誤解

「あら、話のわかる人ね。そうだ飲み物がないわ。店員さん……じゃなかった、自分で取りに行くんだったわね」

 

 店員を呼ぶのを途中で止め、女性は席を立つ。

 

「いやね、たか絵さん座っていらして? あたしが自分で行くから」

「いいのいいの」

 

 たか絵と呼ばれたその女性がバーカウンターへと向かうと、涼子のお酒を準備して帰ってきた。

 

「ありがとう。それにしてもたか絵さん、裏方なんてもったいないわ。志もあるし、表の仕事をなさいよ」

「私には裏方が性に合っているの。自分の為より人の為に動いている方が好きなのよ」

「それ、少しわかるかも」

 

 薄暗い照明に心地よい音楽、赤いスウェード調のソファ。遥がバーに入ると、ムードな空間の隅に大衆居酒屋の盛り上がり方をするテーブルを見つけた。無論、その席以外に客はいない。

 涼子は遥に気付いて会話を止めた。

 

「あら遥。寝たんじゃなかったの?」

 

 涼子は別に気にもしてない素振りでグラスを傾ける。

 

「せっかくなんで。涼子さんもずいぶん楽しんでいるようですね」

「そうなのよ。こちら坂下たか絵さん。先ほどご挨拶した菊田さんの秘書をされているそうよ」

「秘書?」

「ええ。菊田さんは東京や大阪にもあるホテル久喜くきの代表取締役なの。叔父様の青池事務次官が携わっていることもあって、開発に伴い雲島にも新しいホテルを建設する予定らしいのよ」

 

 涼子は一枚の紙を遥に手渡す。

 そこには雲島に現存する四つの村と、それぞれ主要な施設が箇条書きにされていた。

 

「四つのうち三つの村は、統合して一つの観光地として盛り上げようって意見が纏まっている。でも壁書村へきしょむらは、特殊な文明を保っているからという理由で安易に人が出入りできるようにはしたくないみたいなの」

 

 遥はもらった紙に視線を落としながら口を開いた。

 

「壁書村以外にも温泉やパワースポットは充実していますし、特に壁書村を計画に含まなくても問題はないのでは?」

「いいえ! 壁書村こそ重要なんです!」

 

 たか絵が興奮気味に話に食い込む。

 

「他の村ももちろん素敵です。しかし壁書村は一味違う! 約千年前より明治時代頃までの日本文化を今でも継承しているのです。人々はほとんど移住しているようですが、建物や街並みはまるでタイムスリップしたかのようにエモーショナルな情景が広がっていると聞きます。

 さらには村の端にある壁張蔵かべはりぐらという建物、これがまた神秘的なんです。内壁にはびっしりと文字が刻まれていて、その建物が村の名前の由来でもある。建物の作り自体もとても珍しいものなんです。絶対に話題になります。その壁書村への打診や視察も兼ねて、今回の船旅を本当に楽しみにしていたのに……余計なのまで、ついてきちゃって」

 

 所々興奮を隠せない様子で語っていたたか絵だったが、急に熱を冷ましたように俯く。

 

「尚美さんと梨沙さん、先ほどお会いしましたよ。晃さんと尚美さんがご兄妹、たか絵さんと梨沙さんが姉妹でいらっしゃるとか」

「あんなの妹でもなんでもないわ」

 

 たか絵はグラスの中身を飲み干すと、堰を切ったように話し出す。

 

「昔から梨沙は私のものばかり欲しがる子でした。服も持ち物も、付き合う彼氏まで。私に彼氏ができたことを知ると無言電話をかけて嫌がらせしたり、デートの前にわざと私の財布からお金を抜いたり。梨沙を好きになった、そう振られたこともあったわ。それも一度や二度じゃない。姉の彼氏を好きになるなんて最悪。しかもすぐに別れるの。嫌がらせとしか思えないでしょう?」

「それはちょっと、気の毒ね」

 

