披露

「まず初めに。その指輪の一つはたか絵さんのもの。そしてもう一つは、梨沙さんが元々のたか絵さんの指輪のデザインを模して新たに創ったもの。梨沙さん、間違いないですね?」

 

 黙ってうなずく梨沙をみて、たか絵は鼻で笑う。

 

「やっぱりそうなんじゃない」

「しかし、その指輪は梨沙さんがつけるためのものではありません。たか絵さん、大きさを確認してみてください」

 

 たか絵は箱から二つの指輪を取り出し、重ねる。

 

「……私のより、少し大きい」

「そうです。それはあなたのご主人、晃さんのために創られたものなんですよ」

 

 え、と声を出したのは涼子だった。

 

「たか絵さんのご主人って、菊田社長だったの?!」

「涼子さん少し黙って」

 

 話がややこしくなるから、と遥が目配せすると涼子は口を結んだ。

 

「梨沙さんは、今日この日に合わせてその指輪を二人に渡すサプライズを計画していたんです」

 

 遥の話に驚いたのは、たか絵だけではなかった。

 

「梨沙ちゃん、僕にはデザインが気に入ったから自分の分も創りたいって」

「サプライズですから。晃さんにも驚いてもらうために内緒にしていたんですよ。指輪を複製するのに現物が見たくても、当然たか絵さん本人には頼めない。自分の分を創るためという理由が一番手っ取り早かったのでしょう。そして晃さんは、たか絵さんの指輪を黙って貸したことを隠すために梨沙さんとのメッセージのやり取りを削除していた」

 

 なぜ、と戸惑うたか絵と晃。

 

「サプライズを計画したのには理由があります。尚美さんと梨沙さんは、晃さんとたか絵さんのご夫婦が離婚するのではないかと不安に思っていたからです」

「離婚?!」

「尚美さんが偶然聞いてしまったそうですよ。あなた方二人が“偽りの夫婦を続けるつもりか”と話しているのを」

 

 あ、と晃とたか絵は互いに顔を見合わせた。

 

「その会話を聞いて、尚美さんと梨沙さんはどうにか二人の仲を取り持ちたいと思った。でもここにも一つ誤解がありました。二人は別れる話をしていたのではなく、結婚の話をしていたんです」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 

 ついに我慢できなくなった涼子は思わず口を挟んだ。

 

「結婚って。晃さんとたか絵さんは既にご夫婦なんでしょう? 意味がわからないのだけど」

「お二人は結婚したと報告だけして、実は籍を入れていなかったんですよ」

 

 遥の言葉に、今度は尚美と梨沙が驚きを隠せない様子だった。

 

「先程晃さんを訪ねたとき、机の上に記入済みの婚姻届を見ました。その後このバーでのたか絵さんを見て、あの会話の意味がわかったんです」

 

 遥は確認するように尚美の方を向いた。

 

「尚美さんが別れの会話だと思った内容は『偽りの夫婦をずっと続けるつもりか』『もう必要ないわね』『役所に行きましょう』でしたよね」

 

 はい、と尚美は答える。

 

「まず偽りの夫婦。これは言葉通り、婚姻関係にないという事でしょう。そして、偽る必要がなくなった。本当は籍を入れたかったけれど、今までそうできなかったのには理由があったんです。たか絵さんがこのバーに来てから飲んでいたのはノンアルコールドリンク。時々お腹を触る仕草をしていましたし、今の服装には少し違和感のある低ヒールの靴」

「嘘。もしかして……」

 

 梨沙がたか絵を見る。

 二人の視線が、やっと噛み合った瞬間だった。

 

「妊娠したの」

 

 たか絵は気恥ずかしそうに小声で言うと、続けて話し始めた。

 

「晃さんとの結婚の話が出たとき、病院に行って調べたの。そしたら私、妊娠しにくい体質だった。そのことを晃さんのご両親に言うと、結婚は考え直して欲しいって。でも晃さんは私と一緒になりたいと言って、両親と距離を置いてくれた。子供ができなくても一緒になろうって」

 

 晃はたか絵の隣に座り、握り締められた手の上にそっと自分の手を重ねた。

 

「私のせいで晃さんとご両親の仲が悪くなってしまうなんていけないと思った。だから私から提案したの。子供ができるまで、もう少し籍を入れることを待ちたいって」

 

 三年経っても子供ができなければ、たか絵は別れるつもりでいた。そしてその三年目の今年、とうとう子供ができたのだ。

 

