孤独

 佳奈は孤島の村で生まれた。


 家族は母と祖母。両親は佳奈が幼い頃に別れていた。祖母は体裁を気にする人で、離婚して出戻った佳奈の母をよく思わなかった。


 母は毎日のように祖母に嫌味を言われ、佳奈の粗相そそうもすべて母が責められた。母が怒られないように、祖母の機嫌を損ねない様にと、佳奈は常に周りの顔色をうかがって過ごしていた。


 母は優しかった。だが佳奈を一番には考えてくれなかった。出かける予定も、当日に祖母の予定が入ればそちらが優先。買ってもらう約束をした服も、祖母が無駄だといえば買ってもらえない。母の為に持ち帰った珍しい花も、祖母の分がないとわかると母は受け取ってはくれなかった。

 自分の意見を抑え、祖母の行動に一喜一憂する。母はきっとまだ、祖母に愛されたいのだろう……佳奈にはそう見えていた。


 佳奈が中学生になる少し前に、家族は村を出る。そして同じ頃に祖母が死んだ。

 これでやっと母は祖母から解放される。佳奈は悲しみと同時にそう思ったが、現実は違った。


 母は心を病み、佳奈に依存するようになったのだ。


 完璧にこなしていた料理も掃除も洗濯も、評価する祖母がいなくなったとたん、母はやらなくなってしまった。

 今まで祖母の言うとおりに生きてきた母は、手足を動かされていた糸を突然プッツリ切られ、自ら動かす事ができなくなってしまったのだ。


 それから佳奈は家のことと学業を両立しながら高校に進み、大学にも合格した。母は佳奈に家から大学へ通うようにと言ったが、佳奈は母を置いて家を出た。母のようにはならない。佳奈はもう、母の顔色に振り回されて生活するのはうんざりだった。


 佳奈は涼子と遥の顔を確認すると、小さく息を吐く。


「でも結局、家を出たところで私の根本はなにも変わらなかったんです」


 大学では服装や趣味、恋人の有無などでマウンティングがあった。グループ内では密かに、けれど誰もがわかる優劣があり、その立ち位置を超えてはいけない。グループで上位の子の服装や趣味を真似、背伸びをしてでもブランド品を買った。トップが機嫌を損ねれば、すぐにグループから弾かれるのだ。


 就職して、必死に高スペックの男性を見つけてはアプローチし、運良く結婚。ほっとしたのも束の間、子供が生まれてからはママ友カーストに巻き込まれる。 


 ママ友たちが定期的に家に来ることに備え、オークションでブランド品や高級食器を買った。食事をしても味なんてしない。品定めされて、点数をつけられる時間でしか無い。

 馬鹿らしいと分かっているのに、輪から弾き出されるかもしれない不安。写真を撮って、SNSにあがった投稿のコメントやいいねの数をみて、佳奈はやっと安心できた。


 少し前から例のフリーマーケットで、ブランド服の掘り出し物をよく見かけるようになった佳奈は、人目を偲んでこっそり通うようになっていた。


「あなたたちにフリーマーケットの話をされて、焦りとバレたくない気持ちでいっぱいでした。結局私は母と離れたところで、人の顔色に振り回されて生きているんです。終わらないんです。ずっと、ゴールの見えないマラソンを走ってる。次から次に目の前にハードルが出て来て、私はそれを超えることもできずに、倒しながら走ってるんです。ずっと」


 佳奈は再び俯いてしまう。それをみて何か言おうとする涼子を、遥は止めた。


「バレないための一番の解決策は、先にバラしてしまうことです」


 涼子は意味が分からない、と遥を見る。


「佳奈さんはバレたく無いから悩んでいるのよ?」

「なぜバレたく無いのでしょう。幻滅されるから? 距離を置かれてしまうから? 娘の奈々ちゃんの交友関係に響くから?」

「そんな、簡単な話では……」


 力なく言う佳奈に、遥は少々語気を柔らかく切り替えた。


「ルールとは、最初に言ったもの勝ちですよ。高級志向な服装や食事が『出来ない』のであれば『やらない』スタンスに変えてしまえばいい。無理していたと笑われてもいいじゃありませんか。価値観の異なる人と距離が取れたら、それはそれで万々歳です」

「でも、奈々がお友達と遊べなくなります」

「そうでしょうか。それに、それはあなたの問題ではなく娘さんの問題です。お母様のようにはならない。そう思ったんですよね? このままでは娘の奈々ちゃんにも、同じように思われてしまうのではないですか?」


 遥の言葉に佳奈はハっとした。


「佳奈さんの価値観と、今一緒に過ごされているご友人の価値観、どちらも否定する必要はない。混ざり合わなくても、それぞれの価値観を認め合えれば共存できます。どちらかに寄せる必要はないんです」


