第2話 メタバース難民キャンプ
「この作品は人間性を否定している」
「こんな作品を作る奴の気が知れない」
「炎上して当然」
「通報済み」
大学のギャラリーに展示された僕の作品『デジタルの牢獄』を撮影した画像が、SNSで拡散されていく。スマートフォンの画面に映し出される無数の罵詈雑言が、まるで投石のように僕を打ちのめしていった。
作品は、スマートフォンの部品で作られた巨大な檻。その中に、青い光に囚われた人々の群像を配置したインスタレーションだった。皮肉なことに、デジタル社会における人間性の喪失を表現したその作品が、デジタルの群衆によって引き裂かれ、僕自身を社会から切り離す結果となった。
渋谷のスクランブル交差点に佇み、僕は行き交う人々のスマートフォンの光を見つめていた。青白い光は、まるで魂を吸い取る蛍のように、人々の表情を照らしている。
支援センターのカウンセラー、山下さんの言葉が頭をよぎる。
「日向くん、現実逃避は一時的な安らぎでしかありません」
その時、スマートフォンに見慣れない通知が届いた。
『避難所「エターナル・シェルター」──デジタル世界の片隅で、あなたの居場所が見つかります』
その広告文に、どこか救いを求めるような気持ちで、僕はログインボタンを押した。
***
「初めまして、スカイくん。私はルナ」
青い光が溶けるように消え、そこには江戸情緒と未来が溶け合ったような空間が広がっていた。路地には提灯が揺れ、古い木造アパートの軒先にはホログラムの風鈴。その幻想的な光景の中で、猫耳のアバターをまとった少女が微笑んでいる。
「ここは、現実に疲れた人たちの避難所よ。私たちは、互いの本名も過去も問わない。ただ、今を生きるの」
彼女──Lunar_Catの声には、どこか懐かしさと新しさが混ざり合っていた。後に佐々木美月と名乗ることになる彼女は、シリコンバレー志望だったIT女子。極度の面接不安から就活に失敗し、この世界に逃げ込んでいた。
エターナル・シェルターには、様々な「難民」たちが暮らしていた。
企業のリストラに遭った中年エンジニアは「Galaxy_Knight」として、若者たちにプログラミングを教えている。重度のSNS依存症の女子高生「Pixel_Girl」は、承認欲求の呪縛から逃れ、純粋な自己表現を模索していた。介護疲れで限界を感じた主婦「Time_Walker」は、この空間で本来の自分を取り戻そうとしていた。
僕は「Blue_Sky」として、この空間のビジュアルデザインを担当することになった。そこでは、現実で否定された僕のアート性が、むしろ称賛された。デジタルと和風の融合、過去と未来の交差、その全てを自由に表現できた。
「このデザイン、まるで魂が踊ってるみたい」
ルナの言葉に、心が震えた。現実では理解されなかった表現が、ここでは確かな共感を生んでいた。
平穏な日々は、突然の通告で崩れ去った。
「全住人に告知します。本システムは政府主導の社会復帰実験として、その役目を終了します。『現実世界送還プログラム』を実施します。プログラム開始まで、残り168時間」
青く輝く街並みが、一瞬歪んだように見えた。
混乱が広がる中、ルナが秘密のチャットルームに住人たちを集めた。
「私たち、このシステムの深層に新しい避難所を作れる」
彼女の提案は、デジタルレジスタンスの始まりだった。
Galaxy_Knightのハッキング技術、Time_Walkerの心理カウンセリング、Pixel_Girlのソーシャルハック。それぞれの知識と経験が、新たな希望を紡ぎ出そうとしていた。
僕は新しい避難所のデザインを託された。そこには、デジタルと人間性が共存する世界。SNSの投石に傷ついた魂を癒す、新しい形のギャラリー。現実とバーチャルの境界線上で輝く、幻想的な空間。
しかし計画を進める中で、僕たちの内側で変化が起きていた。
「スカイくん、私ね、最近思うの。逃げることも大切だけど、その先に何かがあるはずだって」
ルナの言葉は、デジタルの仮面の向こうにある、本当の想いを伝えていた。
作戦実行の直前、システムからの予想外の通達が届く。
「全住人へ。当システムは、皆様の成長を確認しました。以下の選択肢を提示します」
完全送還か、週末だけのログイン継続か、現実とバーチャルの併用か。その選択は、私たちの「覚悟」を問うものだった。
***
初夏の渋谷。待ち合わせ場所のカフェで、僕は彼女を待っていた。
「日向くん?」
猫耳こそないものの、その微笑みは紛れもなく「ルナ」のものだった。
「佐々木さん...いや、美月さん」
テーブルの上には、僕の新しいアートプロジェクトの企画書。今度は、デジタルと現実の共生をテーマにした展示会。かつて僕を傷つけたSNSを、今度は新しい表現手段として取り入れようとしていた。
「私も、ITを使って人々の居場所を作りたいの」
彼女もまた、自分なりの答えを見つけていた。
スマートフォンには、週末のシェルターログイン告知が届いている。今、あの空間は新たな避難者たちの一時的な居場所となり、かつての難民たちは案内人として、揺れる魂たちの道標となっていた。
窓の外、スクランブル交差点を行き交う人々のスマートフォンの光が、以前よりも柔らかく、温かく見えた。それは、デジタルの牢獄から解放された僕たちの、新しい世界の始まりを告げているようだった。
(終)
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