第2話
いわゆる、「ミラーボール効果」とか、「文脈効果」というのは、まあ心理学的な現象で、「複眼的思考」や、「多角的な発想」と、類似のワードだろうか。
いい意味に使うと、常識にとらわれない、固定観念打破に役立つ、ビジネスマンに必須の柔軟な前向き思考…とかなるやろが、ネガティヴにも捉えうる。
極端に言うと、だんだん「言語」というものが、その意味が微分化されて訳が分からなくなる。 そういう最悪の分岐というか、結末…? 精神病の末路、コミュニケーションが成り立たないというアノミー?
例えば、埴谷雄高の、「死霊」とか、ああいう難解な晦渋な文章を読んでいると、だんだん頭が弱い僕などは、言語感覚自体がなんかおかしくなるせいか、いろんな精神活動全部が失調して機能低下するような感じになる。
勿論、難解で多義的な文章やら観念には、自我を、日常を崩壊させるという、楽しさもあります…ドラッグで酩酊して、解放感を得るような、或いはアドレナリン症候群? そういう愉快さ?言語を異化して、トランスフォーメーションの感覚を享受するというか、哲学やらの本を読む場合には、そういう効果が期待できる場合もある。
一種、周囲を睥睨できる感じ。
が、だいたいそういうトリップは、シャブ?や酒とかエナジードリンクみたいに、結局、健康さや社会的な適応力を、かえって低める気もする。
「人間やめますか?」、「人間失格」ということになるw
結局、これは現実と人間、社会と個人、そこの齟齬や溝、こういう発想の源はそこかなとも思う。
まずもって”言葉”を頼りにして、世界を理解して、他人とかかわりを持っていく。
人間関係の中に、唯一無二のアイデンティティを形成する。
そうやって、育ってきて、なんとか自立して生活していく…
Human-Being の場合は、それだけでも大変な難事業で、で、普通に育てばそれを成就できる、そういうカンタンなことではない気もする。
社会人になると必須な?”Media Literasy”とかいう以前に、普通のリテラシーも、獲得が困難と言えば途方もなく困難かもしれない…新聞のテレビ欄を、模様、パタンとして認識すると、途轍もなく複雑だろうが、大人は、それを平気で読解して理解する。
何を言いたいのか、最初は分かっているつもりだったが、?だんだん曖昧になってきた…要するに、「人間関係至上主義」というか、人間関係にすべてを還元するようなそういう発想を「単純すぎる」と、批判するつもりだったのです。
集団の中の序列…それが極めてリアリティのある、主たる関心事。で、その発展形が政治や経済への排他的な興味。(ツツイは、「『日経新聞』だけがリビドーの対象の人々」とか表現していたが?)そう生まれついている人はしょうがないが、そこに違和感を感じるタイプの人間は、はたして非本来的というか、偏頗な Marginal Men だからそうなるのだろうか?と、疑問を呈したかったのです。
だが、作家だけとっても、松本清張もいれば、江戸川乱歩、井上ひさし、小松左京、村上春樹…ドストエフスキーもいればトルストイやゴーゴリもいる。
ヘミングウェイにEAポー。サドやマゾッホ、ルイスキャロルもいる。
それぞれに世界観も趣味も全く異質で、そういう多様性というか、百花繚乱な個性があってこその人類の尊厳かと思う。
寧ろ、万華鏡の中にも、神秘さや美を見出しうる…そういう少女のような天真爛漫無垢純粋さこそが本当に尊いものではなかろうか、と思いたいのです。
大文字のGod と、キリスト、象徴天皇…現人神についての考察 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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