引き込まれる人間が増えているのだ」

「俺みたいに……」

「あんたここに来る前に、気持ちが乱れていなかったか?」

「あっ――」

 遅刻するかどうか慌てていたし、不安にも思っていた。

「心当たりがあるようだな。奴はそんな者を見つけ出し、こちらに引き込む。そして、更に不安を増長させて、よい頃合いを見計い、喰らう」

 老人が険しい顔でこちらを見た。


「喰らう――、なんでそんな奴が……」

「西武百貨店の閉店騒ぎが恐らく引き金だ。あれで、負の感情が爆発した。それに、この池袋駅の根幹といってもいい西武百貨店の建物自体も、悲しみに震えているのかもしれない」

「負の感情…、西武の建物……」

 もうだめだ。頭がパンクしそう。


「とにかく、今この世界は危険な状態だという事だけ理解してくれ。奴に喰われたくなければ、逃げろ。それしかない」

「逃げる……」

 この迷宮の様な地下道を逃げ回る? いや、違う。俺は――

「元の世界に戻れないんですか?」

「戻れる、者もいる。だが――今は奴のせいで、それが難しい。わしはこの世界に迷い込んで五十年になる。その間に戻った者も幾人もいたが、今は……」

「ご、五十年――」

 そんなに前から――目前の老人をしげしげと見た。特に変わったところはない。近所の公園で散歩をしている老人と変わらない。しかし、その眼光は鋭く、戦い続けてきた男といった感じだ。


「わしの場合、好きでここにいるのでな。――もっとも、もうそれも仕舞いか……」

 老人の顔が少し曇る。が、すぐに厳しい表情に戻り、こちらをキッと見つめた。

「この鞄をお主にやろう。中にわしが書いたこの世界に関する観察記が入っておる。それを読めば色々分かるであろう」

 肩にかけていた布かばんをこちらに差し出す。

「え、でも、これは――」

 その時、例の嫌な気配が室内に届いてきた。恐怖を覚え、反射的に身が震える。


「くっ、見つかったか。これをもって、そちらの通路から逃げろ。奴はわしがここで引き付けておく」

「え、でも、それじゃあ――」

「時間がない。――わしはもう長くない。内臓をやられている様だ。だから、気にするな」

「え、ええ、でも――」

「ゆけ。奴が来る。急げ!」

 老人の迫力に負け、俺は鞄を受け取ると入ってきたのとは反対側の通路へと歩を進めた。しかし、足を止め再び老人を振り向く。

「あの、俺は白戸元治しらと もとはるって言います。あなたは――」

「……急げ、無事に元の世界に帰れよ」

 老人は名乗らず、そういうと口元に笑みを浮かべた。

「……わかりました。それじゃあ」

 俺は、通路を進んだ。しばらく行くと扉がある。場所的にその先はJRの改札の中だと思ったが――


「ここは…、西武の改札前か……」


 時空が乱れている――老人の言葉が蘇る。

 迷路のスタート地点に戻ってきたようだ。


「さて、どうすれば……?」


 とにかく気持ちを落ち着かせた。奴に気づかれないように、感情の起伏をなくす。そして、預かった鞄の中を確かめた。

 ノートが何冊も入っていた。他に筆記用具やタオルなど生活に必要な最低限のモノが入っている。


「よし、とりあえず情報を得ないと……」


 俺は西武の改札を通ると、中にあったコーヒーショップに入っていった。扉を抜けてもどこかに飛ばされることはなく、普通に店内に入る。

 もしかしたら奴が近くにいると、時空の乱れが起こるのかもしれないな……

 そう思いながら店内を進む。店員は扉が開いたが誰もいないことに首をかしげていたが、俺は構わずに一番奥の席に着いた。そして、ノートを読み始める。


 俺は絶対帰ってやるぞ、元の世界に――!



END

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