第二夜

 えんが殺された。狂人が一人殺された。


 洋館に帰って来た後の反応も人それぞれだった。

 先ほどの恐怖の光景がトラウマになりかけている常葉ときわ。あんなのは有り得ない、と悲しげな表情を浮かべる想葉そうよう。黙って俯き、考え事をするしょう牡丹ぼたん。一人、口の端を上げる陽向ひゅうが


「あれ……グロすぎだろ……」


 想葉が呟く。自慢の綺麗な黒髪がグチャグチャになるほど頭をかく。

 彼の人間らしい行動に、陽向がまたわらう。


「まあいいや。次は誰を処刑する?」


 先ほどの縁の死を何とも思わぬ陽向。想葉は心の中で呟く。


陽向が人狼なのは確実だけど……)

「取りあえず話し合おう。夜までの時間を無駄にしたくないだろ」


 唐突な会話の開始だった。皆、眉をひそめる。

 これは無自覚か、作戦か。


「まあ、そうだわ……で、どうすんの」


 常葉がため息をついたとき、照が「あーの、いいか」と小さく手を挙げる。

 皆が首肯しゅこうする。


「縁が死んだ後、牡丹、何か落ち着かない様子だった気がする。何か考え込んでるみたいに見えたのは、俺だけ?」


 牡丹が一瞬肩を竦める。他プレイヤーは、昨日の様子を思い出す。

 陽向が口を開いた。


「俺も思った。お前、処刑の間ずっと黙ってたのに、終わった途端に何か言いたそうだったよな?」


 陽向が牡丹の方を見やる。彼は首を横に振っていた。だが、その顔は青ざめている。

 陽向は、牡丹が落ち着いていない、と言いたいのだ。


「情緒不安定なの?」

「俺が落ち着かないって? そんなの当たり前だろ! 人のあんな死に方を見て、すましていられるやつなんていねえ!」


 実際には牡丹の意見が正しい。だが、答え方はまるで、叱られて言い訳をする反抗期の子供だ。一六歳だから仕方ない、というのはあると思う。だが、夜明けからすでに時間は経っていた。


「あたし、牡丹が処刑後にこっそりどこかへ行こうとするのを見た気がするんだけど……気のせい?」


 それは、夜明け頃の話。


 🐺 🐺 🐺


 縁の処刑が終了し、プレイヤーが洋館に戻っている最中。


 牡丹は、落ち着きなく辺りを見渡していた。主に見ていたのは、崖がある南東である。

 時折り彼は、数歩だけだが、集団を離れた。


 そんな牡丹の不可解な動きを見て、常葉は首を傾げる。


(どこか行きたがってる?)


 🐺 🐺 🐺


 そのことに気づいていたプレイヤーは、他にもいた。皆、驚くそぶりを見せず、ただ冷酷に牡丹を睨む。


「お前、夜にどこ行こうとしてたの。逃げようとしたんじゃないの?」


 年下男子、想葉の生意気な発言に、牡丹は舌打ちをする。そして、座ったまま、ドンと足踏みすると、


「違う! ただここに戻る途中で、外の空気が吸いたくなっただけだ!」


 とか、意味不明な言葉を放った。



 数分後、室内に、またあの機械音声が流れる。


《投票の時間になりました。プレイヤーの皆様は、処刑する人を決めて下さい》


 目を泳がせる牡丹を見て、陽向は嗤いが止まらなくなりそうだった。

 他のプレイヤーは、ただ牡丹を、冷徹に、冷酷に睨む。


 牡丹は考える。


(最初に疑いをかけたセンパイ……センパイだ……)


 なお、彼は照のことを「センパイ」と呼ぶ。

 照は考える。


(分かりやすかったな……申し訳ない、可愛い後輩)


 陽向は考える。


(もうちょっと計算できなかったのかな。役立たず)


 常葉は考える。


(さっきの言動、態度、夜明け……うん、そうよね)


 想葉は考える。


(演技が下手だったなあ。感情に振り回されてたし)


