3・3 ひとめぼれの真実

 都に到着したばかりだというのにあまりに目まぐるしい一日で、私はくたくただった。けれど、気力をふり絞ってストラーニ家の晩餐に参加した。

 席についたのはランベルト様と私だけ。ランベルト様のお母様は先代国王陛下の寵姫で、ご存命のはずだ。でも、王宮にもこの屋敷にも住んでいないようだ。


 ふたりだけの食卓はとても静かだった。ランベルト様は相変わらず喋らず、目を合わさず、もくもくと食事をするだけ。

 出される料理はオレフィーノとは比べ物にならないほど豪勢だった。でも向こうでは、ノエルと楽しい会話をしながらの食事だったのだ。

 淋しいけれど、これに慣れなくてはいけない。

 ランベルト様だって突然こんなことになって、きっとお困りなのだ。

 

 そのせいなのか、食事中だというのに彼は手袋をしていた。女性に触れたくないランベルト様は、私が屋敷に住むことになってしまったから、用心しているのだろう。

 私にできることは、彼を煩わせないように存在感を消すことだけだ……。


◇◇


 ストラーニ公爵邸に住み始めて三日が経った。ランベルト様との関係はなにも変化なし。

 初日はだいぶ落ち込んだ私だけど、もう気にならなくなった。屋敷のひとたちはみんな優しいし、一生懸命にフォローしてくれる。『ランベルト様はああ見えて、結婚に前向きです』とまで。


 さすがにそれはないとは思う。でも、私へ配慮をしてくれているみたいだ。友人がいない私のために、ウルスラ叔母さまは、いつでもストラーニ公爵邸を訪れていいと許可してくれた。


「でもねえ、ストラーニ公爵が婚約を承諾したのだから、ミレーナちゃんが特別扱いされているのは絶対なのよ」

 ウルスラ叔母さまが優雅にお茶のカップを手に取る。

「あの方は基本的に近衛騎士団長としてしか公式行事に出席しないし、誰かをエスコートすることもないの。このお屋敷だって、陛下ご夫妻と騎士団の人しか入ったことがないと言われているのよ」

「そうなんですか?」

「うちにまで丁寧な挨拶状をくださったし」

「挨拶状?」


 カップを手にしたまま、ウルスラ叔母さまが不思議そうに瞬きをする。


「あら、聞いていないの? あなたが都についた翌日にいただいたのよ。『姪御様は責任をもってお預かりします』って」

 本当に? 私と目も合わせてくれないランベルト様が?

「私たち、まだ三回しか会話をしていないんですよ。それもたった一言だけ。公爵様のお見送り、お出迎えもしていますけど、お声がけしてもお返事は首を縦に振るだけですし」


 それでも、叙勲式のときに声を掛けてきた令嬢への対応を考えれば、十分良いほうなのだろうとは思っている。


「義理は果たす、ということでしょうか?」

「本人に訊くのが一番よ」

「『話しかけるな』オーラがすごいんです」

 伯母さまが苦笑する。

「それは誰に対してもよ!」

 

 快活に笑うウルスラ叔母さまは、とても頼もしい。タンビーニ男爵夫妻は都で唯一の知り合いだし(結婚した従妹は、夫の領地に引っ越してしまった)、数えるほどしか会ったことはないけど、とても信頼できるひとたちだと思う。


 陛下と交わした契約書の裏にあった最後の一文。

 あれについて、叔母さまに相談するかを迷う。


 まるで隠すかのように書かれていたことを、他人に話していいのかどうかがわからない。

 もしかしたらランベルト様が隠したいこと――素手で触れるのも厭うほど女性嫌い――なのかもしれないと考えると、ためらってしまう。


「そうそう。叙勲式のときに公爵様が、無視したご令嬢がいたでしょう?」とウルスラ叔母さま。

「金髪で素晴らしい美貌のご令嬢ですか?」

「そうよ。パガネッラ侯爵家のご令嬢ジャンヌ様。ミレーナちゃんと同い年のはず。今後、彼女には気をつけなさいね」

「どういうことでしょう?」

「ジャンヌ様は公爵一筋なの。身分的にも美貌的にも、自分以外に妻に相応しい女性はいないと考えて、公言もしていたわ。それなのに、ミレーナちゃんと婚約をしたから、怒り心頭との噂よ」 

「睨まれました」

「でしょう? しっかりしたご令嬢だけど、嫉妬に狂うとどうなるかわからないもの。彼女だけではないわ。陛下や公爵様の前では笑顔で祝福していても、妬んでいるひとたちがたんといるはず。外に出るときは、ひとりではダメよ」


『私でよければ、いつでもお供するから』という叔母さま。本当に頼もしい。


◇◇


 お仕事を終えたランベルト様が、アランさんを連れて玄関ホールに入って来る。

「お帰りなさいませ」と、声をかけると彼はいつもどおりに、軽くうなずいて私の横を通り過ぎた。

 どう考えても、特別扱いされていないし、結婚に『前向き』とも思えない。私は手にしていたハンカチをキュッと握りしめた。


 でも怯むな! お礼を言うのよ!


「こっ、公爵様」噛んでしまった。

 だけどランベルト様は足を止めて、振り返ってくれた。視線は鋭くて、心が凍てつきそうだけど。負けずに勇気を奮い起こすのよ!

「今日はタンビーニ男爵夫人が私に会いに来てくれました。訪問の許可をくださり、ありがとうございます」

「別に」


 久しぶりに返答があった! 初日以来だわ。感動!

 でも、ランベルト様のとなりにいるアランさんは、そうは感じなかったらしい。ため息をついて、

「まったく。あなたはいつになったら口がきけるようになるのですか」と言った。

 それから私を見て、

「訳すと『別にお礼を言われるほどのことはしていない。気にせずたくさん遊びに来ていただきなさい』という意味ですからね」と拡大解釈を披露してくれた。

 ランベルト様は呆れたのか、よそを見ている。


「ええと。とにかく、ありがとうございます?」

 ランベルト様はうなずくと、足早に去ってしまった。アランさんが『見捨てないでやってください』と私に言って、後を追う。

 アランさんや屋敷の人たちは、ランベルト様を結婚させたくて必死みたいだ。私に結婚を断る権利はないというのに、おかしなことばかりを言う。


「ミレーナ様」と執事が声をかけてきた。「そちらのハンカチをお渡しにならないのですか」

「あ……」

 うっかり握りしめてしまったけれど、持っているのはランベルト様へのプレゼントだ。得意の刺繍をハンカチにほどこした。お世話になるお礼にと考え、執事にも賛成されたからなんだけど――


「でも、やっぱりご迷惑だと思うのです」

「そんなことは、ありません! ぜひお渡しください。お願いします!」


 でももうランベルト様の姿は見えない。どうやら奥の応接間に入ったみたいだ。


「またの機会にします」

「そんなことおっしゃらずに!」

 執事だけでなく、控えている従僕やメイドたちも懇願の表情だ。

 彼らには良くしてもらっている。

「わかったわ」


 応接間に向かう。

 もしハンカチをお見せして嫌な顔をされたら、渡さなければいい。

 

 開いたままの扉から部屋の中を伺おうとしたら――


「広場で一目惚れなんてしていないと言っているだろう!」との鋭い声がした。

 苛立ちが感じられるそれは、ランベルト様のものだった。


 やっぱりね。

 そうだろうとは思っていたけれど。

 陛下たちは勘違いをしているのだわ。私には一目惚される要素なんて、どこにもないのだから。

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