2・3 弱気な覚悟と氷結王子
私が連行された部屋には、エマが待っていた。
とたんに安心して、膝から崩れ落ちた。
「ミレーナ様!」
エマと侍女さんたちが私を支えてくれる。
「どうなさいました?」
「エマの顔を見たらほっとしてしまって」
目じりに浮かんだ涙を指でぬぐう。
「陛下は本気で私をストラーニ公爵閣下と結婚させるおつもりなのよ。もう婚約まで済んでしまったわ」
「ええ、聞いております。これから公式の場で発表するとか」エマが困ったような表情になる。「私も公爵夫人に相応しいメイドになるよう、勉強させられるみたいです」
「なんてこと!」
「そこまで!」と侍女さんのひとりが鋭い声で私たちの会話を制した。「のんびりしている時間はありませんよ。余計な話はあとにしてください。お風呂の準備はできていますね? ではミレーナ様、立ってください。――はい、手を浮かせて!」
なにがなんだかわからにうちに私は裸に剥かれて、芳醇な香りを漂わせているバスタブに押し込まれたのだった……
◇◇
全身をつるつるピカピカに磨き上げられ、髪を見たことのない形にセットされ、今はパタパタとおしろいをはたかれているところ。鏡がないから、どんな感じに仕上がっているのかわからない。
そばにはとんでもなく豪華なドレスとアクセサリーが用意されている。
恐ろしい。
すべてが私にとって分不相応。絶対になにかが間違っている。
でも最初は戸惑っていたエマも、今はもう真剣な顔で侍女さんたちの手際を観察している。あなただけは味方だと思ったのに!
扉が開閉する音がして、
「失礼します」と、どこかで聞いたことがある声がした。
お化粧中だから、顔を動かせない。
「あら、ミレーナちゃん、素敵ねえ」
「もしかして叔母さま!?」
「そうよ。あなたの素敵なウルスラ叔母さまよ」
視界に、亡きお母様の妹であるタンビーニ男爵夫人が現れる。
「ああ、叔母さま! よかった、一体なにがなんだかわからなくて、怖いんです」
「そうなの?」と叔母さまは侍女さんが用意したスツールに腰かける。「私はミレーナちゃんが、ストラーニ近衛騎士団長が一目ぼれした相手だと聞いているけど?」
う、新説が出た。
「そんな心当たり、まったくありません!」
「うぅん。ま、そのうち閣下が教えてくれるでしょう」
「でも――」
『彼にそんなそぶりはなかった』と伝えたかったけれど、侍女さんにリップを塗るから喋らないでと言われてしまった。
「それにね」と叔母さま。「陛下は弟のために、三ヵ月も血眼になってあなたを探したそうよ。熱烈じゃない」
それは陛下がですよね?
「ストラーニ公爵は真面目で誠実な仕事ぶりで有名なのよ。素晴らしい結婚相手よ」
そこは好感度が高いかな。元婚約者はとんでもない嘘つきで不誠実だったもの。
「ちょぉぉぉっと厳しくて他人を寄せ付けないオーラが強いけれど、きっと愛する女性には優しいでしょう!」
叔母さま! 前提が間違っています! 私は愛されていません!
