清八

 男を追いかけて五分も経たないうちに、開けた場所に出られた。


 先程の現象も当然気になるのだが、ずっと木をかき分けていた遥と涼子は少しほっとした気持ちだった。男はすぐに、汚れた白いシャツを脱ぎ出す。

 

「ちょ、ちょっと! 外で脱ぐってどうなの?!」

「いつもこうしているが」

 

 涼子は目を塞ぐ仕草をするが、指の隙間からしっかりと見ていた。

 生々しい出血シーンを思い出させるそれを、男は水の張った桶に放る。

 

「何だ、そんなとこに突っ立って。俺に用があるのではないのか」

 

 下着姿で腕を組み、仁王立ちの男。おそらく三十代半ば。モジャモジャ頭に、薄い青の色眼鏡をかけている。

 

「あ。もしかして、清八せいはち?」

「呼び捨てかよ」

 

 遥は構わず、まじまじと清八を見た。

 腹部にあるのは紛れもない血の跡。何より、あのとき間違いなく血のにおいがした。溢れ出すのも見た。でも、傷はない。

 

「あなたが不老不死の清八さん?」

「ほう……不老不死を聞きつけて来たか」

 

 清八はタオルで身体を拭うと、浴衣を腰に巻き、黒いタンクトップを頭から被る。そばの井戸から水を汲み、柄杓ひしゃくを持って歩き出した。

 

「あの、お尋ねしたいことが」

「すまんが、まだやることがある」




 遥と涼子が立っている場所からは全てが見渡せた。


 この場にある全てだ。


 晴天の下、壁も死角もない。

 小さな小屋、祭壇、墓。それだけだった。

 清八はぐそこの墓に向かう。端の方から水をかけ、丁寧に拭きあげる。

 

「あれ、本当だと思う?」

「なにがですか」

「想像よりスピリチュアルに欠けるというか。存在がその、だいぶ現実的よね」

「まあ。話を聞いてみないことには」

 

 遥と涼子は黙々と作業する清八の後ろ姿を眺めていた。

 


 ずーっと、眺めていた。

 


「……ねえ、どれくらい経った?」

「多分二〇分くらい、ですかね」

 

 耐えられなくなった涼子が声をあげる。

 

「あの! いい加減にお話をしたいのですけど!」

 

 清八は作業の手を止めないまま、人差し指を立てた左手を真横に上げた。

 

「村には、この方角にまっすぐ進めば戻れる。登ってくるよりは簡単だ。不老不死の秘密は明かせない。俺から話せることは何もない。以上だ」

 

 清八は取り合わない気満々だ。小屋に入ったら、きっと経を唱えて出てこないつもりだろうと遥は思った。すると突然、清八に向かってずんずんと涼子が進んでいく。

 

「な、なんだよ」

 

 身構える清八の目の前までたどり着くと、涼子はそっと墓に両手を合わせて目を瞑った。

 

「あんたなにを」

「ご挨拶くらい、別にいいでしょう」

 

 面食らっている清八に遥は続ける。

 

宣告者せんこくしゃが生まれています。女の子です」

 

 カタン、と。清八の手から、柄杓ひしゃくが落ちた。

 

「母親は、私たちの友人です。命が狙われている。助ける方法が知りたい」

 

 遥が発した端的なワードを聞き、清八は少し考えた後、静かに口を開く。

 

「……こっちだ」





◇◇◇





 小屋の中は十畳ほどで、真ん中に囲炉裏いろり、部屋の隅に小さい机と棚、布団が一組畳んであった。まだ未開封の酒瓶がいくつか床に置いてある。

 

「あら、お酒なんてたしなむの」

「貰い物さ。俺を神みたいに思う変わり者が、ちらほらいてね」

 

 涼子は飲みたそうにしたが、清八はグラスに茶を注いだ。

 

「へえ。このグラス、お茶を入れたら模様が出るの。なんだか変わった模様ね」

 

 青緑のグラデーションが川のようにグラスを包み、その中を泳ぐように鳥やギザギザの線、地図記号のような模様が描かれている。

 

「何の模様かしら」

「さあ。それを作ったやつは変わり者だったからな」

 

 グラスをまじまじと見つめていた涼子は、ふと清八の掌の包帯に目をやった。

 

「その手、どうしたの?」

「墓の掃除でちょっとな」

 

 遥は二人の顔を交互に見て、早く本題に入ろうと切り出す。

 

「清八さん。あなたが不老不死というのは事実ですか」

「そう思ってもらって差し支えない」

 

 遥は薄暗い眼鏡の奥の瞳を、じっと捉える。

 

「宣告者が生まれた、と言ったな」

「はい。背中に八の形の痣。骨折が三日で治る治癒力を持ち、その子の祖母は壁書村に住んでいたと聞いています」

「なるほど。それはまさしく、宣告者」

 

 遥はノートを取り出す。

 

「このノートの持ち主が『摂取者せっしゅしゃ』になる為に、宣告者である女の子の母を殺そうとしています。それに、この写真と箇条書き。『歳八つで死す』とは、文字通り宣告者は八歳で死んでしまうということですか?」

 

 矢継ぎ早に遥が問えば、清八はどこから話そうかと考え込む。

 

「ノートに書かれた栄介えいすけ洋平ようへい博史ひろしの名前に、聞き覚えは?」

「……そこまでわかっているのか」

 

 なら話は早い、と清八は続けた。

 

「栄介とは最初の宣告者。全ては、彼から始まったんだ」

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