『Digital Ghost Stories -デジタルの隙間で-』
ソコニ
第1話 デジタル幽霊屋敷
第一章 - アプリ世代の恋
「もう!また間違えた!クソッ!って...あれ?なんで電卓が起動してるんだ?」
「拓也くん、それQRコードを読み取るカメラアプリじゃなくて、電卓アプリだよ」美咲は吹き出しそうな笑いを必死で堪えている。
「え?じゃあこの計算結果の『114919810』って数字は...」
「ね、ねぇ...拓也くん、その数字、横にして読んでみて?」
「え?...あ!『おばけやしき』になってる!これは暗号か!?」
「違うよ!それただの偶然!」今度は美咲も耐えきれず笑い出してしまった。
山田拓也は、指先が震えるほど焦りながら、スマートフォンの画面を睨みつけた。画面からは青白い光が彼の困惑した表情を照らしている。隣では彼女の佐藤美咲が、くすくすと笑いを抑えているが、その笑顔には優しさが滲んでいた。
六本木の雑踏を抜けた裏通り。夕暮れ時の空が紫色に染まり始める中、ネオンサインが煌びやかに輝く『幽霊屋敷2.0』の入り口に、二人は立っていた。行列の最後尾から、ぽつりぽつりと不安げな悲鳴が漏れ聞こえてくる。
「拓也くん、QRコードを読み取るだけだよ。ほら、カメラマークを押して...」
「わかってる、わかってるんだ。でも、この画面のどこを押せばいいのか...何で昔みたいに切符じゃダメなんだ」
拓也の額には汗が滲み、スマートフォンを握る手に力が入る。周りでは、高校生らしいカップルがテキパキとアプリを起動し、すでに入場を済ませていた。その光景が、さらに彼の焦りを煽る。
「私が手伝おうか?」
美咲が身を乗り出し、シャンプーの柔らかな香りが拓也の鼻をくすぐった。
「いや、自分でやりたいんだ」
意地を張る声が、少し裏返る。
システムエンジニアの美咲は、両手の指でスマートフォンを操る姿が様になっていた。黒縁メガネの奥の瞳が画面の明かりで輝くたびに、彼女の表情が生き生きとしていく。一方、町工場で機械整備士として働く拓也は、エンジンの音を聞いただけで故障箇所がわかるほどの腕前なのに、このたかがスマートフォン一つに手こずっていた。
「見て!あそこにお化けが出てる!」
突然の美咲の声に、拓也は思わず飛び上がった。同時に、後ろに並んでいた高校生カップルにぶつかり、相手の男子生徒が持っていたクレープが拓也の頭に落ちた。
「うわっ!本物のお化けが!」と叫ぶ女子高生。
「いや、これはただのホイップクリームまみれの僕です...」拓也は顔中についたクリームを必死で拭う。
「でも、アプリで見ると...」美咲はスマホを拓也に向け、「あ!クリームまみれの拓也くんと幽霊が完全にシンクロしてる!」
画面の中では、白い物体に覆われた拓也の姿が、まるで本物の幽霊のように見えていた。周りの来場者たちが次々とスマホを向け始める。
「ちょ、ちょっと待って!これSNSにアップしないでください!」
「えっ?どこ?どこだよ?」
首を巡らせて周囲を見回すが、そこには入場を待つ人々の姿があるだけだった。
美咲はスマートフォンの画面を通して見える青白い霊体を指さしている。画面の中では、江戸時代の着物を着た女性の霊が、首を不自然な角度で傾けながら、にやりと笑っていた。
拓也の画面には、真っ赤な文字で『エラー:アプリケーションの起動に失敗しました』の文字が点滅するだけ。僅か数センチの距離で、二人の見ている世界は全く異なっていた。
第二章 - デジタルの壁
「拓也くん、急いで!こっちよ!」
美咲の声が、薄暗い廊下に響く。天井から漏れる青みがかった照明が、二人の影を不気味に歪ませていた。
