第3話

 サンタ試験がとうとう明日に迫った二十一日の夜。


 ギリギリまで根詰めて勉強しているアキオのために、コンビニへ肉まんを買いに行こうとふと思いついた。


 アキオの大好きな極み肉まん。

 おまけにコンポタのホット缶も。

 さっさと会計を済ませて、アパートまでの道を急ぐ。


 雪が少しだけちらつく上空は、飛行自動車がまばらに飛んでいた。

 地上の方は、人もいなければ車もほとんど走っていない。

 街路灯の下で、僕だけがしんと静まり返った道に立っている。


 アキオ、喜んでくれるかな。


 ワンコみたいに肉まんにがっつくアキオを思い浮かべながら買い物袋を揺らして歩いていると、ふと、向こう側に黒い人影が見えた。

 地上車の近くに立つ、黒服の痩せた怪しいオジサン。迂回しようか。迷っている内に僕に気がついて、気持ち悪い千鳥足でこっちに近づいてきた。


「ねぇ、キミ。ユキちゃん、だね」


 僕の、名前。

 ぞくりと背筋が寒くなる。


「やっぱりぃ、そ、そうだぁ。ボク、ボクねぇ、誰だか分かるぅ?」


「えぇっ、だ、誰?」


「ユウジだよぉ。ユ・ウ・ジ。お、覚えてるでしょ。ご、五星ごせいで会ってさぁ。キミをぉ探してさぁ、来たんだよねぇ……」


「は、はぁ? なに言ってんの」


「わざわざ探偵使ってね、ユキちゃん探してぇ。あぁでも、今さぁ、お、オトコといるんだってぇ? ひどいなぁ、ひどいよねぇ。ボクとさぁ、毎日ハメハメしてたのに。かぁわいかったなぁ、ユキちゃん」


「や、やめて……!」


 オジサンがニタァと口の端を上げて笑う。


 嫌な思い出が一気にぶり返す。

 僕がまだ高校生だった時——お金に目が眩んでた馬鹿な子供の時に知り合ったオジサン。


 デートしてくれたらお金をあげる。


 甘い言葉に釣られて。

 褒められて気分が良くなちゃって、それで僕は——。


「僕ぅ、お金増やした。株でゴリゴリ増やしてぇ、ユキちゃんの為だよ? また一緒になれるからさぁ。ね、ね、いこうよ。寝る所ないんでしょ。悪いオトコに言い寄られて、困ってるんでしょ。ボク、マンション買ったんだ。キミのために。お金あげるから、今度はずーっといっしょ。結婚して、永遠にいっしょ。でね、ユキちゃんが大好きなセックスも毎日しようよ。素敵だ。素敵だなぁ。いいなぁ」


「やだ……いやっ……!」


 オジサンが僕の腕をがっしりと掴んだ。痛い。暴れてもさらに力が強くなるだけだった。逃げられない。狂気に染まったオジサンの顔。鼻先まで近付いて「ひっ」と声が漏れた。


 ああ、そうだ。

 今までがきっと、おかしかったんだ。


 これが僕の普通の日常。

 マッチの灯火がいつか消えてしまうように、僕の長い幻も今日で消える。



「ねぇ、ユキちゃ……ヘブッ!!」



 突然、オジサンが道路に吹っ飛んだ。

 豪快に尻餅をついて「ギヤァ」と頭を抱えてうずくまるオジサンを見て、僕も何が起きたか分からずポカンとなる。


「な、なんだぁ、き、キミはァ?!」


 叫ぶオジサンの視線が僕の背後に向けられる。

 誰? 振り返って僕はまた唖然となった。そこにはダウンを着たアキオが立っていたから。


「テメーこそ誰だよ。ゲス野郎」


「ボっ、ボクはぁ! ユキちゃんのぉ、カレシだぞぉ! なのに、お、オマエはボクを、足で蹴ってぇ、う、訴えてやるぅ!」


 僕を庇うように前に立ったアキオに、オジサンがまた痛々しく叫ぶ。その瞬間、アキオはオジサンの胸ぐらを掴んで、ゴミを見るような目で睨み付けた。


「だったら仲良くサツ行こうか。どっちがクロかハッキリさせようや」


 僕ですら恐いと感じるアキオの脅しに、オジサンの顔がみるみるうちに青ざめていく。「ひっ、ヒィッ!」とうとうオジサンは甲高い叫びを上げて、ゴキブリみたいな素早さで逃げて行った。


「あぁ?! 逃げんなゴラァ!!」


「待ってアキオ! 車のナンバー、覚えたから」


 追いかけようとするアキオを慌てて引き止める。


「お前すげぇーなぁ、やっぱ。帰りおせーなぁーって来てみたら、カンイッパツってヤツ? てか腕オニ腫れてね? 痛む? 病院行こか?」


 僕の腕を見て急にオロオロし始めたアキオに、僕は、首を小さく振った。


 オジサンのお陰で気づけた。

 僕は、アキオ側の人間じゃない。


「あれ自分が蒔いた種ってか、完全に自業自得だから。汚いんだよ、僕。昔パパ活やってたの。あのオジサンの相手、してたんだよ」


 アキオは、否定も肯定もしなかった。

 ためらいがちに僕に言ったのは、思いもしない一言だった。


「知ってるよ」


 知ってる?


 頭から血の気が引いて手が震えだす。


 知ってるって、ぜんぶ?

 だから僕の名前も、お金の為に身体売ってた事知ってたから、近付いたって、こと?


「じゃあ何。弱み握って、僕を飼い慣らして玩具にしたいって、そういう事? それともカワイソウな人間に同情でもしてた? 君、そうならサイアクだ。一番クズでサイテーだ!」


 アキオはへの字に口を曲げて、あの顔で僕を見つめた。

 なんだよ。なんでそっちが傷ついたみたいな顔、すんだよ。


 ムカつく。全部、ムカつく。


「僕が汚い人間って分かってるんなら変に優しくなんてすんなよ! もう、僕のことなんか放っといてさぁ……」


 どっかいってよ。


 最後の言葉が、言えなかった。

 喉が熱くなって、つっかえて、言えなかった。


 だから「もう知らねー」って、いつもの短気で怒って欲しかった。

 なのにアキオはただ、困り顔で頭をぽりぽり掻いて答えをためらっていた。


「はぁ……こりゃ、しゃーなしか」


 長ったるい息を吐いて、アキオは僕に言った。


「ユキ、ちょっと付き合え」

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