4・1 苦手なマナーの授業

 落ちぶれ伯爵令嬢では、良き公爵夫人にはなれない。


 ということで都についてから五日目に、公爵夫人になるための勉強が始まった。歴史に政治経済、外国語。これらは、一応履修済みだったのと、先生たちが優しいおかげで楽しく学べている。

 問題は、マナーの授業。貴族として、そして公爵夫人として必要なあらゆることを学ぶのだけど、私にはとても難しい。


 ティーカップの取っ手をつかむと、途端に閉じた扇で手の甲を叩かれた。

「っ!」

 カップが揺れてお茶がこぼれる。


「田舎くさい持ち方はやめなさいと何度も言っているでしょう。なぜ反抗するのですか」

 マナーを担当するセニーゼ侯爵夫人はそう言って特大のため息をついた。


 私のために用意された勉強室には、侯爵夫人とエマとの三人だけ。ストラーニ家の人たちに見られていないことだけが救いだ。


 私だって侯爵夫人のお手本と同じようにしているつもりなのだ。とはいえそれを見せてもらったのは五日前の初日のたった一回。公爵夫人になる者は、一回見ただけで覚えなければならない決まりだという。


 できない私が悪いのかもしれないけれど、決まりだからとお手本を見せてもらえず、どこが悪いのかも教えてもらえない。これでは永遠に直すことはできない気がする。


 でもそう主張すると夫人は、『教師に歯向かうとは、なんて躾の悪い娘でしょう』と両親を悪く言うのだ。


 所作だけでなく、すべてがこの調子。都に住まう貴族の名前や、ついている職業その役職の記憶。宮廷や省庁の部署名に、流行している事柄まで。

 公爵夫人になる者が覚えなければならないことは多岐に渡るらしいのだけど、どれもこれも教えてくれたのは一回のみ。あとはひたすら『確認テスト』の繰り返し。


 正直に言って、とても辛い。

 執事長に頼んで貴族名鑑など、暗記系の資料は取り寄せてもらって毎日勉強している。それでも夫人の『確認テスト』はとても意外なところを出してくるので、全然わからない。


 そして所作になるともう、どうにもならないのだ。一応執事長にチェックしてもらっているけど、彼からは合格だと言われているから改善しようがない。


「ほら、すぐに不満を顔に出さない! ああ、はしたない。これではストラーニ公爵がお気の毒です!」

「……申し訳ありません」

「聞こえませんよ! あなたは口がないのですか」

「申し訳ありません」


 セニーゼ侯爵夫人は、やれやれという風に首を横に振る。

「とてもではないけれど、このままでは公爵夫人にはなれませんわね。辞退したほうがいいのではなくて?」

「では夫人から陛下にそのようにお伝えしていただけますか。私が――」

「まあ! あなたは自分で意見を言うこともできないの?」


 夫人はまたも大きなため息をついた。

 

◇◇


「ミレーナ様! 絶対にあの夫人はおかしいですよ」

 ようやくマナーの勉強時間が終わりセニーゼ侯爵夫人が帰ると、エマが血相を変えて迫ってきた。

「少し厳しいわね」

「いやいや、厳しいというレベルではありません! ただの意地悪です! ほかの先生と比べてもおかしいでしょう?」


 確かに系統は異なるとは思う。でも夫人以外の教師は全員男性だ。だからその違いなのかもしれない。


「夫人を選んだのは、陛下ですもの。たくさんの令嬢を教えたベテランだというし。きっとあのスパルタ方式で立派な公爵夫人になれるのよ」

「公爵夫人になる前に、精神を病みますよ!」

「まさか」


 しくり、とお腹に痛みが走った。そっと手で押さえる。


「ミレーナ様? どうかなさいましたか?」

「なんだか痛い気がしたの。食べすぎかしら。毎日豪華なお料理ばかりだから、最近少し辛いのよね」

「わかります」と大きくうなずくミレーナ。「使用人の料理もなんです。私はお願いしてシンプルなものを分けていただいています。ミレーナ様のお食事もそのようにしていただきましょうか」

「そうね。では公爵様がいないときのお料理だけ」


 もっと早くに気づけばよかった。騎士団長を務めるランベルト様は忙しく、一緒に食事をとれないことが多い。だけど今夜の晩餐は一緒だ。

 お腹がまた、しくりとした。


 しっかりしないと。

 最近は、ほんの少しだけどランベルト様との会話が増えた。


 私が『お仕事はどうでしたか』と尋ねて『いつもどおり』との返答をもらう。

 ランベルト様が私に『勉強の進捗は?』と訊き、それに答える。

 ものすごい進歩だ。


 だから食事の時間は、きちんとした令嬢らしく過ごしたい。お腹が痛いとか、食欲がないとかワガママを言っている場合ではないのよ。


◇◇


 子羊の香草焼きをじっとみつめる。美味しそうに見えるけれど、前菜とスープだけでもうすでにお腹いっぱいになってしまった。予想以上に、食事が進まない。でも、食べなくては。


「勉強の進捗は?」

 かけられた言葉に目を上げてランベルト様を見る。

「兄上も気にかけていた」

「だいたいは悪くないと思います。ですが」お腹がしくりとした。「マナーが身につきません」

「そんなはずはない。セニーゼ侯爵夫人の指導はとても評判がいい」


 痛みが増す。お腹に力を入れて、やり過ごすしかない。


「不出来で申し訳ないです」

「そういう発言はしないでくれ」


 では、なんて謝ればいいのだろう?

 ランベルト様は目を伏せ、黙々と食事をしている。迷ったものの、

「わかりました」とだけ答えた。

 余計なことは話さないほうがいいみたいだ。次回からはもっと気をつけよう。


 陛下との契約書にあった『ランベルトに寄り添う』との条項が頭に浮かぶ。

 寄り添うというのは、いったいどうするのが正解なのだろう。


 考えながら、子羊にナイフを入れる。でもとても食べられそうにない。がんばって三口くらいかしら。

 ただ、ランベルト様は私を見ない。ならばずっと切り分けている動作をしていればいいのかも。きっと、食べていないとは気がつかないだろう。

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