 誰も迷うことはなかった。すぐに全員が書き終え、また耳障りな機械音声が流れる。


《皆様の回答を見て行きます。照様から順番に、牡丹、牡丹、陽向、牡丹、牡丹》


 昨日の縁とは違い、牡丹は目を泳がせつつ、大きなリアクションはしない。


《本日処刑されるのは、四票を獲得した、牡丹様です。処刑方法は、火炙り》


 想葉は顔を上げた。首を傾げる。


(昨日と処刑方法、違うんだ……取りあえず、牡丹で安心)


 今日も、入口に近かったプレイヤーから順番に退室する。今日は手錠は要らない。陽向は最後に牡丹を嗤い、嘲笑あざわらう。


(死ぬもんか)


 最後尾の陽向から数メートル距離を取り、牡丹は歩く。

 陽向が眼鏡を落とした。視力の低い陽向だから、この暗闇の中、裸眼らがんなら……。


 牡丹は処刑台──ではなく、南東の崖の方に走った。

 誰も振り向いていないのを確認して、木々の間を駆け抜ける。


(俺は逃げ切る! 村を出て……!)


 ここから崖までは二、三十キロメートルだ。一晩あれば着ける。そうすれば、村を抜けて、殺されずに済む。

 それだったら、逃げるしか。逃げるは恥だが役に立つとか、どこかで聞いたことがある。


 生きるためなら、手段を選ばない。

 潔さは今要らない。こういうたちの悪さも、きっと必要だ。


(俺は汚い人間だ。だが、死ぬよりはましだよな)


