2・2 氷結王子あらわる!

「さて。これで憂いはなくなったな」と、にこやかに陛下が言う。

「いえいえ、心配だらけです!」

「どうしてだ!?」と驚く陛下。「ランベルトは世界一良い結婚相手だぞ。性格が良く、頭も良く、剣の腕も良く、顔もいい」

「家柄も財産状態も」と近侍さん。

「部下からの信頼も」と背後から騎士様。


 いや、でも、ファンクラブに入っている町娘さん情報だと、冷淡で厳しい人とのことですが!?


「ちょ――っとばかり、他人への興味が薄いが、私のことはとても信頼してくれている」と、にこにこの陛下。

 今、『ちょっと』の部分が長くありませんでしたかね!?

「心を許している相手には親切です」と近侍さん。

「部下のことは死に物狂いで守ってくれます」


 ……うん。ひとつひとつのエピソードは心温まる。でも相手が限定されているわよね? しかも女嫌いなのよね?

 というか、肝心のことを聞いていない気がする。


「確認したいのですが。この結婚をストラーニ公爵はご納得しているのでしょうか」

「まだ話していない」と陛下。

「まだ……?」

「驚かせようと思って。今頃あいつの副官が伝えているはずだ。そろそろ、こちらに着くのではないかな」

「さ、今のうちにサインを」と近侍さんが卓上のペンを持って私に持たせる。

「……では、この婚約証明書にある閣下のお名前は、偽物?」

「本物だとも。ただ、名前の書いてある紙に、あとから他の文言をつけたしたけどな」


 それって偽造では――――!?

 悪いヤツがやる手口よね?

 お父さまが叔父様に財産を奪われた後、憲兵が教えてくれた『悪人に騙されないために』講座で習ったもの!


「あの……ご本人に内緒で、こういうのは……」

「ん?」と笑顔の陛下。「断らないよね。私、王だよ?」

「ストラーニ公爵閣下は強情なところがあるので、外堀を埋めて差し上げないといけないのです」と近侍さん。「ささっ、一息にサインを」 

「ま、君がしなくても問題ないけどね。王族の婚姻を最終的に認可するのは私だから」

 陛下は婚約証明書を自分のほうに寄せると、近侍さんからペンを受け取り、私の名前を書いた。


「よし、成立。おめでとう」

「えええええ……!」

「家庭教師として働くより、オレフィーノ家にとってはプラスだと思うが?」

「それはそうですけど。でも公爵閣下が私なんかではお気の毒で……」

「「「そんなことはない!」」」


 陛下がため息をつく。

「君はまだあの子を知らないからわからないだろうが、女性に興味を持つというのは本当に奇跡といっていいレベルなんだ。兄として、この機会を逃したくない」

「はい……」


 確かに私は彼のことを名前と顔と市井の噂しか知らない。

 お互いをよく知り合ったらいいのかもしれない――

 とは、やっぱり思えない。私、没落伯爵令嬢。あちら、王弟殿下にして公爵閣下にして、近衛騎士団長にして、氷のような美貌をもつすごいお方。


 う~ん。胃が痛い。

 きっとなにかの間違いだ。

 悪夢だ。

 ……でも契約の内容は魅力なのよね。

 ランベルト様が嫌がらなかったら、覚悟を決めたほうがオレフィーノ家にとってはいい。

 そう、すべては女嫌いだという彼の反応次第――。


 突然、背後の扉が音を立てて勢いよく開いた。

「兄上! 私は結婚なんてしません! 相手が誰であろうと! だいたいオレフィーノ伯爵令嬢ってどなたですか!?」

 怒りにまみれた鋭い声。

 ツカツカという足音がして、彼が私の横を通り抜けて陛下の元へ行く。


「……ん?」

 近衛騎士団の制服をまとったその人、ランベルト・ストラーニ公爵が私に顔を向けた。

「彼女が、オレフィーノ伯爵令嬢ミレーナだ」と陛下が笑顔で紹介する。


 私は緊張と恐怖で強張った体を懸命に動かして立ち上がると、カーテシーをして挨拶をした。

「ミレーナ・オレフィーノです。閣下にお会いできて光栄です」

 たぶん、噛まずに言えた。声が震えたけど。


 ――返事はない。

 ランベルト様は強張った顔で私をにらみつけている。氷結王子の異名もうなずける。まるで生きとし生けるものすべてを凍らせてしまうような鋭い眼差しだ。心の底から震え上がってしまう。

 やっぱりこの婚姻が気に入らないのだわ!


 中止すべきだとの思いを込めて、陛下を見る。だけど彼は、なぜかにこにことして弟を見つめている。

 どうして?

 もしかして陛下の中ではこの恐ろしい目つきでも、向ける対象が女性なら喜ばしいことなの?

「ちょうど今、サインをもらったところだ」と陛下が婚約証明書をひらりとさせ、それを近侍が持つトレイに乗せた。「婚約おめでとう、ランベルト」


 ランベルト様が油の切れた機械のようなぎこちなさで、陛下に顔を向けた。

「……私はそんなものを書いた覚えはありませんが?」

「おや、お前は寝ぼけていたのかな」陛下はそう嘯き、近侍は真顔で証明書を見せる。

 ランベルト様はしばらくそれを凝視していたけれど、やがてかすれた声で、

「……なぜ彼女なのです」と陛下に尋ねた。

「それはもちろん、人助けだ」


 え? 人助け? 私が訊いたときと答えが違いますよ、陛下。


「ミレーナ嬢はな、幼いころからつきあいのあった婚約者に裏切られ騙され、婚約破棄されたのだ! ひどい話だろう?」

 へ、陛下がなぜそれを? 叔母さまへの手紙には、ただ『婚約解消になった』としか書いていないのに。


「ほかにも色々と大変な境遇で、働き口を探していたのだ。こんな可憐な令嬢が!」

 陛下の言葉に近侍さんがうんうんとうなずく。

「彼女はタンビーニ男爵の姪でな。私が縁談をみつけてやろうとしたのだが――」

 縁談?? さっきと話が全然違う!!


「――良い相手がみつからなかったのだ。お前が引き受けてくれると、助かるし嬉しい」にこりとする陛下。「兄の頼みぞ? きいてくれるよな?」


「あ……」

 声をかけようとしたら、すごい勢いで近侍さんに睨まれた。でも無理やりは、どうかと思う。彼はすごく嫌がっているもの。


 ランベルト様が小さく吐息した。

「……わかりました」


 ええ!? 納得してしまったの!?

 女嫌いなんでしょう? もっと抵抗しなくていいの?


「わかってくれたか、さすが我が弟」そう言って笑顔の陛下は立ち上がった。「ちょうどよかった。このあとの叙勲式でお前たちの婚約発表をしよう」

 ええっ! どういうこと!?

 陛下がパンパンと手を叩くと、美しい侍女たちが数人入ってきた。

「さあ、ミレーナ嬢の支度を整えてやってくれ。大至急だ!」

「ちょ、ちょっと待って……」


 私は最後まで抗議ができなかった。侍女さんに囲まれてあっという間に部屋の外に連れ出されたのだ。

 とういか、このタイミング。絶対に侍女さんたちは廊下に待機していたわよね。陛下、確信犯だ!


 私、本当にこのまま、嫌がっているらしき氷結王子と婚約してしまうの!?

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