抗議したくてうずうずするけれど、なかなかリップを塗るのは終わらない。
終わっても、『よれるからしばらく話さないで』と侍女さんに言われてしまった。
◇◇
結局リーダー格の侍女さんに『喋るな』と言われ続けてしまった。
「もう話してもいいですか」
鏡に映る私は、別人みたいだ。豪華なドレスに美しいアクセサリー類。綺麗に整えられた髪に、お人形のように愛らしく見えるお化粧。
「どうぞ」とリーダー格の侍女さんが許可してくれる。
「こんなに素晴らしくお支度をしてくださって、ありがとうございます」
彼女たちに向かってお礼を伝える。
「陛下に命じられたのだから、当然です」とリーダー格さん。
彼女はほかの侍女さんたちに、『ここはもういいから叙勲式の会場に向かうように』と指示を出した。
部屋には私と彼女、エマとウルスラ叔母さまだけになった。
リーダー格さんが眉をひそめて私をにらむ。
「あなた、自覚なさい」
「なにをでしょう?」
「まず他人がいるところで、余計なことを話さない」
「ごめんなさい」
「素直なところはいいです」とリーダー格さん。「それから、ストラーニ公爵はあまたの女性の憧れの的です。彼の妻の座をみんな狙っているのです。だというのに選ばれたのは、さして特徴がない、落ちぶれた伯爵令嬢。あなたは恐ろしいほど嫉妬され反感を買うでしょう」
あまりの怖さに、ぶるりとふるえる。そういえば彼はファンクラブがあるほど大人気なのだ。
「婚約をした以上、覚悟をなさい。弱みを見せたら攻撃されます。わかりましたか?」
「はい。ご忠告をありがとうございます」
侍女さんがため息をついた。
「……私とて、余計なことは言いたくないのです。しかし、陛下御夫妻が大切にされている弟君の婚姻が、嘲笑の的になるのは許せません」
「あの。婚約者が閣下には相応しくない私という時点で、嘲笑は避けられないと思うのです」
侍女さんのまなじりがキッと上がる。
「あなたとの婚約をまとめた陛下の判断が、狂っているとでもいうのですか。陛下が良しとお認めになっているのですよ。堂々となさい!」
「あ……」
確かにそうかもしれない。どうしてこうなった?という気持ちはあるけれど、陛下は悪い方には見えなかった。――強引ではあったけど。
ランベルト様だって被害者だ。――たぶん。
私がオドオドしていたら、ふたりの顔に泥を塗る。そしてタンビーニ男爵家にも。
「わかりました。ここまで来てしまった以上、しっかりやりたいと思います」
侍女さんがうなずく。
叔母さまは「さすがレイラお姉さまの娘だわ」と喜び、エマは「その意気です!」と褒めてくれた。
「ただ、その前に。これからある叙勲式ってなんですか?」
無知な私の言葉に驚いたのだろう。侍女さんの頬がひきつった。
◇◇
叙勲式は年に一回行われる、国の公式行事らしい。身分を問わずに功績があった人を称え、勲章を授けるそうだ。言われてみれば習ったような気がする。でもろくに領地から出ない暮らしで、公式行事に縁はなかったのだ。そして私は正式な社交界デビューもしていない。わずかな社交経験は、元婚約者のデマルコ家のパーティーへの二度の参加だけ。
侍女さんと叔母さまは、『黙ってストラーニ公爵のとなりに立っていれば大丈夫だから』と頼りになるのかならないのかよくわからないアドバイスをくれた。
「お待たせしました」
緊張をのみこみ、できるだけ丁寧にカーテシーをする。
長椅子に彫刻のようなお姿ですわっていたランベルト様は、鋭い視線だけを私に向けると無言で立ち上がった。そして左腕を出す。
エスコートということかしら?
恐る恐る、腕に手をかける。
ランベルト様が歩き出した。
どうやら正解だったらしい。
ほっとして胸をなでおろす。
が、それも束の間。ランベルト様は歩幅が大きい。以前広場で見かけたときは華奢に思えたけれど、それは周りの人が大きすぎたせいのようだ。
ランベルト様は私よりもずっと背が高く、身体もしっかりしている。
彼の歩みにあわせるために、私は小走りだ。
慣れない豪華なドレスとサイズが合わない靴のせいで、とてもつらい。
でも、がんばらなくては――
「あっ……!」
パニエが足にからまり、よろける。
転ぶ――と思った次の瞬間、私はランベルト様に抱きとめられていた。絹の白い手袋に包まれた手が私の腕を支えてくれている。
「あり――」
お礼を口にしかけたところで、すごい勢いでランベルト様から遠ざけられた。
そのまま無言で、また左腕を出される。
助けてはくれるけど、私のことは気に入らないというところなのだろうか。
「……ご迷惑をおかけしました」
謝り、ふたたび腕に手をかける。
先ほど侍女さんへ宣言した決意が揺らぐ。
こんなに嫌がられているのに、婚約者としてふるまっていいのかしら……
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