 涼子が同調すると、たか絵はさらに続けた。

 

「主人と一緒になるときも、梨沙には邪魔されないように気を遣ったわ。連絡先だって交換しないように言っていたのに、最近になって良くメッセージをやりとりするようになっていて。それにそのメッセージ、わざわざ削除しているのよ? 主人に聞いてもなんでもないってはぐらかすばかり。実際指輪まで盗まれているのに……また梨沙に壊される。泣きたくなるわ」

 

 そう言って、たか絵は本当に目に涙を溜めていた。

 

 遥は、この家族の全てがうまく噛み合ってないことを悟る。

 どう話を切り出そうか迷っていると、バーの入り口にあきらが見えた。

 

「まだ起きていたのか。早く休まないと身体に障るよ」

 

 涙目のたか絵に気づき、何が起きたのかと思った晃は、涼子と遥をみて戸惑っていた。

 

「すみません。たか絵がなにかご迷惑を掛けましたでしょうか」

「いえ。でも少し、気が動転しているようです。落ち着かれた方が」

「無理もないわよ。自分の身内に悩みの種があったら泣きたくもなるわ」

 

 涼子がたか絵の肩を持つ発言をしたことに、遥は嫌な予感を覚える。

 

「そのご主人も情けない。結婚したら妻を一番に考えるべきなのに。この際、梨沙さんを問い詰めて本当のことを明らかにするべきなんじゃないかしら」

「涼子さん」

 

 話が変な方向に行きそうだと遥が危惧したその時。最悪なタイミングで、尚美と梨沙がバーへと来てしまった。

 

「よかった、まだ寝てなかったんだね。あのねお姉ちゃん、これ」


 梨沙は小さな箱を差し出す。

 それを見たたか絵は箱を奪い取り、一気に怒りのスイッチを入れた。

 

「ほら! やっぱりあんたが盗んでいたんじゃない! この指輪は私が一番大事にしているものだって、あんた知っているでしょう?!」

 

 そう言って箱を開けると、中には指輪が二つ入っていた。

 

「なによ、これ」

「あのね、お姉ちゃん聞いて」

「あんたまさか……勝手に複製したの?」

 

 たか絵はもう止まらない。

 

「冗談じゃない! 今までだって散々我慢してきたのよ。あんたに全部奪われても、周りは私の言うことなんか聞かずにあんたを可愛がる。あなたの裏の顔なんか知らないものね。みんな騙されて馬鹿みたい!」

「おい!」

 

 晃が落ち着かせようと肩に置いた手を、たか絵は思い切り振り払った。

 

「もういや。やっと幸せになるチャンスが私にも回ってきたのに。いつも、いっつも! 梨紗のせいで何もかも台無しよ!」

 

 たか絵は船の外へ繋がる扉に向かっていく。

 

「おい! 何する気だ!」

「梨沙とお揃いだなんて、もうこんな指輪いらない。私の気持ちは誰もわかってくれないものね。こんなもの、海に捨ててやるわ」

 

 俯く梨沙。狼狽える尚美。

 慌てる晃に、なにも理解できていない涼子。

 

 その状況を瞬時に見回して、遥は思い切り息を吸い込んだ。

 



「おめでとうございます!!」

 



 遥の大声にたか絵は足を止め、梨沙は驚きで顔を上げた。尚美と涼子もどういう事だとざわつき始め、晃は安心したのか深いため息をつく。

 

「いくら夏でも、こんな時間に海上では冷えますから。落ち着いて座ってください。今その指輪を捨ててしまっては、あなたはきっと後悔することになりますよ」

 

 遥はたか絵をソファに座らせ、状況を見守る皆に向き直った。

 

「明らかにしなくていいこともあると私は思います。でもこんなに想い合えるご家族が、それを知らずにバラバラになってしまう……いくらなんでも、それはもったいないかと」

 

 遥の立ち姿を見て『やっぱり探偵ね……』と。

 涼子は小さく、呟いた。

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