「たか絵は子供ができたとわかってからも、ちゃんと出産できるか不安がってね。その時に『偽りの夫婦を続けるつもりか、僕は今度こそ正真正銘一緒になりたい』そう言ったんだ。たか絵の気持ちを尊重したけど、僕は子供ができなくても別れるつもりなんてなかった。子供ができたとわかった今でも、あんなことを言った両親には今のところ会わせる気にはならないしね」

 

 穏やかに話す二人に、梨沙が疑問に思ったことを聞いた。

 

「でもお姉ちゃん、前は菊田を名乗っていたのに最近は坂下だし、周りにも夫婦だって全然言わなくなったじゃない。だから、やっぱり仲が悪くなったんだって」

「逆よ。今までは晃さんと一緒になった実感が欲しくて菊田を名乗ることにしてた。でも嘘をついているみたいでずっと苦しかったわ。それがようやく、ちゃんと籍を共にできることになった。元々仕事とプライベートは分けたいタイプだったから、晃さんの秘書としてきっちり仕事をしたいと思って坂下性に戻したの」

 

「……なんだか、ややこしいわね」


 そう呟いた涼子を、遥は肘で小突く。

 

「全部勘違いだったのね。でも遥、よく指輪を創った、だなんて思ったわね。普通は注文したと思いそうだけど」

 

 どうしてわかったの、と涼子は遥に訊く。

 

「梨沙さんと尚美さんが通われていた学校はジュエリーの専門学校ですよね」

「そうです。でも、どうして?」

 

 尚美の質問に、今度は晃が答えた。

 

「僕のところに先ほど確認しに来られたんだよ。このバッジを持って」

 

 銅でできた桜の形のような小さなバッジを、晃は梨沙に返した。

 

「それは貴金属装身具制作技能士、という資格取得者に送られるものだそうですね。尚美さんは受験しなかったそうで、梨沙さんのもの。二人が走り去ったときに落としたのですが、絨毯がクッションになり落としたことに気がつかなかったんですよ。晃さんからお二人がジュエリーの専門学校を卒業されたと聞いて、お二人と話した時の違和感が繋がりました」

「違和感?」

「はい。尚美さんと梨沙さんとお話しした時、金属のにおいがしたんです。それに何かを削ったような粉が梨沙さんのズボンの裾についていました。仕上げをしたいと急いで部屋に戻った様子を見て、今日この船で完成させるつもりなのだろう、そう思いました。よほど今回の旅に間に合わせたかったのでしょう」

 

 たか絵は申し訳なさそうに俯く梨沙を見た。

 

「梨沙。私のことなんて、とっくに嫌いなんじゃなかったの」

 

 たか絵の言葉に、梨沙は思い切り首を振った。

 

「嫌いなんて思ったことない。ずっと幸せでいて欲しいと思ってる」

「私に嫌がらせばかりしてきたじゃない」

「それは」

 

 梨沙が言うべきか迷っていると、遥は梨沙の目を見てゆっくり頷いた。

 

「大丈夫です。今のあなたなら、全てを明らかにした方がきっとうまくいきます」

 

 尚美も梨沙を見て頷き、梨沙は心を決めた。

 

「私、ずっとお姉ちゃんが好きだった。姉としてじゃなくて、その……恋愛対象として」

 

 たか絵は一瞬、目を見開いた。

 

「誰にも言えなかった。私の恋愛対象が女性で、しかも家族に恋をしているなんて。お姉ちゃんに彼氏ができるたびに嫉妬して、苦しかった。でも邪魔がしたかったわけじゃない」

 

 梨沙に続けて尚美も話し出す。

 

「たか絵さんが好きになった人、梨沙気になって調べちゃって。そしたらあまり素行が良くなかったんです。他に女の人がいたり、友人にたくさんお金借りていたり。だから梨沙は無言電話をかけて相手の反応をみたり、事前にたか絵さんの財布からお金を抜いていたりしたんです。たか絵さんが、必要以上にお金を取られないように」

「でも、私が別れた後その彼と付き合っていたでしょう?」

「それは、そうしないとお姉ちゃんに付き纏うって言うから。適当に合わせていただけだよ」

 

 沈黙が訪れる。たか絵は梨沙の言葉を待った。

 

「ごめんね。私、結局お姉ちゃんを傷つける事してた。自分でも気持ちに折り合いつけられなくて、どうしたらいいのかずっと悩んでいたの。でもそんな時、私の気持ちを理解してくれる人ができた」

