正和

 雲島滞在 二日目——


 重い頭。重い瞼。窓から射す光にまぶしさを感じながら涼子は身体を起こした。

 

「十時……半……」

 

 時計を確認し、一気に目を醒ます。


 涼子は身支度をしながら遥に電話をかけるが、出ない。辺りを見回すと、テーブルにメモを見つけた。


【清八さんに会いに行く件は任せます 遥】


 そんなことを言われても、約束の時間はとっくに過ぎてしまっている。

 

「みのりさん! お、おはようございます。あの、遥を見ませんでしたか?」

「ああ、今朝早くにお出かけになりましたよ。六時くらいだったかしら。そんなに早く出かけても、どこも開いてないって言ったのだけれど」

 

 みのりは不思議そうに首を傾げた。

 

 とにかく。清八のところへ行きたいが、もう待ち合わせの場所には居ないだろうか。一人であの小屋に辿り着く自信はない。涼子は念のため、待ち合わせ場所へと向かった。

 

「……やっぱり。居ないわ」

 

 壁張蔵かべはりぐらは涼子を見下ろすようにそこに建っていた。

 

「なによ」

 

 心細さが、急に涼子を満たす。

 今まで自分が遥を引っ張っていたつもりで、一人になったらどうしていいかわからなかった。

 

「松永様?」

 

 名前を呼ばれ、振り返る。そこにいたのは神野剛士じんのつよしの息子、かなめだった。

 

「お一人ですか?」

「見てわからない?」

 

 沈んだ気持ちを悟られないように、つい愛想をなくしてしまう。いや、そもそも要にいい印象がないからだ、と涼子は自分に言い聞かせた。

 

「壁張蔵を見に来たのですね」

 

 要はそう声に出しながら壁張蔵を見上げた。

 

「立派な建物ですよね。この島に集落ができるずっと前から、この建造物だけはあったと言われています。誰がどうやって造ったんだか」

 

 要が思ったより穏やかに話すので、涼子は会話を続けた。

 

「管理はどなたが?」

「代々、我が神野家の持ち物です」

「あなたのお父様、この島の代表だっておっしゃっていたけど、名主の家の正和まさかずってどなたかご存知?」

「あれ。祖父をご存知なのですか」

「祖父?」

神野正和じんのまさかず。この島で祖父に逆らえる人は一人もいません」

 

 清八の話での憤りが沸々と湧いて来た涼子だったが、そんな事を目の前のかなめにぶつけたところでどうにもならないことは分かっていた。

 

「お祖父様ってどんな方なの?」

「祖父は偉大です。厳しいお人で、身内に笑いかけることはほとんどありません。この島の観光地開発計画も、島のためと言っておいて結局、反対住民には出て行ってもらう計画なのです。ご自身の名誉以外は無関心。自分の息子が行方不明になっても気にもしないのですから」

 

 要は苦笑する。

 

「あなたのお父様は、剛士つよしさんって言ったわよね。行方不明なのって、政尚まさなおさん?」

「いえいえ。政尚伯父さんは、今は本島で仕事をしています。行方不明なのは父の弟、さとる叔父さんです。変わった人で、自宅の部屋に篭りきりだったらしいのですが、数ヶ月前に急に出て行ってしまってそれっきり。今も行方がわからないのです」

 

 悟は初恋の人に会う、そう言い残して出て行ったらしい。

 正和のような無慈悲な親の元でそんなロマンチストが生まれるなんて、と涼子は皮肉を言いたくなったが、やめた。


 どうも自信がなくなってしまった。

 自分一人が雲島にいて、これから何ができるのだろう。初枝のことも、佳奈と奈々のことも、蔵田と亮二の企みも。涼子はずっと遥を頼りにしていたのだと気がついたのだ。

 

「松永様。祖父をご存知でしたら、これから玻璃村はりむらでお昼を一緒にいかがですか? 祖父も喜びます」

 

 涼子は勢いで断ろうとしたが、思いとどまる。この食事で何かを掴めれば、自分もなにか役に立てるかもしれない。

 

(……見極めてみよう。正和が善か、悪か)

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