5・1 「一目惚れではない」の真実
丸一日横になっていたことと、お医者様にいただいたお薬とでお腹はだいぶ楽になった。
だからランベルト様の帰宅は玄関ホールでお出迎えするつもりだったのだけど、執事長とエマに止められてしまった。みんな心配性だ。
代わりにランベルト様が私のもとに帰宅の挨拶に来てくれた。公爵様にご足労いただくなんて、恐縮してしまう。せめてもとベッドに半身を起こしてお待ちしたのだけど。
「具合はどう――」
そう言いかけて、ランベルト様は微動だにしなくなってしまった。
どうしたのだろうと視線をたどると、私の左手に辿り着いた。
エマが慌てふためいて、隣室に駆けていく。
その姿を見て、思い出した。今朝、指輪をいただいたのだった。
「申し訳ありません。指輪でしたら眠るのに邪魔だったので、外しておりました」
駆け戻って来たエマが、手にしていた小箱を開ける。燦然と輝くブルーダイヤモンドが現れる。
「……そうか。たしかに寝具に引っかかるな」とランベルト様。
納得してくれたようで、ほっとする。相変わらず、目は合わないけど。
「もしまた公式行事に参加することがありましたら、そのときに付けさせていただきますね」
ランベルト様は無言でうなずいた。
「体調はとてもよくなっています。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「そういう発言はするなと――」ランベルト様が言葉を切る。
そしてエマを見た。
「私の物言いは怖いか」
「はい、とっても!」と力強く答えるエマ。
「兄一家を除けば、騎士団員としか会話をすることがないのだ。発言のどこが悪いのかもわからない」ランベルト様はそう言うとほんの一瞬だけ私に視線を寄こした。「変える努力はする。怖がらないでほしい」
ランベルト様の声音は、普段の冷ややかなものとは少し違った。もしかしたら、お困りになっているのかもしれない。
「お伺いしてもいいでしょうか?」
「なんだ」と、よそを向いたままのランベルト様。
その横顔は冷ややかで、不機嫌そうに見える。でも、そう見えるだけなのかもしれない。
「私が話しかけることはご迷惑でしょうか」
「そんなことはない!」
ランベルト様は勢いよく私のほうを向いたけれど、目が合うとすぐに顔をそらした。
「――私は、君が無理やり私と婚約をさせられて、辛い思いをしているのだと。だから口数が少ないのだと思っていた」
「では、お互いに誤解をしていたのですね」
「……辛くはないか?」
「もちろんです。こちらの皆様はとてもよくしてくれますもの」
「……」
エマが変な動きをし始めた。なんだかランベルト様を指さしているように見える。
どうしたのだろう。
しばらく考えてから、ハッとした。
「公爵様にも叔母の訪問を許可していただいたりして、感謝しています」
無言でうなずくランベルト様。
「あと、素敵な指輪も」
私には分不相応だけど、そのことは黙っておこう。きっと落ちぶれ伯爵令嬢と、王弟であらせられる公爵閣下とでは金銭感覚が違うのだ。
「贈り物は好きか? そうだ、兄から詫びの品を預かっている。あとで
「すぐにお礼状を書きますね」
「構わん!」
怒声かと思うほどの叫びだった。怒られたのかと思ったけれど、違うようだった。ランベルト様が、しまったという表情で私を見たのだ。すぐに視線はそらされたけど。
「動かず、養生してくれ。兄にもそのように伝えるから心配しなくていい」
氷結王子なんて言われているけれど、本当は優しい方なのだ。私の身を案じてくれている。
「はい。ありがとうございます」
それからランベルト様は、セニーゼ侯爵夫人について教えてくれた。
ランベルト様の報告を受けて、すぐに陛下は彼女を呼び出し詰問したそうだ。最初は私が嘘をついていると主張したセニーゼ夫人だったけれど、最終的にはわざといじめていたと告白したという。理由は、パガネッラ侯爵令嬢ジャンヌ様。叙勲式のときにランベルト様が無視した令嬢だ。
彼女もセニーゼ侯爵夫人の教え子らしい。そしてセニーゼ侯爵夫人のお気に入り。ランベルト様の妻にジャンヌ様がなれず、ちんちくりんの田舎娘がなったことが、どうしても納得できなかったという。なんとかして私が婚約を辞退するようにしたかったそうだ。
「すぐにバレるって気づかなかったのですかね!」エマが憤慨する。「でも、ミレーナ様の人の好さを見抜いてやっていたのかも」
「そのようだ。君が疑いもせずに従うから、調子づいたらしい」とランベルト様。
「あのスパルタ方式をがんばれば、公爵様に相応しい女性になれると思ったのです」
「は?」
不機嫌な声を出して、私をにらむランベルト様。
「伴侶に相応しくないのは私のほうだが?」
「え……?」
それはどういうこと?
