かなめに案内されたのは料亭の一室。


 縁側の向こうに広がる庭には手入れされた木々が青々と佇み、その所々に風鈴が揺れている。

 仕切りの襖は全面ガラス張りで、散りばめられた色ガラスは昭和レトロを感じさせた。

 さすがガラス細工の島、といったところか。涼子はその雰囲気に思わず目を輝かせる。


「これはこれは、良くぞ雲島においでくださいました。さ、どうぞ。ご時世柄コースではなくランチボックスですが、上手いですぞ。この店の煮凝りは」

 

 お猪口に日本酒を注がれながら涼子は正和を見た。既にうっすら頬が赤い正和は、想像していたよりふっくらしていて馴染みやすい見た目だ。

 

「今回の開発計画。お父様の会社にはスポンサーになって頂いて、ありがたいことです」

「いえ、わたくしは詳しく存じ上げませんので。ところで、この島には不老不死を名乗る不思議な方がいるとか」

 

 少しの間が空く。早く切り込みすぎたか、と涼子は不安になったが、正和は小さく笑った。

 

「私の旧友なんですがね。初めて見た時は何が起きたのかとびっくりしたものです。疑って色々調べましたが詳細はわからず。まあ、一種の村の名物ですな」

 

 変わり者で、あまり会うことは勧めないと正和は言った。

 

「昔は呪いなんて噂もありましたが、時と共に変わっていったようで。私はこの雲島を、明るい未来へと導きたいと思っているんですよ」

 

 正和は目の前にある料理の全てを一口ずつ食べると、満足したように箸を置いた。



(……本性なんて、全然わからないわ)


 

 しばらく他愛もない会話が続く。

 涼子は途中席を立ち、遥に助けを求めて電話をするも、二回目のコールで電源を切られてしまった。

 席に戻り、涼子は目の前のお猪口を一気に煽る。

 

「ほう、酒がお好きですか。おい」

 

 正和が手で合図をすると、かなめは部屋を出ていった。

 

かなめさんはどちらへ?」

「ああ、酒をね。そういえば青池事務次官をご存知だとか」

「はい。島での滞在場所もご紹介いただきました」

 

 なんとなく、空気が変わった。


 先程まで馴染みやすいと感じていた柔らかい笑顔のたぬき面が、途端に卑しげな目つきになる。

 

「今回の開発計画、青池事務次官にはとても親身に相談に乗ってもらっていてね。また今度改めて席を設けようと思うのだが、君も一緒にどうかね」

 

 正和はそっと、涼子の手に自分の手を重ねた。

 

「それは光栄ですわ。息子の政尚さんとも是非またお会いしたいですし。その時はご一緒に」

「……政尚?」

 

 正和の手が涼子から離れる。

 

「息子の政尚をご存知で?」

「ええ。東京で何度かお目にかかりましたわ」

 

 意味もなくついた涼子の嘘に、正和は反応した。

 

「きみ、この島にはなんの目的で? 観光ではないのかね」

「あ、いや」

 

 予想外の展開に戸惑う涼子。だが、今が攻め時だとも思った。

 

「悪い噂を耳にしたもので。父がこの開発計画のスポンサーをしている以上、少し調べ物を」

「なるほど。それはどういった噂でしょう」

「以前起きた火災で人が死んだ事件があるとか。それも、放火の疑いがあると聞きました。犯人は捕まったのですか?」

 

 ああ、と正和。

 

「三〇年以上も前のことです。それにあれは事故ですよ。不幸にも若夫婦と、産まれたばかりの子供が犠牲になりました。当時のことを思い出すと私も胸が痛みます」

「その火事の話をもう少し詳しく——」

「失礼します」

 

 勢いよく襖が開いた。

 

「申し訳ございません。本日出せるお酒はもう今出ている分で終わってしまったとのことです」

 

 かなめの言葉を聞いて、正和は残念だ、と席を立った。

 

「少々時間が短いですが、本日はここまでに致しましょう。帰りはかなめがご案内します。どうぞ島にいる間、ごゆるりとお過ごしください」

 

 では、と正和は床をきしませながらゆっくりとした足取りで出て行った。

 


(結局なにもわからなかったじゃない)


 

 料亭を出てからも涼子は悶々としていた。びいどろまで送るときかないかなめが、涼子の後ろを付いてくる。

 

「ねえ」

「はい」

「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

 

 涼子は振り返ると、意外と近くまでかなめが来ていたことに一瞬たじろいだ。

 

「なぜ無駄なことを気にするのかなって」

「無駄?」

「火事のことを訊いていましたよね? そんな自分が生まれるより前の話を聞いて、今更なんになるのですか」

 

 かなめは真面目な顔をしている。

 

「気になることは訊く主義なの」

「知って良いことなんかありませんよ。現に祖父は僕が割って入らなければ、もう少しで機嫌を損ねていたと思います」

「損ねたらダメなの? 人を知るには、その人の嫌なことを知れってよく言うでしょう」

「だから」

「あんたサボってんじゃないの?」

「……は?」

 

 突然不意を突かれたかなめは固まる。

 

「知らなくても良いっていうのはね、生きることの放棄なの。傷ついて苦しくても知ることをやめてはいけないのよ。もしやめてしまったら、それは息をしているだけの人形と一緒だわ」

 

 かなめはなにも言わない。

 透き通るように白い肌の要に、涼子の胸がざわついた。

 

「ちょっと聞いてるの?」

「やはり、あなたはこちら側の人間だ」

「え?」

 

 要の目の色が変わったので、涼子は慌てて話題を変える。

 

「あなた、あたしと一緒にいた女性をどこかで見かけなかった?」

「さあ。喧嘩でもしましたか」

 

 腕時計を確認すると、もうすぐ十五時を回るところだった。

 

「知らないなら結構。それじゃあ」

 

 涼子はかなめと話すよりも遥を探そうと思い立ち、その場から去ろうとする。

 そんな涼子をかなめは呼び止めた。

 

「松永様は僕たち神野の家がお嫌いのようですね。でも、慣れています。出る杭は打たれる。多くを得るものは恨まれるものです。松永様にも心当たりがあるのでは?」

「はあ?」

「僕たちは資産も名誉も、人より多く手に入れている。僕たちは同族なんです」

 

 かなめの異様な雰囲気に涼子が一歩下がると、背後から声がした。

 

 

「そうでしょうか。似ているのは悪い冗談が好き、ということくらいです」

 

 

 振り返ると、そこには無表情の遥。

 

「遥!」

 

 涼子は急いで遥に駆け寄る。

 

「お連れ様、見つかったようでよかったですね。では僕はこれで失礼しますよ」

 

 去っていくかなめの視線が遥を捉えることはなかった。

 

「お邪魔でしたかね。あのままだと涼子さんキレそうだったかなって」

「ちょっと! どこ行ってたのよ! なにも置いていかなくたっていいじゃない!」

「すぐに確認したいことができたんです。涼子さん、起こしたけどなかなか起きなくて。ていうかまたお酒飲んだんですか? 清八さんから何か話は聞けました?」

 

 二人に沈黙が流れる。

 

「涼子さん、今日何時に起きたんですか」

「十時……半、くらい?」

「この島にいる間はもう禁酒」

「おっしゃる通りに」

 

 涼子は項垂れた。

 

「それといきなりなんですけど、涼子さんのお父様に少し確認したいことがあって」

 

 再会も束の間。

 涼子は遥の表情を悟り、何も言わずに父親に電話を掛けたのだった。

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