 

 梨沙は尚美の手を引いてしっかり握る。

 たか絵はそんな二人を交互に見た。

 

「あなたたち、もしかして」

「はい。梨沙さんとお付き合いさせて頂いています」

 

 尚美は堂々と宣言した。その姿に、晃はやっとか、と呟く。

 

「え? 晃さん知ってたの?」

「梨沙ちゃんとこうなる前から、尚美の恋愛対象が同性だって事、僕は知っていたからね。堅物の両親は知らないけど」

「なによ、それ」

 

 たか絵の表情はみるみる暗くなっていく。

 

「馬鹿みたい。私だけ何にも知らないで、梨沙のこと恨んで。もっと早く言いなさいよ。私ってそんなに信用ないわけ?」

 

 涙を流すたか絵。妊娠中は情緒不安定になるのよ、と晃にハンカチを借りていた。

 

「私たちずっとすれ違っていたのね。家族なのに。梨沙がそんな立派な資格を取っていたことも知らなかったし、この指輪も。さっきはあんなことを言って、本当に……ごめんなさい」

 

 梨沙は首を強めに横に振った。

 

「私もやっと、お姉ちゃんの幸せを心から願えるようになったから。おめでとう」

 

 一瞬の静けさの中。バーに流れるムーディーな音楽が、なんとなく軽やかに明るく聴こえ始めた。

 

「……あら。これってお祝いよね? おめでたい話よね? ウエディングよね?」

 

 せっかくの雰囲気を涼子のひょうきんな声が切り裂く。遥は呆れた。

 

「涼子さん。空気読んでください」

「いいえ。あたしは読んでいるわ、しっかりと。これは確実にあたしの本領が発揮できる場面よ」

 

 鼻息を荒くして、涼子は鞄からノートを取り出す。

 

「そう言えば、船に乗ってからずっとメモしてましたよね。なんですか、それ」

「あたしの本業」

 

 涼子の言葉に、晃がもらっていた名刺を確認した。

 

「この名刺にあるバイヤーって」

「あら、お気づきになられました? 改めまして。あたしは世界中からドレスやそれに合う小物を仕入れたり、プランニングから式場でのドレスで動く導線まで考えて、空間をプロデュースするスペシャルウエディングバイヤーですの」

 

 涼子は手のひらを合わせてにっこりしている。

 

「この船のレントランはゲストを呼んで披露宴をするのに充分な広さがあるし、多過ぎず特別な人だけ呼べるロイヤルな空間を演出できるわ。バーの雰囲気にあったドレスのイメージも湧くし、子供が遊べるプレイルームもある。あとは、実際に式をあげる新郎新婦を見つけるだけ。ね? もう式はお済みなの?」

 

 涼子に捲し立てられ、晃とたか絵は勢いに乗せられる。

 

「式はこれからです。婚姻届も記念になるからと、雲島の役場で出すつもりだったので」

「あら、それは素敵。ご縁もありますし、ここはひとつあたしに任せてみませんか。晃さんとたか絵さんにぴったりなお召し物と空間を、ご提供いたしますわ」

 

 遥には涼子が一人で盛り上がっているように見えていたが、どうやら二人もまんざらではない様子だった。

 

「涼子さん、今はこれくらいにして。時間見てください。もう二時回ってますよ」

「嘘、大変」

 

 皆は部屋に戻る準備をする。どうか検討くださいね、と去り際の最後までアピールする涼子の背中をはいはい、と遥が押していると、後ろから晃に声をかけられた。

 

「伊東さん、ありがとうございました。お陰で最悪な事態を避けられました。たか絵と子供、それから尚美と梨沙ちゃんのことも、これからゆっくり話し合って大事にしていきます」

「よかったですね」

 

 微笑む遥に、晃は続ける。

 

「それにしても、伊東さんは探偵さんみたいですね」

「……はい?」

「いえ、随分カンが鋭い方だなと。私たちのいざこざを見事に解決してくださいましたし。もし違うのならば、きっと向いていると思いますよ」

 

 それじゃあ、と晃は部屋に戻っていった。

 

「ほらね。もう名乗っちゃいなさいよ、探偵」

「涼子さん飲みすぎです。この時間に寝て起きられるんですか?」

「大丈夫よ。朝は強いの」


 

 四時間後。

 案の定涼子は寝坊をし、下船の時間は少し遅れるのであった。

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