第6話

「口説いてたのか、先生」


 マスターが目の前にやってきて言った。

 ヴェロニカさんは大き目な声で、「振られちゃったー」と言った。その声は騒がしい店にも響き渡ったらしく、常連たちが一斉に振り向いて、彼女を笑った。


「いいぞ、兄ちゃんよくやった!」「だはは、ざまあみろってな」「この男たらしには痛い目見せなきゃねえ!」

「あはは、うるさいなあ、もう」


 僕はその様子を、笑ったふりをしながら、外から黙って見つめていた。


「もう一杯飲むか?」


 マスターが問う。

 ヴェロニカさんはサッとグラスを差し出した。


「お願いしますっ」

「はいよ」

「ヨハン君は?」彼女は僕を見た。

「いや、僕はもう帰ります」

「えー、もう帰っちゃうの」


 文句を言う彼女を無視して、僕はジャケットのポッケから財布を取り出した。


「また来な、お客さん」


 紙幣を差し出すと、マスターがそう言った。


「そうですね、また来たいです」


 それは、まんざら嘘八百でもない。しかし、おそらくもう二度と、訪れることは叶わないだろうという予感があった。

 僕はこのあと、どうするべきなのだろうか。ヴェロニカさんは僕をどうするのだろう。通報するのだろうか。それとも、何もしないのだろうか。

 もし彼女が何もしなかったら。僕は、今日得た情報を連合軍に伝えなくてはならない。ではなんと伝える? 最悪の魔女は小説家で、酒場に入り浸っていて、そこそこ人望があって……バカみたいだが、僕は事実だけを伝えればいい。そうすれば僕の目的は————人類の役に立ちたいという願いは、叶うのだから。魔女エルジーラは魔法が不得意で、筆跡に魔力を宿す女だったのだ。これだけの情報でも、価値がある……。

 椅子を降りた。その時、ふと疑問が1つ、頭に浮かんだ。人類はどうやって、最悪の魔女エルジーラの存在を知ったのだろう。彼女が戦場で目撃されないのは、そもそも戦場にいないからだ。情報が少ないのは、小説を書く傍らで軍に協力しているから。加えて、彼女が残した文字は有害ゆえに、人間が解析することができないからだ。

 ではどうやって、彼女の存在にたどり着いた? 過去の諜報による成果? いや、そんなものが過去にあるなら、僕の任務はもっと楽になっていたはずだ。ならどうやって……。


「どうしたの、固まって」ヴェロニカさんの声。

「ああいえ、なにも」


 立った状態から見る彼女は、思っていたよりも小さい。頭のてっぺんにある、はねた髪がよく見えた。それからブラウンの、小さな二本角も。

 僕は思い出す。魔力が宿る文字。人間には有毒な文字。戦争については書かない作家。魔導書の作成には有利な才能。

 もしも連合軍が彼女のことを、知っていたのだとしたら?

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