 佳奈は再び、目に涙を溜めた。


「ママ?」


 奈々が扉を開けて、顔を出す。母親が知らぬ大人二人を前にして涙を浮かべる姿に不安を覚えたのだろう。

 遥は奈々に視線を合わせて、出来るだけゆっくり、穏やかに声をかけた。


「大丈夫です。奈々ちゃんのママは何も悪くありません。泣かせてしまってごめんなさい」


 奈々は頷く。


「そうだ。あたしの服、見にいらしたら? 気に入ったものは差し上げるし、SNS映えするようなアクセサリーなんかも、きっとあるんじゃないかしら」

「言うと思った」

「なによ」


 遥は涼子に向き直ると、小さく息を吐いた。


「私があなたと佳奈さんで一日出かけたらいいと提案したのは、なにもSNS映えする材料を揃えようっていうんじゃない。佳奈さんの周りのお友達に、今のコミュニティー以外にも居場所はあると見せるためです。マウンティングが好きな人種は、他所で楽しくされるとあまり面白くないでしょうから、佳奈さんへの執着も薄れていくのではないか。そういう意味です。それを、あなたが物をあげたりお金を払ったりしては全く意味がない」

「別に、あたしがあげたものをSNSに載せたっていいじゃない。何がいけないの?」

「あ、あの」


 戸惑う佳奈をよそに、二人は止まらない。


「だいたい。さっきからあなたあなたって、なんでそんなに上からなのよ。名前で呼びなさいよ。涼子。ほら、言ってごらんなさい?」

「論点がずれています」

「何、その言い方。少し頭が切れるからって感じ悪いわよ」

「そもそも人に窃盗の濡れ衣かけといて今更——」

「あ、あの!」


 娘も見ていますから、とようやく佳奈の声が届いた。


「まあ、とにかく。佳奈さんも疲れた時は休んで。あたしでよければ、何も考えずに連絡してくれて構わないわ」

「暇そうですもんね」

「ちょっと。まだやり合う気?」


 涼子が遥を大袈裟に睨む。すると、奈々が声をあげた。


「ママが笑ってる!」


 涙目な佳奈が、優しい顔で二人を見ていた。


「馬鹿ですよね、私。見栄ばかり張ってしまって。自分の育った境遇や、奈々のせいにして都合よく言い訳して。今の人間関係は、私自身が選択してきた結果。奈々の気持ちに全然寄り添えていなかったことに、ハッとしました。母のようにはならない。そう心に決めていたはずなのに」


 佳奈は奈々の頭を撫でながらごめんね、と小さく言った。


「奈々ちゃんの顔を見れば、佳奈さんのこと大好きだって伝わる。佳奈さんが自分の気持ちに素直になれたら、今よりもっと、奈々ちゃんの笑顔が増えるわね」


 涼子と奈々は、顔を見合わせて笑っている。


「お二人とお話しできて、自分がどんな子育てをしたかったのかを思い出せました。それで、あの……」


 佳奈は恥ずかしそうに続ける。


「こんなご縁でなんなんですが、これからも、その……お話しできませんか?」

「もちろん! いいに決まってるじゃない。もうお友達だもの」


 涼子の言葉に安堵した佳奈は、そのまま遥を見た。佳奈と目が合った遥は、こめかみ辺りを人差し指で掻きながら、ボソッと呟く。


「私も、ですか」

「それはそうよ。ほら、涼子ってまだ聞いてないけど?」

「しつこいな」


 佳奈はクスッと笑った。


「お二人みたいに、自分の気持ちを素直に言い合えるお友達、いいですね」


 遥は、ヴンッと咳払いをする。


「改めて。こちらは松永涼子さん。私は彼女の服を洗濯しているクリーニング屋でバイトしている、伊東遥と申します」

「佳奈さん、歳はおいくつ?」

「二十七です」

「そう。あたしは三十歳。そういえば遥は?」

「二十三」


 ぶっきらぼうに答える遥を見て、涼子はニヒルに口角を上げた。


「なによ、一番年下じゃない。もっと笑ったほうがいいわよ? 老けて見えるから」


 遥が面倒の極みを顔に出す。


「奈々は、七さい!」


 クローゼットを開けながら遊んでいた奈々も、つられて返事をした。佳奈はまた笑う。先程まで澱んでいた佳奈の気持ちは、少しずつ晴れているようだった。

 するとその時。佳奈は突然思い出したように真顔になり、口に手を当てて考え込む。


「そういえば……このワンピースを買った時、少し変でした」


 声色を変えた佳奈に、涼子と遥が振り向いた。


「ブースの前を通り過ぎようと思ったら引き止めらたんです。このブルーのワンピースはいかがですか、って。それに」


 佳奈は箪笥たんすの引き出しから、小さいノートを取り出す。


「これ。その時ワンピースを入れてもらった袋に一緒に入ってたんです。中を開いて見てみたら、なんだか少し気持ちが悪い内容で」


 佳奈は、ノートの中身を話し始めた。

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