第5話
すぐに自らを落ち着かせた。まだ決まったわけではないのだ。鎌をかけられているだけだ。
「偽物の角を作る技術があるんですね。それ、人間たちに盗まれたりしたら、怖くないですか?」
「そうだね、もし人間側にその技術があったら厄介かも。でもさ、人間は魔力に耐性がないから、有害物質を頭に埋め込むみたいなものだよね」
「そう、ですね」
「なんにせよ私には見破れるけどね。ああそう、あともう一つ特技があった。私さ、書いた文字に魔力が宿るんだ」
僕は黙って続きを促した。
「これ、魔法陣の記述にはすごく便利なんだよね。その代わり、人間が私の文字を見たらそれだけで中毒になっちゃうけど」
なるほど、彼女が入店したときにマスターと話していた「秘密の傑作」というのは魔法陣や魔導書のことらしい。彼女は兼業だったということだ。
つまりどういうことなのだ。いつの間にか、僕は相手の思惑に神経質になっていた。今の言葉にどんな意味があるのだろう。平静を装うためにグラスの氷を転がしてから、少しの酒を口に含む。まだ酔いは回らない。
「どう? 一緒に住みたくなった?」
このふざけた言い方も、何か裏があるのではないかと思えてくる。
「いいえ、なりませんよ」
呆れたように僕は言った。
まだボロは出していないはず。だが鎌をかけられている以上、僕が人間であることを疑われているのは間違いない。その疑いを晴らさない限り、僕がこの街で安心することはできない。
「もう一杯頼まないんですか?」
僕は彼女のグラスを指して言った。もうとっくに空になっている。
「ううん、ちょっと休憩」
そういう彼女の顔はさほど変化がないが、ほんの少し赤いように見えなくもなかった。
僕はマスターを探した。彼はまだ反対側の客と話し込んでいた。声をかければよかったのかもしれないが、その前に彼女が言葉を続ける。
「でもさ、自分で言うのもなんだけど、私、君の好みに合ってると思うよ」
「僕の好み?」
彼女は新しいタバコに火をつけながら、言う。
「君はさ、なんというか、魔女っぽい女性が好みでしょ」
「は」低い声が出た。
「君が探してる理想の女は、案外私かもしれないよ」
魔女。最悪の魔女エルジーラ。人類の連合軍にいる一部の人々でのみ通る呼び名。魔族領でその名前は公開されていないし、魔女という表現も使われない。
人類にそう呼ばれているのを知っているのは、魔王軍関係者か、あるいは、魔女本人だけであろう。
「あはは」
笑い声が出た。心からの笑いだった。
僕は天井の灯りを一度見つめた。それから、だいぶ氷の解けたウィスキーを、残り全部、一気に飲み干した。
「どうしてわかったんですか、僕の理想の女性」
「これでも経験豊富だからねえ。見れば、わかっちゃうんだよ」
あとは作家の勘かな、と彼女は言う。
「そうですか」
「バレるのは嫌だった?」
「嫌どころじゃないですね」
「安心してよ。誰にも言わない」
僕はまた耳を疑った。それはかくまうことを意味する。
「どうして」
「そりゃあ、私にも良心ってものがあるからね」
「……」
そんな理屈が通るはずがない。僕は人間だ。放置すれば魔族側にとって害になる。その場合はかくまった彼女だって罪人になるのだ。
「だからさ、一緒に住もうよ」
彼女は言った。そこで僕は、その言葉の意味をやっと理解した。
通報はしたくない。しかし帰せば情報を持ち帰られる。だから一緒に住む。僕を監視下に置くことで、無害化した状態で生かそうとしているのだ。
僕は考えた。人類への貢献。果たすべき任務。打ち切られる支援。命の危険。失った仲間。
いっそ。いっそのこと。ここで首を縦に振ってしまえば、全て、楽になるのではないだろうか。
「どうかな」
ヴェロニカさんは、吐き出した煙が立ち上っていくのを見つめた。
「いや」僕は言った。「できません」
「どうして?」
「自分に釣り合わない女性と関係を持つと、後々辛いらしいじゃないですか。ヴェロニカさんは余りに素晴らしい女性ですから」
「ふうん」彼女はニヤつきつつも、深くため息をついた。「残念」
断ったことで、僕が何をされるかはわからない。諦めて通報されるかもしれないし、殺されるかもしれない。でも、その方が良い。僕は人間だ。たとえ人類の役に立てなくたって、せめて人間として死にたい。
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