床から壁へと這い上がるように投影された血のような赤い手形が、美咲の足元をなぞっていく。彼女のスマートフォンには、ARで描かれた幽霊たちが次々と出現し、彼女は時折小さな悲鳴を上げながらも、確かな足取りで進んでいった。
「うわっ!」
突然の振動に、拓也はスマートフォンを取り落としそうになる。画面には『バッテリー残量20%』の警告が表示されていた。
「なあ、この先どうなってるんだ?」
汗ばんだ手のひらで画面を拭いながら、拓也は後を追う。
「アプリに地図が出てるでしょ?」
「あ、ああ...」
実際には、拓也の画面はとっくにフリーズしていた。
通路の突き当たりに、等身大のLEDパネルが設置されている。美咲が画面をかざすと、血まみれの花嫁が泣きながら現れ、「私の指輪...私の指輪を探して...」と囁いた。
「わあ、ここでクエストが始まるんだって!スマホのカメラを使って指輪を探すの!」
美咲は興奮した様子で説明するが、拓也の表情は曇るばかり。
「なあ、美咲」
通路に漂う甘い香りの中、拓也が重い口を開く。
「僕たち、こんなんでいいのかな」
美咲は画面から目を離し、拓也を見つめる。LEDの明滅が、彼女の困惑した表情を浮かび上がらせる。
「どういうこと?」
「僕、君についていけてる気がしないんだ。デジタルの世界で。君は前を見て進んでるのに、僕はいつも画面と睨めっこで...」
言葉が喉に詰まる。
その時、施設内の照明が一斉に消え、二人は漆黒の闇に包まれた。美咲の持つスマートフォンの画面も、突如として暗転した。
第三章 - システムダウン
「システムに異常が発生しました。現在、復旧作業を行っております。しばらくお待ちください」
機械的な女性の声が館内に響き渡る。あちこちから悲鳴や困惑の声が上がり始めた。
「困ったなぁ...アプリが全然反応しない」
美咲が不安そうに呟く。暗闇の中、彼女の声が少し震えている。
「大丈夫、落ち着いて。まずは...」
「わかった!まずスマホの再起動!」
「いや、そうじゃなくて...」
「だめか...じゃあアプリの再インストール!」
「美咲...」
「あ!クラウドからのデータ復旧!」
「美咲!今は電気が止まってるんだよ!」
「...あ」
暗闇の中で、美咲は自分のデジタル依存症に気づき始めていた。
「私ったら、停電の時でもスマホをいじろうとしてた...」
「まあ、君らしいといえば君らしいけどね」拓也は優しく笑った。
周囲からは「スマホも動かない!」「出口はどっち?」という声々が重なっていく。
その時、小さな光が闇を切り裂いた。
拓也がポケットから取り出した、黄色い工具用ペンライトだった。
「工場で使ってるやつなんだ。壊れたエンジンを見るときに使うから、いつも持ち歩いてる」
拓也の声には、初めて自信が感じられた。柔らかな光が二人の周りを照らし、天井の配管や非常口の表示が浮かび上がる。
「すごい!」美咲が感嘆の声を上げる。「私たち、唯一の光源持ってるかも。他の人、スマホの充電が切れかけてるみたい...」
確かに、周りではスマートフォンのバッテリー切れを嘆く声が増えていた。暗闇の中で、ペンライトの光は、まるで希望の灯火のように見える。
拓也は少し照れながら言う。
「デジタルはダメでも、アナログな準備はできてるんだ。町工場で学んだことってさ、意外と役に立つんだよ」
美咲は、その言葉の重みを感じていた。普段は当たり前のように使っているテクノロジーが、こんなにも簡単に役立たずになってしまう。そして、彼女が時代遅れだと思っていた知識が、今、最も貴重なものになっている。
第四章 - 逆転のチャンス
システムダウンから15分が経過。施設内は完全な混乱状態に陥っていた。しかし拓也は、機械整備士としての経験を活かし、冷静に状況を分析していた。
「ほら、この配管の配置を見てごらん。工場でもこういうレイアウトはよくあるんだ。必ず出口に繋がってるはずだよ」
