第4話

「ねえ君」

「はい」


 隣から突然話しかけられた。なんとか平常通りに返事をする。


「ほんとにタバコ全然吸わないの?」


 気づけば彼女の持っていたタバコは既に灰皿の上で潰れていた。


「ええ、まあ」マッチだけ持っているのは怪しいかもしれない。「そのマッチは、友人がくれた余りものでして、本当にたまたま持ってただけなんですよ」


 彼女のグラスの横にあるマッチを見て、そう言った。

 『たまたま』という点以外、僕は事実を言った。ただしその友人はもうこの世にはいない。だからこのマッチに何か特別な意味を見出すならば、文書を燃やす度、魔族が悪であることを思い出すことくらいだ。


「もし何本か吸うようでしたら、好きなだけ使ってもらって大丈夫ですよ」


 僕は努めて笑顔でそう付け加えた。


「ほんと? じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」


 彼女はタバコをもう一本口にくわえて、再度マッチを擦った。中身はまだ十分に残っているはずだ。


「やっぱり君やさしいね」彼女は言った。

「そうですか?」あまり言われたことはない。

「名前なんていうの? 私はヴェロニカ」


 ヴェロニカ。何度聞いても、普通のいい名前。やはり先ほど聞いた恐ろしい名はただの作家の名だ。彼女が最悪の魔女と関係があるとは思えない。

 落ち着いて、名乗りを返す。


「ヨハンです」魔族の学生ヨハン。僕がこの街で演じている役名だ。

「ふうん、ヨハン君っていうんだ」


 彼女は笑ってそう言うと、頬杖をついて僕の顔を見つめた。その手に挟んだタバコの煙が、彼女の片目尻を隠す。意味ありげな反応だ。


「どうか、しましたか?」


 僕は動揺を装った。その方が青年らしく見えるだろう。


「結構タイプかもって思って」

「な……あ、はは、またからかうんですか」

「ねえ、私と住まない?」

「え」ほんの少し素が出てしまった。「住む、ってそれ、口説き文句ですか?」

「まあ、そうとも言える」


 言えるのだろうか。


「お断りします。せめてもっと段階を追ってください」

「段階追ったらオッケーってこと?」彼女はクスクスと笑う。

「さあ、それはわかりませんけど」


 言って、我ながら馬鹿な応えだと思った。魔族の誘いに乗ることなんか100%ないに決まっている。


「じゃあもっと自己紹介、しちゃおっかな」


 ヴェロニカさんは酒で口の中を濡らしてから、続ける。


「私さ、魔法がそんなに得意じゃなくって」

「そうなんですか」


 魔族なのだから、その時点で人間よりは得意なはずだが。


「でもね、魔法について得意なことが二つだけあって」


 言って、タバコを持っていない方の手で二本の指を立てた。


「一つは、魔法陣とか魔導書をわかりやすく記述する、もしくはあたらしく開発すること」

「すごいですね。そういうことができる魔族は稀なんじゃないですか?」

「まあねー」

「もう一つはなんですか?」僕はウィスキーを口に運ぶ。やっと半分くらいになった。

「もうひとつはね、魔法を見破ること」

「見破る?」

「そう。目で見て、仕組みとか弱点を分析したり、偽装系の魔法を見破ることが得意なの」

「偽装系の魔法……」

「ピンとこない? 例えば、変身する魔法とか、」

 ヴェロニカさんは、僕の頭に生えているはずの黒い角に、人差し指で触れた。

「偽物の角を本物に見せかける魔法、とかね」


 僕は呼吸を止めた。自分の気管が圧迫され、そこから漏れる空気の音が聞こえた。そして全ての音が、僕の感覚から消え失せた。

 一体、いつから? もしや僕の横に座ったのは……。

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