佳奈

 三日後。SAEKIと表札のついた家の前に二人はいた。

 

「ここがあたしのワンピースを持っているという女性の家ね。で、どうやって確かめる?」

 

 あのあと調査——なんて言うまでもなく、適当にハッシュタグで飛んでいたら割とすぐに見つかったワンピースを着ていた女性、佐伯佳奈さえきかな

 涼子が住む高級住宅街からそんなに遠く無いこの家もまた、立派な門構もんがまえであった。

 

「突然見ず知らずの人が来て、玄関開けてくれますかね」

「あたしだったら開けないわね」

「正直に言いますか。『あなたの持っている服、盗まれた私のものなのですが』って」

「……あなた、けっこう野暮なのね」

 

 そう言われても、他になんの用事もないのだ。SNSで佐伯佳奈を辿る過程で、大体の交友関係は想像できた。今日はどこで誰とランチ、買い物、ヨガに子供の習い事。行動のほとんどを簡単に辿れてしまうSNSに遥は正直ぞっとする思いだった。

 

奈々ななのおうちに、ご用?」

 

 振り返ると、こちらに向かって走ってくる少女がひとり。

 

「待ちなさい奈々。どちら様でしょう?」

 

 少女を庇うように手を取るこの女性が佐伯佳奈だということは、よく顔を確認せずともすぐにわかった。

 

「その服」

「え?」

「あなたが今着ている服、彼女のなんです」

「ちょっと!」

 

 突然驚くでしょう、と涼子が遥をたしなめる。ブルーのワンピースの裾をぎゅっと掴んだ佳奈は、耳を赤くして辺りを見回すと、ちらほらと感じる視線に伏し目がちに呟く。

 

「外では困ります。よろしければ中に」



 


 


「案外、すんなり入れましたね」

「一緒に居るだけで、あなたと同じ感覚の持ち主だと思われるのは心外……ってあなた、なにニヤついてんのよ。気味悪いわね」

 

 涼子は遥にこの件を依頼したのは間違いだったか、とその表情に後悔を滲ませた。

 

 佐伯邸は外観こそシンプルだったが、リビングはとても賑やかだった。シャンデリアに西洋の黄色いソファ、飾られてある絵画はどれも高価なものに見え、部屋の広さは涼子の家の半分といったところか。

 そんなことを考えているうちに、遥は今涼子と肩を並べて椅子に座っているこの状況を妙に面白おかしく感じたのだ。

 

「奈々。宿題が出されていたでしょう、隣の部屋でやっていなさい。すぐに済むから」

 

 佳奈の表情は言葉通り早く帰ってくれ、と言わんばかりだ。

 

「先程の話ですが、このワンピースはしっかりお代をお支払いして私が買ったものです。それをあんな、誰が聞いているかもわからないところで」

 

 佳奈には怒りというより、不安と動揺が強く出ているようだった。

 

「ごめんなさいね。佳奈さんが盗んだとか、そういうことではなくて。お恥ずかしい話、あたしの家の者がくすねたものを売ってしまっていてね」

「私の名前や家は、どうやって?」

「たまたまその服を着て写っている投稿をSNSで見つけたんです。辿り着いたあなたのアカウントも公開されているものだったので、過去の投稿やコメントなどで大方の情報は得られました。あまり生活を晒すのも、考えものですよ」

 

 遥がそう言うと、佳奈は黙り込む。その状況を見て、涼子は明るく切り出した。

 

「いやね、なにも佳奈さんを責めに来たとか、そういうんじゃ無いの。そのワンピースがどうやってあなたの元まで辿り着いたのかを知りたいだけなのよ」

 

 涼子がそう尋ねても、佳奈は俯いたまま。

 沈黙が続く。

 

「フリーマーケットで手に入れたのではないですか」

 

 佳奈と涼子が、同時に遥を見た。

 

「少し前にやっていたんです。私も知らずに通りかかっただけですが」

「なんでそんな断定的なのよ」

 

 涼子が訊くと、遥はリビングの扉の辺りに視線をやった。

 

「リビングに入る時、カウンターキッチン横に箱が見えたんです。その中に『ティーセット二五〇〇円』ってタグの紙が。他にも同じようなタグが数枚入っていたようですし、そんなものに値段を書いてやりとりするのはバザーかマーケットかなって。それでふと、先日やっていたフリーマーケットを思い出したんです。もしかして、ワンピースもそこで購入したのではないかと思って」

「違います」

 

 佳奈は目を泳がせながら遥の話を遮り、否定した。

 

「用がそれだけでしたら、もう帰ってください。ワンピースはお返しします。クリーニング代もお支払いしますから」

 

 その場でワンピースを脱ごうとする佳奈。

 涼子は慌てて止めるが、佳奈は聞く耳を持たない。その目には、じわりと涙が溜まっていく。


「では、こうしましょう」


 遥は場の空気を変えるように、ひとつ手を打ち鳴らした。

 

「本当のことを話してくださったら、私の隣にいるこの松永家の御令嬢である涼子さまが、あなたの友人としてランチ、ショッピングからディナーまで、一日お付き合いします」

 

 名案だ、と遥は二人を交互に見る。

 佳奈はへたり込むように椅子に座った。

 

「ちょっと。そんな事がどうして、話をする対価になるのよ」

「なんならおまけでそのフリマのタグ、預かって捨てておきますよ」

 

 佳奈は諦めに近い表情で遥を見る。

 遥と佳奈にだけ話が通じている状況に、涼子は置いてきぼりだ。




 



「おっしゃる通り、このブルーのワンピースはフリーマーケットで買いました」

 

 少しして落ち着きを取り戻した佳奈は別の服に着替え、テーブルの上に畳まれたワンピースを涼子に差し出した。

 

「あ、これは本当にいいの。気に入って着てくれていたみたいだし、なんならもうこのワンピースはあなたに着て欲しいわ」

 

 それより、と涼子はスマートフォンの画面を佳奈に見せる。

 

「そのワンピースを売っていたのって、この人じゃなかったかしら」

「そうです、その方。まさか盗んだ服を売っていたなんて、知らなくて」

「それはそうよね。それでその人、なんか変だったとか、他に覚えていることはない?」

「どうでしょう。私も別のことに気を取られていたので」

 

 申し訳なさそうに遥を見る佳奈に、涼子はいい加減なんの話か説明して、とむくれている。

 

「明らかにしなくていいこともある、と私は思います。ですが努力と我慢を積み重ねても、得られる結果が検討はずれでは意味がない。あのタグを捨てられないほど追い詰められてしまっているあなたの悩みは、そんな無理なことをしなくても、涼子さんがいればきっと解決できます。形式や条件付きでなく、あなた次第で」

 

 佳奈は遥の目をじっと見つめると、ゆっくり話し始めた。

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