壁書村

 撫子村なでしこむらの役所を出てから、遥と涼子は一本道を進む。民家や畑は徐々に減っていき、ガラス作りが盛んな島に似合う、透明で澄んだ大気の匂いが消えた。

 歩みを進めるにつれてカビっぽく、だけど張り替えたての畳のように心地よい、不思議な感覚に囚われていく。

 

「そういえば。あの要って秘書、どことなく翔太に似ていましたね」

「はあ?!」

 

 涼子は足を止めてまで遥を睨んだ。

 

「どーこが似てんのよ! 全然よ! あんな空気も読めない常識知らず、あたしの白井くんと一緒にしないでよね!」

 

 涼子はぷりぷりしながら先を行く。本気で嫌がる涼子を見て、よくもそこまで初対面の人を嫌いになれたものだ、と遥は感心した。

 

「なんだかかすみ掛かってきたわね。それにあの門。立派だけれど、雲島に入った時に見たものとはまた全然違うわ」

「雰囲気は……エジプトって感じですかね」

「そうかしら。遥、エジプト行ったことあるの?」

「ないですよ」

「……」

 

 あのあと剛士に訊いた話によれば、清八という人物は壁書村から少し登った鉱山のふもとの小屋に一人で住んでいて、滅多に人には会わずに毎日小屋に篭って経を唱えているらしい。

 経を唱えている間は絶対に小屋を訪ねてはいけない。気性が荒く、取材に来た人間が痛い目に遭っては追い返されているのを何度も見かけたと剛士は言った。

 

「清八さん、かなり奇抜な見た目みたいですよ。浴衣のそでを腰巻きにして、上は黒のタンクトップ。色眼鏡に、モジャモジャ頭だって」

 

 ドンっ、と遥の顔に衝撃が走る。前を歩いていた涼子が突然立ち止まり、その背にぶつかったのだ。遥は鼻先を撫でる。

 

「ちょっと。急に止まんないでくださいよ」

「ねえ遥……あたし達、とんでもないところに来てしまったのかも」

 

 涼子は目の前に立ちはだかる異様な空間を見上げた。


 巨大な門はまさに、異国への入り口。あの口に飲み込まれたら、もうこちら側へは帰ってこれない、そう錯覚する。

 

 門の前に立つ一人の男は、遥と涼子を見ると足幅を広げて構えた。

 

「役場から連絡はもらっています。見て周れる場所は限られているのでご注意ください。民家を含む建物は基本立ち入り禁止。通信機器、カメラなどはすべてこちらでお預かりさせてもらいます」

 

 遥と涼子は、差し出された箱にスマートフォン等を置いていく。

 

「あの。清八さんのところへはどう行けば」

 

 男性はぶっきらぼうに山の方を指差した。

 

「まっすぐ行けば十分程度で着きます。道は整備されていませんが、行けないことはありません。では本日二〇時。それまでにはこの門までお戻りください」

 

 口早に言うと、男は門を開けた。




◇◇◇



 

「こんなにかかるの? この木、さっきも見なかった? ねえ、聞いてる?」

 

 遥は涼子を無視していた。


 例の『要が翔太に似てなかったか』発言が気に入らなかった涼子は、門を潜って少し経った頃から、長々と翔太の良さを語っている。

 会話することが体力を消耗すると思った遥は、暫く黙ったまま道中を進んでいた。

 

「あの門番、なにが『まっすぐ行けば十分程度で着く』よ。もう一時間近く歩いているわ」

「完全に迷いましたね」

 

 一度来た道を戻ろうかと相談していると、すぐ近くでザワワと植物が揺れた。

 

「なに?! ねずみ? 獣?!」

 

 狼狽える涼子を横切るように、遥は走った。

 

「涼子さんタオル! 怪我人です! 出血しています!」

 

 急いで駆け寄ると、くの字に身体を曲げた男が倒れていた。そして今まさに、目の前で腹部あたりに刺さった太い木を思い切り抜いてみせたのだ。

 

「何抜いてるんですか! 死んでしまいますよ!」

「ああ、大丈夫。すぐに治る」

 

 治る血の量じゃない。今もどくどくと白いシャツに滲み出ているのが分かる。

 

「早く! 人がいる場所まで降りないと」

「どうしよう……そんな事を言っても、あたしたちだって今迷っているのよ?!」

「騒がしいな。少し、静かに」

 

 男は腹部に手を当て、ゆっくり息を吐いた。何かをぶつぶつ口にした後、押さえていた手で傷を確認して立ち上がる。

 

「もう大丈夫。驚かせたな」

「え……」

 

 一瞬、すぎて。


 何が起きたのか、二人にはよくわからなかった。血の雫を水を払うみたいに手を振りながら、男は立ち去ろうとする。

 

「……いやいやいや! 見過ごせるか、こんなの!」

 

 遥は大声で男を呼び止めた。

 

「なにか」

「どういう状況か説明してください。消化できません」

 

 男は立ち止まった。しばらく見つめ合う三人。すると、男性はまた歩き出してしまった。

 

「ちょっと!」

「ついてきなさい」

 

 男はずんずん先へと進んでいく。

 

「遥、どうするのよ」

「私たち迷子ですよ。とりあえず、彼はこの山道に慣れているようですし。行きましょう」

 

 もう小さくなりかけている男の背中を、二人は必死で追いかけた。

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