第2話

 すると、店の中にいる客のほとんどが、僕の背後にいる人物を見た。


「おおヴェロニカちゃん!」

「待ってたよ!」

「きょうもかわいいねえ!」


 一斉に騒ぎ立つ客たち。僕は発言一つ一つに聞き耳を立てた。


「はいはい、うるさいなあ。あんたらのせいでお店の雰囲気が台無しなんだよね。毎回のことだけど」


 彼女は言いながら、僕の右隣の木椅子を引いた。他にも空いている席があるはずだが、角の席が良かったのだろうか。そこはテーブル席とある程度の距離を保ちつつ、かつ話しやすい位置だ。

 ヴェロニカと呼ばれた彼女は椅子に腰かけた。くたびれた大き目のコートを脱ごうとはしなかった。

 彼女はカウンターに両肘をついて、僕の目の前にいるマスターの方を見た。そのとき僕は、彼女の横顔をちらりと見た。そして僅かに眉をひそめた。

 美人だった。

 無駄のない顔つき。歳はおそらく30前後。ところどころ荒れている、肩まで垂れた暗い赤髪。ブラウンの小さな角二本。かろうじて三白眼ではない、少しの温かみがある目。瞳はふんだんに光を吸って輝いていたが、しかしそれは物理的な話で、いわば信念の輝きみたいなものは一切見られない。

 僕がなぜ眉をひそめたのかと言えば、魔女と言うのは美人だと相場が決まっているからだ。とはいえ、髪や服が若干だらしない点は魔女のイメージからは離れているが。


「マスター、おすすめのウィスキーお願い」彼女は僕と同じ注文をした。

「またツケか?」マスターはカウンター下から氷を取り出して言った。「先生、もう10日連続だぜ」

「ごめん! もうすぐ新作が書き終わるからさあ」


 彼女はそう言って手を合わせた。

 10日連続。バカバカしい数字だ。この時点で、彼女が最悪の魔女エルジーラである可能性は消え失せた。戦場では毎日のように殺し合いが起きているのだ。10日連続で酒場に来るような暇人が魔女なわけない。


「そうかい。期待せずに待ってるよ」マスターはグラスをサッと磨く。

「本当だってば。この店にいる時間以外はずっと書いてるんだからね」

「そんなに書いてるのか。発表してる作品はそこまで多くないように見えるが、隠してる傑作でもあるのか?」


 カウンターの向こうで、氷の入ったグラスにウィスキーが注がれる。先生と呼ばれた彼女は、微笑を含みつつ、「んー」と少し間を持たせる。僕は自分の酒を一口飲んだ。


「ひみつー」彼女はカウンターに少し乗り出してそう言った。

「まったく」


 マスターはあきれ顔になりつつ、彼女の前にウィスキーの入ったグラスを置いた。


「ありがと。これなに?」カウンター上のロウソクの灯をグラスに透かしながら問うた。

「ギュンターゼリアウィスキーだ」

「やった、私の好きなやつじゃん」


 僕は自分のグラスを見た。同じ酒だ。おすすめというのは日替わりなのだろうか。それとも、マスターが新しく選ぶのを面倒に思っただけなのか。

 本人に聞いてみてもよかったが、そのあとすぐ、マスターは壁際の客に呼ばれて、そちらの対応に向かった。

 もう一口ウィスキーを啜る。酔いが回る感覚はまだない。気分が高揚する感じも、当然ない。依然、店内は騒がしいままだが、僕にだけ急に静寂が訪れたような気がした。

 隣の彼女は、黙ってコートのポケットを探っている。そこからボロボロになったタバコの箱を取り出し、カウンターに膝をつきながら一本抜きとって、口にくわえた。

 僕は横目で見つつ、この美人はタバコもいけるのか、と思った。

 彼女は煙草を咥えながら、コートの別のポケットを探った。

 マッチを出すのだろうと思ったが、すぐに出てこない。その探る手つきが徐々に荒々しくなる。


「あれ?」


 反対のポケット、胸ポケット、裏のポケット、ズボンのポケット。体をあちこちくねらせたりしてすべてのポケットを確認した彼女は、最終的にカウンターの向こうの酒棚を見つめて、


「マッチどこやったっけ……」と言った。

「よかったら使いますか?」


 僕はジャケットの裏ポケットからマッチを取り出し、右隣の彼女に差し出した。

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