過去
一九七二年 十一月八日
最初に背中に痣を持って生まれたのは、栄介と名付けられた男児だった。元気な産声。母体も健やかで、幸せがあふれた瞬間だった。
取り上げた助産師は、栄介の背中の傷から出血があることに気づいたが、出産に伴う一時的なもので、じきに治ると予想した。だが血は止まっても傷は日に日にその背中に色濃く刻まれ、やがてそれは大きな赤黒い痣となった。
痣は一生残るだろう、と医者は両親に伝えた。それでも両親は栄介が可愛くて仕方がなかったし、それ以外は全く健康だったこともあり、数字の『八』に似たその痣の意味も、特に考えられることはなかった。
この頃、清八は三十一歳。村の警察官として働き、栄介を含めた村の小さい子たちをよく世話していた。
栄介はとても丈夫な子だった。木から落ちて腕に作った大きな切り傷も、二日もあれば綺麗さっぱり、跡形も無かった。風邪もひかないし、家族で日にちが経った芋を食して腹痛騒ぎになったときも、栄介だけはケロッとしていた。性格も明るく優しい人気者で、当時の村人との関係も良好だった。
背中が痛む。栄介は、七歳の誕生日を迎えた頃から度々そう訴えた。今まで病気とは無縁だった少年が、みるみる元気をなくしていく。食は細くなり、筋肉も減って、まるで寿命の近い爺さんと錯覚するほどに身体は衰弱した。
あっという間だった。両親は必死に看病したが、栄介は吐血を繰り返してもう永くないと悟っていた。
一九八〇年 十一月八日
看病虚しく。栄介は不幸にも、八歳の誕生日当日に息を引き取った。
そして、悲劇は続く。栄介の父と母も、同日に心臓発作で突然死したのだ。
栄介の衰退ぶり。
痣の数字と同じ、八歳での死。
栄介は呪われた痣を持って産まれたのだと村人は恐れた。
そばに居る者は死ぬ。近しい存在は、道連れになる。そう言って、村人は栄介の背中の痣を『死の宣告の痣』と呼んだのだった。
「死の宣告?」
涼子が口を挟む。
「そんなの、こじ付けじゃない。栄介くんのご両親は看病で心労だったはずだし、その日のうちに亡くなってしまったのは偶然ではあるけれど、呪いだの痣のせいだのはちょっと突飛すぎないかしら」
涼子の憤慨の態度に、清八の表情は少し柔らいだように見えた。が、すぐに瞬きをして改める。
「それだけじゃないんだ。栄介と両親の他に、幼馴染で特に仲良くしていた、リンという名の少女が死んだ。更には村の診療所で働く、
「死に方って」
「その看護師は……ドロドロに溶けた肉の塊になっていたそうだ」
同時に五人が死んだ。さらに田中晶子の無惨な死によって、村人の恐怖心は熱を帯びてしまった。リン以外にも、栄介と仲良くしていた子供はたくさんいたし、田中晶子とも接点はあれど、逆に診療所に勤めるその
なぜ死ぬのか。この先も誰か死ぬのではないか。そう怯える村人になす術はなく、解明するには情報が足りなさ過ぎた。
栄介の死後、三年が経つ。
その
一九八三年 十二月十六日
雨の降る朝。背中に痣を持った男児が再び生まれた。
清八、四十二歳。小さな村であったし、警察官としての清八の出番はあまりなく、のどかな日々がほとんどだった。
自然災害で壊れた建物の修繕や、怪我人の保護。田畑を荒らす動物の対処。その日は特に何もなかったが、かなりの雨が降っていた。清八は駐在所の庇にボツボツと当たる雨音を聞きながら、
「清八さん、大変だ」
知らせを受けてその場に急ぐと、
「正気じゃない!」
「わかってくれ。産まれた子は災いなんだ。背中に痣があるんだろう?」
「俺と麻耶の子だ! 誰にも渡さない!」
集まる村人に囲まれるようにして叫んでいたのは、健司だった。健司の妻、
「その子をどうするつもりなんだ」
「清さん、わかってくれ。栄介の時と同じ痣がある。その子と関わればまた人が死ぬかも知れないだろう。背中の痣は栄介のそれと酷似している。リンたちのように、いつどう接触するかわからないんだぞ」
「……殺すつもりか」
清八の問いに、否定の声を上げる者はなかった。
「なにを考えている! 産まれたばかりの赤ん坊だぞ! 栄介の時のことだって何一つ解明できていないんだ。どんな事態が起こるかわからないこの状況で、強引な判断は避けるべきだ。健司、家に戻りなさい。麻耶ちゃんと子供についているんだ」
「清さん……どうか、頼むっ」
健司は急いでその場から走り去った。
沈む空気に、雨も弱まる。
すると、人だかりをかき分けて男がひとり前に出てきた。
「清八の言う通りだ。様子をみよう」
「
「今すぐにどうこうなる問題でもない。赤子との接触はもちろん、しばらく健司くんと麻耶ちゃんも隔離させてもらう。その間に策をみつけよう。各々意見は有るだろうが、今日のところは俺に免じて終わりにしてくれないか」
政尚の発言で、皆は落ち着きを取り戻す。
事態は一時収拾し、パラパラとその場を後にする村人たちの背中を見ながら、清八は政尚に声をかけた。
「助かった」
「いや、いいんだ。皆気が立っていた。明日また話し合おう。騒ぎにして悪かった」
政尚は青白い顔をして、慌ててその場から走り去った。
その後、清八は健司の元を訪ねる。
「清さんか」
訪問者に身構えていた健司は、清八の顔を見て安堵した。
「状況は?
