考察

「電話の相手。たぶん蔵田さんだと思います」


 部屋に戻り腰を落ち着けるその前に、開口一番遥は言った。


「そんな事どうしてわかるの?」

「きっかけが何かは分かりませんが、おそらくこのノートの情報源は亮二さんだったのではないかと思われます」

 

 涼子は話の続きを待った。

 

「涼子さんを“不動産屋の娘”と呼ぶのは分かります。有名なようですので」

「嫌味な言い方をするわね」

「でも、私をクリーニング屋の娘と呼ぶ人物は限られる。それに亮二さん、金回りが良くなった理由は馬のレースで大金を当てたからだとみのりさんが言っていましたよね? 写真付きのメッセージでもらっていた例のやつ。あれネットに同じ画像が載っていました」

「え? じゃあ写真の馬券は他人が当てたやつってこと?」

「そうです。きっとみのりさんはあまり競馬に詳しくない。ネットで拾ってきた画像だとは気づかなかったんでしょう。亮二さんは馬券が当たったと嘘をついてまで、大金の出どころをみのりさんに邪推されたくなかったんですよ」

 

 なるほど、と涼子。

 

「でも、よく当たり馬券がネットから拾ったものだなんて気づいたわね」

「そのネットの当たり馬券を使って自分が当たったかのように見せるやつ。蔵田さんが良くやってたんですよ、クリーニング屋で。まあ、何度も当たるんで店の人は皆嘘だって気付いてましたけどね。ちょっとした悪戯ってことで、ちゃんと驚いたふりしてました。一応客なんで」

「なるほど? だから亮二さんの馬券の話を聞いてピンときたわけね。つまり、あの高級車のお金の出どころは蔵田さん、てことか」

「それはまだ分かりません。少なくとも私には、蔵田さんがそんなお金を持っているようには見えませんでした。大体、お金持っている人はお金が当たったなんて嘘つかないと思います」

 

 涼子は何度か頷く。


「蔵田さん、私たちがどれくらい雲島にいるのかを気にしている様子でしたね。ていうか一週間もこの島にいる予定だったんですか?」

「調査にどれだけかかるかわからないから、念の為に長く取っておいたのよ」

 

 遥は腕組みをして考えた。

 

「涼子さん、初枝さんに雲島に行く事を話しましたか?」

「いいえ、話していないわ」

 

 遥も誰にも話してはいなかった。翔太が話すわけはない。でも、蔵田はそれを知っている。盗聴した会話から考えても、佳奈を殺そうとしている可能性は充分に高い。早く清八から話の続きを聞かなければ。

 遥は頭の中で乱舞するパズルのピースを繋げようと、新たな情報を探す。

 

「あの。初枝さんを盗聴した日のことをもう少し詳しく教えて貰えませんか?」

「あ、うん」

 

 涼子は、当時を思い出すように話し出す。





◇◇◇

 

 



 初枝はつえの勤務時間が終了し、涼子は翔太に連絡を入れた。

 

「あ、白井くん? 家政婦さん今家から出て行った。今日こそ自宅に戻ると良いのだけど」

 

 盗聴するなら同じ場所に留まっている時がいい。涼子は翔太からそう聞いていた。

 盗聴器を鞄に入れてから二日。翔太は仕事を終えた初枝の後をつけたが、初枝は自宅へは戻らずにネットカフェで寝泊まりしていた。

 涼子は鞄の盗聴器がいつ発見されるか気が気ではなく、今日こそ盗聴の成功を願っていた。

 

 しばらくすると、初枝が自宅に戻ったと翔太から連絡が入る。

 迎えに行くから一緒に行こう、涼子は翔太にそう言われた。

 

「すみません時間がかかりました。何か事情がわかると良いですね」

 

 翔太が運転する車に乗り込むと、涼子は普段から気になっていることを訊く。

 

「白井くん、車の中にも香水振ってるの?」

「あ、すみません。気になりますよね。窓開けます」

「あ、ううん。別に嫌な匂いじゃないのよ? 家に帰った時この匂いがすると、今日クリーニング来たんだなって思ったりすることもあって。匂いが白井くんの代名詞になってる、っていうか」

 

 涼子は恥ずかしがるように目を逸らす。

 

「ずっと癖で付けてるんで、最近よくわからなくなってきちゃって。店長にもお客様の服に匂いが移るだろうってたまに怒られます」

「キツいってわけじゃないのよ。変な言い方をしてごめんなさい。ほら、白井くんと伊東さん? だったかしら。うちに来るのはいつも二人のうちのどちらかだから。白井くんが来たってわかると、家にいればよかったなあって」

 

 涼子は、自分でも何が言いたいのか良くわからなくなって——

 


「……あの」

 