ペンライトで照らしながら、拓也は天井の配管を指差す。その声には確かな自信が宿っていた。
「本当に詳しいんだね...」
今度は美咲が拓也の背中を追いかける番だった。彼の背中が、いつもより頼もしく見える。
「あの、私たちも一緒に行っていいですか?」
暗闇から、若い女性の声がする。スマートフォンの明かりを頼りに、何人かの来場者が二人に近づいてきた。
「もちろん」拓也は即答する。「でも、スマホの光は消しておいた方がいいですよ。バッテリーの無駄遣いになります。この先まだ長いかもしれないし」
自然とリーダーシップを取る拓也。普段のぎこちない様子は、どこへやら。配管を目印に、慎重に一歩一歩進みながら、時折後ろを振り返って皆の安全を確認する。
「拓也くん、私ね」
美咲が小さな声で話しかける。暗闇の中、二人の肩が触れ合う。
「デジタルばっかりに頼ってた自分が恥ずかしいかも。便利な道具に頼りすぎて、本当に大切なものを見失ってた」
終章 - バランスの取れた世界へ
地下1階の非常口から、全員が無事に地上に出た時、東の空が白み始めていた。朝もやの中、救急車のサイレンと報道陣のカメラのフラッシュが、騒然とした雰囲気を作り出している。
施設の支配人・渡辺は、疲れた表情で二人に深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ございませんでした。お二人のおかげで、大きな混乱を避けることができました。心からお礼を申し上げます」
数日後、二人は施設から感謝状と共に、年間パスポートを贈られた。休憩室のソファに座り、パスポートを眺めながら、美咲が提案する。
「今度は一緒に楽しもうね。私がアプリの使い方を教えるから、拓也くんは非常時の対応とか、町工場での面白い話とか、いろいろ教えてね」
拓也はコーヒーカップを温かく握りしめながら答えた。
「うん。きっとそうやって、お互いの得意分野を活かしていけばいいんだ。デジタルもアナログも、どっちも大切なんだよね」
六本木の喧騒が聞こえる窓際で、スマートフォンを片手に持ちながらも、もう片方の手で繋いだ二人の手には、確かな温もりが伝わっていた。時折、画面の明かりが二人の表情を柔らかく照らす。デジタルとアナログ、新しい技術と古い知恵、それらは決して相反するものではなく、互いを補完し合う存在なのだと、二人は理解し始めていた。
cafe Wi-Fiに接続しながら、拓也は意気込んで宣言した。
「次は、僕もちゃんとアプリ、使えるようになるからさ!」
そう言って意気揚々とスマホを取り出した拓也だったが、画面のロック解除に手間取り始める。
「あれ?パスワード、なんだっけ...0721は美咲の誕生日、0428は俺の誕生日...」
「拓也くん、指紋認証使えるようにしたでしょ?」
「え?あ、そうだった!」慌てて指をかざす拓也。
「...反対の指だよ」
「いつもと違う角度だと分からなくなるんだよ!」
近くのテーブルの高校生たちが、その様子を見てクスクス笑っている。
「まあ、ゆっくり覚えていこう」美咲は困ったように微笑んだ。
「僕に足りないのは知識じゃなくて、センスなのかもしれない...」拓也は深いため息をつく。
「でも、さっきの非常時のセンスは抜群だったよ?きっとそのうち、デジタルセンスも追いついてくるはず!」
美咲は優しく微笑んで答えた。
「焦らなくていいよ。私たち、これからゆっくり一緒に歩いていけばいいんだから」
窓の外では、新しい朝の光が、デジタルサイネージとレトロな街並みを同時に照らし始めていた。
(終)
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