だけどまたしても、すぐに視線をそらされてしまった。
「セニーゼ侯爵夫人は国王の信頼を裏切り、また国王の顔に泥を塗った。明日には都を去る。二度と会うことはないから、安心するように」
「はい」と答えながら、自分が心の底から安堵していることに気がついた。気づかなかったけれど、彼女の授業がだいぶ精神的に負担だったみたいだ。
「では、私はこれで」とランベルト様。
「私の様子を見に来てくださって、ありがとうございました」
「別に。――指輪はどのようなものなら、普段から使える?」
はい?
「ええと。普段はしないので、わかりかねます」
「そうか」
心なしかランベルト様の声に張りがなかったように聞こえた。
もしかして、朝いただいたものを外してしまったから、新しいものをと考えているの?
「あの、公爵様。念のために申し上げますが、指輪は今朝いただいたものを大切に使わせていただきますので、どうぞお気になさらずに」
「ではペンダントのほうがいいか」
「いえ、そういうことではなく、私などに宝石は過分でございますから……」
「女性への贈り物は宝石だと義姉が教えてくれたのだが、違うのか」
心なしか、ランベルト様の眼光が弱くなったように見えた。
「失礼します!」とエマが片手を上げて元気よく声を上げた。「私が返答してもよいでしょうか」
無言でうなずくランベルト様。
「世の中の多くの女性は宝石が好きだと思います。ただ、ミレーナ様は元々着飾ることへの興味が薄く、また、契約結婚であるストラーニ公爵閣下に、過分な負担をかけてしまっては申し訳ないと考えています!」
「なるほど」と、とても納得した様子のランベルト様。「わかりやすい解説だ。で、ペンダントは問題ないのか」
「ミレーナ様は恐縮すると思います。贈り物ならばまず、お花やお菓子程度から始めるのがいいでしょう」
ランベルト様が厳しい表情でうなずく。
「種類はなにがよいのだろうか」
「いらないですから! お気遣いなく!」
慌てて止めに入る。
「迷惑か」と、ランベルト様が鋭い視線を私に向けた。
「いえ、そうではないのですが」
「事情があったとはいえ私との結婚を強制された気の毒な女性に、礼を尽くしたいと考えているのだが、迷惑ならやめる」
陛下との契約書にある『ランベルトに寄り添うこと』の文を思い出した。
「私は今朝まで、迷惑に感じているのは公爵様のほうだと考えていました」
「そんなことはない」
力強い声に、今まで聞いたあれこれが思い出された。
どうするか迷ったけれど、もしかすれば今こそ私たちの関係が変わる瞬間なのかもしれないと、腹を決めた。
「公爵様。この婚約が決まったのは、公爵様が昨年末、中央広場で私に一目惚れしたからだと聞いたのですが、それは――」
「広場で一目惚れなんてしていない!」
私の言葉を遮って、きっぱり言い切ったランベルト様。いつか応接間の前で聞いたのと同じ口調だ。
だけどその目は泳ぎ、顔は真っ赤に染まっていた。
これって……?
もしかして……?
ええ……?
自分の頬が急激に熱くなるのが、はっきりと感じられた。
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