 遥は無表情で涼子の話を止める。

 

「もう少し本題から話してもらえると」

「あ、はいはい」


 


 ——車がアパートの前に着く。翔太は初枝の部屋の明かりを確認すると、受信機のイヤホンを涼子に渡した。

 

「ねえ、なんだか悪いことをしてる気分になってきたわ」

「悪いことなのは否めないですね。やめます?」

 

 優しく笑う翔太に、ここまで来たのだから今回だけという気持ちで、涼子はイヤホンを耳に付けた。


 ザザザッと無機質な音の後、話し声が涼子の耳に届く。

 

「本当に、やるのよね?」

「ああ」

「計画って?」

「佐伯佳奈が死ねば、摂取者になれる」

「まさか、あんたがまだそんなことを考えていたなんて」

「ああ。お前の人生が、やっと報われるぞ」

「いつ殺すの?」

「それは俺に任せろ。考えがある」

「考えって?」

「それは、今はまだ言えない」

「もし失敗したら——」

「うるせえな! グダグダ言ってると、お前のこと全部バラすぞ! やるんだろう?!」

「なによ、急に……」

 

 突然の大声に驚いた涼子は、イヤホンを外して翔太を見た。

 

「これ、警察に」

「しっ。今は続きを聴きましょう」

 

 涼子は再びイヤホンを装着する。

 

「……わかってるわ。最後まで、やり遂げる」

 

 初枝は心を決めてしまったようだ。

 

「あとは…………なが…………れば……」

 

 男の声が途切れ途切れになった後。

 小さくなる話し声は、すぐに無機質な雑音にかき消された。

 

「ん? あれ、なんだよこれ。壊れてんのかな」

 

 翔太が受信機をあれこれいじるが、結局会話はもう拾えないようだった。

 

「白井くん、もう良いわ。服を盗んだ理由は後回しで、とにかく今は警察に行かないと。佐伯佳奈さんって女性が殺されてしまう」

「でもこの状況じゃ警察は動きません。俺たちがこの情報をどうやって手に入れたのか聞かれたら、盗聴してる俺たちが逆にアウトです」

 

 でもどうしたら、と動揺する涼子に、翔太はさらに驚くことを言った。初枝と話している人物の声には聞き覚えがあり、クリーニング屋に毎日来る蔵田という男だというのだ。

 

「誰だか特定までできているのに、なんにもできないなんて」

「涼子さん提案があります。さっき話にも出た伊東さん。彼女に依頼してみませんか? 伊東さん探偵やってて。みんなの困りごととか解決してるんです。あ、なんならひとつ実力を試してみましょうか?」




 ——遥の顔に苛立ちが見え始め、涼子が慌てて弁解する。

 

「ほ、ほら。まあ今更の話じゃない。今となっては白井くんのおかげで、遥とここまで来られたし。あたし一人じゃなんにもできなかったもの。それに」

 

 涼子は思い出したようにスマートフォンを取り出して遥に見せた。

 

「これ。たか絵さんから送られて来たのよ」

 

 遥が画面を見ると、旅館の浴衣を着た晃とたか絵、それから尚美と梨沙がとても幸せそうに笑う姿があった。

 

「この家族だって。遥がいなきゃ今頃空中分解していたわ。ね? 良いこともあるじゃない」

 

 涼子はグラスを傾ける。

 

「あたしね。自分が人より幸せだとか、不幸だとか、思わないようにしてる。あたしの幸せはあたしのもの。誰かの幸せは誰かのもの。でもね。幸せは伝えられる、人に渡せるの。そしてそれは伝わるごとに、何倍にも何十倍にもなる。そのツールが、あたしにとってはドレスなの。ドレスは、幸せを香水みたいに降って歩ける最強の着衣だわ」

 

 気持ちよくなって更に酒を飲む涼子を見て、遥は突然バタっと音を立てて仰向けに倒れた。

 涼子は焦って近づいたが、遥は特に悪いところもなさそうでしっかり目を開けている。

 

「なんか疲れました。すっごい、疲れました」

「なによ急に。あたし今結構良いこと言ったんだけど」

「そうじゃなくて。涼子さんの話を聞いていたら、なんか本当の自分を思い出したような気がして。でも本当の自分って、すごく疲れるんですよ」

 

 涼子は黙って遥の言葉を待った。

 

「……寝ます」

「え? 寝るの!? このタイミングで? 今のは確実に距離縮める流れでしょ、なんか話しなさいよ」

「おやすみなさい」

 

 もう充分に涼子を受け入れている自分に気がついて、遥は居心地が悪かった。

 そばに敷いてあった布団に這って、なにかを言っている涼子の声を背に、遥はそのまま布団をかぶって目を瞑った。

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