「とりあえず、事態は収まった。心配はない」
健司は握った拳を緩めると弱々しく礼を言い、清八を家に入れた。
部屋に入ると、優しく揺れる麻耶の腕の中に赤ん坊は居た。
「
「うん。いいだろう? ずいぶん考えた」
「健司さんにそっくりでしょう。もう親の顔がわかってる。賢い子よ」
洋平を覗き込む夫婦は時々互いの顔を見つめ合い、顔は重力に従いどんどん垂れ下がるばかりだ。清八は一つ、咳払いをする。
「顔は健司似でも、頭は麻耶ちゃんみたいに賢くなってもらわないとな」
健司は恥じらいながら、ガシガシと頭を掻く。
清八は改めて、洋平を見た。
小さな爪の乗った指、富士の形に光る唇、柔らかい匂い。全てが愛しかった。健司は止めたが、清八は洋平にそっと触れる。
「手は洗ったぞ。こんなに可愛いんだ、少しくらい触らせてくれよ」
そうじゃなくて、と健司は戸惑う。
「栄介の手だって握ったことがあったさ。病気じゃない。呪いじゃない。こんなことでは死なない。洋平は、この子は未来を生きていくんだ」
健司の家を出てからも、清八の気持ちは靄がかったままだった。
(そうだ。解明しなければ。なぜあんな悲劇になった? 背中の痣、栄介も『八』の形だった。産まれた日は十一月八日。日付の八に関係が……いや。洋平が生まれた今日は、十二月十六日。父母ともに村の出身で、病気や変わった経緯もない)
家に帰り、風呂に入っても。顔ばかりが
「掃いても掃いても、落ち葉がへらねぇや」
ぎゅっと目を瞑って、あくびをした。考えがまとまらない頭を掻きむしると、落ち葉の隙間に階段が覗いて見えた。地下に繋がる、石畳の階段。
(こんなところに階段なんてあったか?)
清八は誘い込まれるように、先へと進んで降りてゆく。風が抜けていて、遠くにパチパチと影が揺らめいているのが見えた。暖かい光。
ひらけた場所に出ると、大きな炎がそびえ立つ。朱色の色濃い、空間が歪むほどの炎——
カンカンカンカンっ!
一瞬で瞼が開く。
火事を知らせる半鐘が鳴り響いていることに気づいた清八は、地面に突かれるように飛び起き、同時に駆け出していた。
(いつ眠った? どこまでが夢? 遠くにそびえ立つ炎もまた、幻想か? ……いや、違う!)
黒煙は走り抜ける清八の眼を刺し、喉元を詰まらせる。浅い呼吸は煙のせいだけではない。嫌な予感は近づくに連れて、最悪な現実となって清八の前に現れた。燃える油の
「健司!!」
群がる人々をかき分け、
声が出ない。唇が震える。清八は野次馬の中の顔を、強引に肩を掴んで確認した。
(健司はどこだ)
“俺、親父になるんだ! すごいだろ?”
頭の中で、健司の声がこだまする。
“たばこは麻耶が嫌がるから、やめたんだ”
瞳が熱いのは、目の前に立ち
“清さん、このグラスもらってくれよ!”
もう、清八に溢れる涙を拭う気力はなかった。
「健司っ——」
清八の声に返事が返ってくることは、二度とない。
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