第4話

「ちょ、ちょっと。今から飛ぶの? 飛行計画は?」


 コンビニで買ってきた湿布とカイロを助手席の僕に渡して、アキオは飛行自動車のパネルをポチポチと操作した。


「送った、今。とりま湿布腕に貼って、カイロ腹につけとけ。冷えっから」


 それ、ほとんど送ってないのと同じじゃん。

 言われた通りに湿布とカイロを貼りながら、アキオを横目で見つめる。


 飛行自動車の飛行計画の報告は、やむを得ない場合を除いて最低でも三十分前の送信が基本だ。守らないと当然違反切符の対象、最悪免停になるのはサンタ志望者の常識中の常識。


 明日は大事な試験なのに、そうまでして何がしたいの?

 アキオの考えてる事が全然分からない。


 アパートの駐車場から飛び立って約十分。


 言葉を交わさないまま、明るい街中の灯りを見下ろしていると、アキオが唐突に口を開いた。


「第一問。オレらが初めて会った場所は?」


「も、問題? なんで?」


「テストだよ。良いから言ってみ?」


「岩井広瀬大公園でしょ?」


「ブッブー。ハズレ」


「えぇ? だって君がナンパしてきたんだよ。ユキのサンタだからって言った!」


「……そうだけど、ちげーわ」


 なぜか不満げなアキオの一言で会話は途切れて、車内がまたしんと静まり返る。ちがうって、何。ホントにわけ分かんない。



 お互い一言も言葉を交わさないまま、四十分。

 飛行自動車はようやく高度を下げた。徐々に下の駐車場に近づいてすとんと着陸した。


 降りてすぐ、腕輪デバイスのフラッシュライトで建物を照らして、あっと思わず口を塞いだ。


 もう誰も住んでいない、一軒の空き家。

 窓ガラスも割られて、傾いたボロボロの家の表札に「石河」の文字が刻まれている。


「ぼくの、家」


 覚えて、いる。

 全部。何もかも、全部。

 忘れるはずなんてない。


 でも、これが問題の答え?


 目の前のアキオの顔が、あの頃の景色と激しく重なる。


 小太りでヤンチャな、男の子。


 僕の人生でたった一人だけ。

 を教えてくれた、大事な人。


「君、だったの?」


 僕の問いかけにアキオは「だよなぁ、ま、気づいてねーよな」と苦笑いして、続けた。


「じゃー第二問。オレがサンタになりたい理由は?」


「僕に、カンケーある?」


「そう。オレ的にチョー配点高いモンダイ」


 そう言われてもさっぱり思い当たる節がない。

 あの子の将来の夢はサンタじゃなくてサッカー選手だったし、大人のアキオは僕に会った時からもうサンタを目指していた。


 戸惑っていると、痺れを切らしたのかわざとらしい咳払いをしてアキオは言った。


「サンタのプレゼント欲しいって言ったんだよ。ユキが」


「僕が?」


 僕の家にサンタクロースはいなかった。


 だからみんながうらやましかった。プレゼントを自慢するクラスメイトも、ピカピカのゲーム機も、シューズも、イヤリングも、優しい家族も、全部全部うらやましかった。

 でも、誰にも言わないようにしていた。これは恥ずかしい気持ちで、素直になると親に叩かれるって分かってたから。


 あの頃話した事は、ほとんど覚えていないけど、幼い僕なら一番の仲良しだったアキオになら話しても良いって思ったのかもしれない。


「だからオレ、クリスマスにユキの家行ってさ。けど、渡せなかった。間に合ってねぇの、ダセェってな、マジ」


 そう自分を嘲笑ってアキオが言う。

 クリスマスには、僕はもうあの家から去っていた。


 神様ってヤツはとことん意地悪らしい。


「あれからココに何回か来たけどユキに全然会えないわ、中坊の時にユキの学校出身のヤツ全員に聞いて回っても誰も知らなくてさ。でもまあ、やってるとちょっとずーつ情報も集まってくるんだわ。で、高校卒業したらその情報頼りに列島横断してユキ探しできるかなーって思ったワケよ」


「ちょ、ちょっと待ってよ。まさか僕に会いたいからって、日本中探し回るためにバックパッカーしてたの?」


「……キメェだろ」


「まあ、ちょっとキモい」


「だーよなぁー。だから言いたくねーのよ。でもユキ全然気づかねーし、なら別にそれで良いかぁって、ちょっとなってたけど」


 照れくさそうに赤鼻をすすって、アキオは言葉を続けた。


「んじゃあ、ラスト。これ、なーんだ」


 ベルベットの白い小箱。

 ライトで照らしながら開いて、驚いた声が漏れる。


 光に反射して輝く、雪の結晶のネックレス。

 今まで見たどんなアクセサリーよりもきれいで、眩しい。


「だ、黙るなァ!! なんか言えや!!」


 ネックレスに見惚れて黙り込む僕に、アキオがいきなりキレ出した。


「や、その、フツーにびっくり、して」


 素直に言うと、アキオは急に目を泳がせて「ホントは合格したら言うつもりで……。やっぱあのオヤジ一発殴っときゃよかったな」と、ブツクサ物騒な事を呟いていた。けれど、やがて観念した顔で改めて僕の方に向き直った。


 いつもと違う。

 真っ直ぐで真剣な眼差し。


 本気、なんだ。


 急に向けられた熱い気持ちに、気恥ずかしさが込み上げてきて、俯いてしまう。

 僕はそんな風に思われる人間じゃないのに。


「僕、汚いんだよ。お金でオジサンと寝ちゃうヤツだよ」


「は? オレなんかユキで千回抜いたわ」


「ちょ、はぁッ?! ば、バカ! 何してんの?!」


「そんぐらい余裕でやるわアホ! 一目惚れしたヤツにあんな事されて抜かねー奴いねーから!」


 さすがに自分が無神経で言い返せない。

 でも、僕だってアキオって気づいてたらあんな事しなかった!


 アキオの気持ちが本当に本当かもしれないって言うのは、分かった。


 でも、僕はどうしていいか分からない。

 愛ってモノが分からない人間だから、アキオと同じかどうか判断できない。

 アキオの隣にふさわしくない人間だから、ためらってしまう。


 黙り込んだまま俯くだけの僕に、アキオは口をお得意のへの字にして「わぁーたよ。じゃあ、そのネックレスだけ受け取れ。二十年分のプレゼントな」と無理やり小箱を押し付けた。


「オレは気持ち変わんねーから。何年でも待ってっから。少しずつでいいから、好きになってくれますか」


 僕よりもずっと大きい手で、アキオは小箱を持つ僕の両手を包み込んだ。


 アキオの心臓のドキドキが手から伝わってくる。

 マッチの灯りよりもずっと暖かい温もり。


 小さくうなずくと、目からこぼれ落ちた涙が雪と一緒にまたたきながら遠くの空へ流れていった。

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