 🐺 🐺 🐺


 最初のうちは、冷たい夜風が顔を切り裂き、耳元で木々がざわめく音が聞こえていた。

 足元は次第に重くなり、膝を曲げる度に足首に鋭い痛みが走る。

 気づけば、月明かりが雲に隠れ、辺りは一層暗くなっていた。


「まだ……まだ……」


 疲れた身体にむちち、息を荒げながら走る。

 目の前の道が長く、遠く感じる。その先に崖が見えるはずだと信じ、ひたすら走るしかない。

 足元に転がる小石や枝を踏みしめる音が、闇の中で異常に大きく響く。


 一度だけ、立ち止まりたくなる瞬間があった。冷たい風が顔を撫で、心臓の鼓動が耳許で鳴る。

 だが、すぐにそれを振り払って再び走り出した。


 崖に着けば、逃げられるはずだ。あの場所さえ越えれば、この恐怖から解放される――そう信じて。


 走り続けること数時間、周囲の音が次第に遠く感じられるようになった。

 木々の間をぬって足音が響き、風に乗った枝の音が空気を裂く。

 静けさが支配する時間帯へと突入していた。


 夜が明ける手前、空は少しずつ青みを帯びてきた。

 微かな橙色の光が遠くの空に広がり、牡丹は思わず視線を上げてその景色を見た。


 少しだけ、足を緩め、呼吸を整える。崖が見える。ここまで来れば大丈夫だ。もう少し――。


「ここまで来れば、大丈夫だ……」


 彼はその一言を呟き、顔を上げた。

 崖の先に見える広大な景色に胸が躍り、これで助かったのだと確信した。


 しかし、その静けさに包まれた一瞬が、逆に彼にとっての恐怖の始まり。


 無意識のうちに、彼はゆっくりと足を止め、息を整える。しかし、今まで感じたことのない「違和感」が背筋を走った。

 薄暗い中で、どこかから視線を感じる。

 その目線がゆっくりと背中に迫り、牡丹は何かに引き寄せられるように振り返った。



 そこに立っていたのは、陽向だった。



「――何で……!?」


 牡丹は思わず声を漏らした。陽向は静かに歩いて近づいてきて、冷徹な目で彼を見据えている。その顔には、どこか冷笑を浮かべていた。


「逃げて助かるとでも思ったか?」


 その言葉は、牡丹の体を氷のように凍らせた。


 彼は気づかなかった。陽向が追ってきていたことに。

 全てを振り切ったつもりでいた。だが、その現実に直面し、恐怖が牡丹の体を支配する。


 陽向は銃を取り出すと、ゆっくりと引き金に指をかける。その音が、まるで周囲の静寂を切り裂くように響いた。


 牡丹は、顔を歪めて言い返す。


「お前……! 何もかも知ってるくせに、俺を追い詰めるつもりか!」


 陽向の瞳は、鋭く輝きながら、冷酷に言葉を返す。


「追い詰めてるつもりなんてないさ。お前が自分で落ちていっただけ」


 その言葉に牡丹の心はさらに乱れ、全身が震えた。


 どうしても逃げなければならない。その一心で、牡丹は崖の先に向かって一歩踏み出す。

 だが、陽向の冷徹な足音がまた一つ、近づいてきていた。


「逃げられると思ったか?」


 牡丹はそのまま力強く走りだす。

 しかし、陽向の足音が背後からどんどん迫る。途中で振り返った瞬間、陽向の目が鋭く光るのを見た。

 彼の顔には一切の焦りはなく、まるでゲームのように、見下ろすような笑みを浮かべていた。


「無駄だ。お前、最初から逃げられなかったんだよ」


 牡丹は足を止め、必死に声を荒げる。


「お前だけは……お前だけは絶対に許さない!」


 陽向は肩を竦める。


「許してほしいなんて思ってないよ。逃げるのはお前だろ?」


 その時、陽向は一歩踏み込むと、引き金に当てている手の力をさらに込めた。

 牡丹は目を見開き、息を呑む。


 まさか、こんなにも簡単に終わるのか。自分の命が、たった数秒の間に決まってしまうのか。


「俺は――」


 牡丹が言葉を詰まらせたその時、陽向はにやりと笑った。そして、銃の引き金を引く。


「終わりだ」


 牡丹は動けなかった。目の前が真っ暗になり、次の瞬間、冷たく鋭い痛みが全身を貫いた。

 彼はそれを理解する暇もなく、静かにその場に崩れ落ちた。



 陽向は無言で牡丹の遺体に近づき、冷ややかな目でその亡骸を見下ろす。

 既に息絶えているが、その顔にはまだ恐怖と絶望が色濃く残っていた。


 陽向は無表情で、ゆっくりとその手を伸ばして、牡丹の身体に触れた。


「馬鹿だな」


 陽向は何かを見下ろすように呟くと、無造作に足を一歩踏み出して、牡丹の胸許むなもとにひどく蹴りを入れる。

 その衝撃で、牡丹の体は不自然に反り返り、血の跡があちこちに広がった。


「お前が逃げ切れる可能性なんて、最初からなかったんだ」


 無駄な言葉を続けることなく、持っていた銃を再び取り出して、亡骸に向かってさらに一発、銃弾を放つ。

 その音が夜の静寂を破り、牡丹の体にさらに深い傷が刻まれる。


「本当に、最初から逃げられると思ってたのか?」


 冷ややかな笑みを浮かべながら、倒れた牡丹の上に立ち、その足元に血が広がっていくのをじっと見つめていた。


 その場面は、どこまでも無感情で、まるで人間の命が無価値なものとして扱われているように見える。


 陽向は一歩後退し、肩を竦めると、再び振り返りながら言う。


「これでまた役立たずが一人減った」


 その後、陽向は振り向きもせず、背を向けて歩き去る。

 暗闇の中にその足音が響き、牡丹の血塗られた遺体だけが、ひっそりと月明かりの中に残されていた。


 🐺 🐺 🐺


「遅かったわね」


 陽向が村まで帰って来たのは午後のことだった。すでに太陽は西側に傾き出している。


《牡丹、死亡。なお、牡丹様の役職は狂人でした》


 無感情なアナウンスが流れる。


《今から、占い師のターンが始まります。今から、占い師以外の方の視力を奪います》


 陽向たちの視界は、闇に覆われた。

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