最悪の魔女は小説家?

紳士やつはし

第1話

 ジャケットのポッケに入った、しわくちゃの紙切れを広げた。バラバラの文字を、頭の中で組み変える。


「諜報員アギル上等兵。最悪の魔女エルジーラの居場所と思われる範囲をここに示す。魔族の戦力の要である魔女についての情報を得ることができれば、この戦争は終わる。既に魔族領へ潜入している仲間と合流し、任務にあたれ」


 僕はその内容をしっかり記憶すると、手持ちのマッチで紙に火をつけ、乾いた風の中に放って眺め、たしかに処分したのを確かめた。



 広げた新聞に挟まっていた、記事の間の紙を見た。ミミズみたいな文字が、頭の中で組み変わる。


「ブレンダ伍長からの連絡が断絶。死亡した可能性、大。任務を続行せよ」


 僕はその内容をしっかり記憶すると、手持ちのマッチで火をつけて、その燃えカスを海岸の上から撒いて捨てた。



 ぶら下げた手のひらに握られていた、古びた紙の欠片を見た。かすれかけていた文字が、頭の中で組み上がる。


「貴殿にはこれ以上の成果を見込めないという判断が下った。明日までに成果を出せなければ、我々からの支援は打ち切られる」


 僕はその内容をしっかり記憶すると、偽の住居のゴミと一緒に、焼却炉に放って全て燃やした。



 魔都メルガニス。魔族の呼び方に従えば、王都メルガニス。

 街の隅にあるその酒場は、まだろうそくの灯りを使っていた。

 カウンター席に座った僕は、ひときわ温かく見える目の前のろうそくを眺めていた。

 渋い茶色のカウンターの上で、静かに揺れる炎。酔っ払いたちの騒ぐ声。木の丸椅子。四方の壁にずらりと並ぶ、ウィスキーの瓶と酒樽。あちこちに貼られている紙には、「魔法使用厳禁!」という、既に法律で禁止されているはずのことが書いてある。店内があまり暗すぎないのは、天井の真ん中にひとつだけ、電気の灯りがあるからだ。

 カウンター越しの向かいに立っている、ガタイのいい中年の男性マスターが、僕の目の前にグラスを一つ置いた。


「お待たせさん。本日のおすすめはギュンターゼリアウィスキーだ」

「ありがとうございます」


 常連あるいは酔っ払いたちのバカ騒ぎに比べたら、マスターはかなり落ち着いている人に見えた。マスターの頭部には、縦に長く細い角が二本生えている。魔族には皆角がある。僕の頭部にも、職人の造形と魔法で固めた偽の角が生えている。

 敵地に潜り込んでから半年。魔族が人類の敵となってからはもうすぐ1年が経つ。魔族側の戦力の要である魔女エルジーラについて、なにか情報を得ることができれば、僕は人類の役に立つことができる。そう意気込んで、この役目を志願したが、結局何もできなかった。

 自分の無能さに呆れかえりながら、やけくそ気味に、最後のアテを頼った。それがこの酒場だ。

 魔女エルジーラの容姿については未だに不明。戦場での目撃例もない。調査が困難を極めることはわかっていた。けど実在はするのだ。魔族側の魔法戦力のほとんどが、そのたった一人の魔法使いに関連するのだ。まだこの任務を諦めるわけには————


「ロックは苦手だったかい?」


 マスターが優しくたずねてきた。考え事が顔に出ていたらしい。まるで素人のミスだ。もう諜報員をやめたつもりになっているのか僕は。


「いえ、とんでもないです。ウィスキーはロックが一番ですよ」


 さっさと笑顔になって、僕は言った。

 正直言って、今は飲みたくない。だが、一人でやってきて飲まないのはさすがに目立ちすぎる。僕はグラスを持って眺めた。背の低い円柱状の、ゴツゴツしたグラス。淡いブラウンの液体と、荒く削られた丸い氷が、ろうそくの温かい光を反射していた。

 グラスを口に付けると、カランと大きな氷が上唇に触れ、微かに粘り気のある酒が口の中に滑り込む。思いの他多く口に含んでしまい、アルコール濃度の熱に顔をしかめた。漏れる息とともに、芳醇な深い香りが後を引く。

 味の良し悪しはわからない。でもきっと、いい酒だと思う。

 グラスを置いて、騒いでいる客たちを見た。直角になったカウンター席の右奥にテーブル席が三つほど置いてあって、空いているテーブル以外の二つを常連の男女が占めていた。

 たわいのない話をしている。隣人の仕事がどうとか、旦那の連絡がどうとか。戦争の話は出てこない。本当にどうでもいい話をして、皆笑っている。

 のんきなものだ、と僕は思った。戦時中なのに、こんなところで羽目を外して。戦争が長引けば、こんな店は続けられなくなるに決まっているのに。

 突然、すぐ後ろからキイと音がした。店の木扉が開いた音だ。客が来たのだろう。僕はわざわざ振り返らなかった。

 マスターが「いらっしゃい」と声をかけると、背後の客は


「すごい。もう混んでるじゃん」


 と言った。僕からしたらさほど店内は混んでいないが、ともかくそれは、女の声だった。

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