3・1 氷結王子とはじめての会話

 どう見ても、ランベルト様はこの婚約に不服そうだ。

 もう後戻りはできないのかもしれないけれど、かといってこのまま進んでいいとも思えない。

 たとえ陛下とタンビーニ男爵の顔に泥を塗るのだとしても。


 今まさに歩き出そうとしていたランベルト様に、決死の覚悟で、

「すみません」と、声をかける。

 またも冷ややかな視線だけが私に向けられる。体の奥底から震え上がる。

「な、なぜこのようなことになったのか、よくわからないのですが――」

 ランベルト様が不快そうに目を細める。

 負けるな、私!


「私の境遇ゆえに婚約をご了承なさったのでしたら、どうぞお気になさらないでください。断っていただいて問題ありません」

 ランベルト様の目が更に険しくなる。そんな目でにらまれたら、本当に氷結してしまいそうだ。

「……こちらも問題ない」

 氷のように冷たい声。

 その意味を考えていたら、ランベルト様は歩き出した。依然大股かつ早足だ。部屋を出て、廊下をずんずん進む。小走りで必死にくらいつく私。


 ええと?

『問題ない』との返答だったけど、ランベルト様は婚約に異議を唱えるつもりはないということ?

 書類がある以上、覚悟は決めた、とか? 

 だとしたら私も腹をくくって、婚約発表に臨むべきなのかしら。


 ……その前に、息が上がりそうだけど!


 と、突然

「ランベルト様! それではご令嬢がお気の毒です!」

 と、どこからか聞こえてきた声に、氷結王子はピタリと動きを止めた。

 私は息を整えつつ、周りを見渡す。すると、こちらに歩いてくる赤毛の青年がいた。渋面で近衛騎士団の制服を着ている。

 部下さんかな?


 青年は表情をゆるめると私に向かって丁寧な礼をした。 

「ストラーニ公爵の従者にして副官の、アラン・ペソアと申します」

 ランベルト様から手を離して、

「オレフィーノ伯爵家長女のミレーナです」と名乗る。

「婚約をご承諾いただき、厚く御礼申し上げます」と、アランさん。それからまた渋面になると、ランベルト様をにらみつけた。「主が気が利かず、申し訳ございません。どうぞ見捨てないでください」


 見捨てる……ってどういうこと?


 アランさんがランベルト様に、『ご令嬢の歩くペースに合わせないなど、紳士として言語道断!』とお説教をし始める。

 どうやら彼も、陛下たちのように結婚推進派らしい。

 ランベルト様、もしや孤立無援? 

 そうか。だから諦観していて、『問題ない』としか言い様がなかったのね。お気の毒に。


「わかりましたね。ちゃんとやってくださいよ?」

 アランさんの言葉に、ランベルト様が無言でうなずく。

 そして再び私の目の前に差し出された、左腕。

 手をそっとかける。

 ランベルト様が歩き出す。今度は、ゆっくりと。


「そうです、その調子!」と褒めるアランさん。

 このペースなら私も歩きやすい。ほっとして、ランベルト様の横顔を見上げて、

「ありがとうございます」とお礼を伝える。

 無言でうなずくランベルト様。

 私とはあまり喋りたくないのかもしれない。


 そういえば、さきほどの『問題ない』とのお返事をいただいたのが、私たちのはじめての会話だ。

 この調子だとあれが最後の会話になるということも、あるのかもしれない。


◇◇


 式典会場である大広間には、すでに多くのひとが集まっていた。その中をランベルト様は平然と歩いていくけれど、私たちはものすごく注目されている。それだけではなくて、明らかにこちらに向かって、

「どういうこと?」

「あの令嬢は誰?」

「となりに立てるほどの器量?」

 と、声高に噂話をしている。


 本当、私も『どういうこと?』と訊きたいし、器量に関しては『そのとおり!』とお答えしたい。

 とはいえ突き刺さるような視線が怖くて膝が震え、足がうまく進まない。


 でも。ランベルト様が今のところ『問題ない』と考えているのなら、私は婚約者として恥ずかしくないふるまいをしなくてはいけないのだ。

 幸い、話しかけてくるひとはいない。先ほどみたいに転んだりしなければ、きっとこの場を乗り切れるはず……!


 と、カツン!と靴音を響かせて、私たちのそばにやってきた令嬢がいた。目を瞠るような美貌に洗練された所作、輝くような金色の髪で、まるで美の女神のようだ。

「ごきげんよう、ランベルト様」と、令嬢がカーテシーをする。


 ところがランベルト様はスルーした。聞こえていないとは思えないけど、彼女の前をとおりすぎる。

「あ、あの!? 話しかけられましたよ?」

「必要ない」


 必要ないってなにが? 返事ってこと? あんなにはっきりと話しかけられたのに?

 振り返って令嬢を見ると、睨まれた。

 これはそうされても仕方ない気がする。あんなに綺麗なひとを無視して、こんなちんちくりんをエスコートしていれば誰だって不快になると思う。


 そこで、ハッとした。 

 これが氷結王子対応! だから広場で彼が私の前で止まったことがあまりに珍事で、陛下たちはちょっとばかり勘違いをしてしまったのだわ!

 なるほどね。少しだけ、今回の経緯が納得できたわ。


 ひそひそ言われながらも、私たちは玉座に近い位置まで進んだ。

 やがて叙勲式の開式宣言がなされた。陛下がおもむろに玉座から立ち上がる。

「先だって、素晴らしき慶事をみなの者に伝えたい」


 来た!


「私の末弟、ストラーニ公爵ランベルトとオレフィーノ伯爵令嬢ミレーナの婚約が、本日成立した。挙式は半年後の九月、大聖堂で執り行う」陛下が私たちを見る。「おめでとう、ランベルト、ミレーナ」

 あまりのことに息をのむ。

 挙式って!?

 もうそんなところまで決まってしまっているの?


 広間は盛大な拍手の音に包まれる。

 だけど私は気が遠くなりそうだった。 

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