1・2 可愛くて優秀な弟が暴く真相
アダルベルトが去るのと入れ違いに、ノエルが応接室に入ってきた。
まだ十二歳の弟で、類まれなる美少年だ。けっして姉のひいき目ではない。髪と瞳は私と同じダークブラウンなのだけど、ノエルは天使のような可愛い巻き毛で、瞳は美しい栗のよう。なにより大きな目と愛らしい口が、お人形みたいなのだ。
私たちのお母様は、彼が三歳のときに流行り病で亡くなった。だから私がお母様のぶんまで愛情をこめて育てたつもりだ。
優しかったお母様の気質を受け継いだノエルはとてもいい子で、私の結婚を、淋しがりながらもとても楽しみにしてくれていた。
「セストさんはもう帰ったの? 今日はずいぶん早いね」
私のとなりにすわったノエルは、にこにことしている。セストとも仲良くしていたから、婚約破棄には大きなショックを受けるだろう。
「あのね、ノエル。事情があって、私たちの婚約は解消になったの」
「は?」
ノエルの形良い眉が、ぎゅいんと跳ね上がった。
「どういうこと? なんでセストさんはそんな酷いことを言い出したんだ」
一応『解消』という穏やかな言葉を選んだんだけど、ごまかせなかったみたい。ノエルは非常に賢いのだ。
「他の女性に乗り換えるそうです」
「アダルベルト!」
出て行ったばかりの執事がもう戻って来て、扉脇にかしこまっていた。
「どういうこと?」とノエルが尋ねる。
「デマルコ家は事業の失敗により、財産を大幅に失ったとか。ザネッロ商会がそれを補填するのですがその条件が、娘とセスト様のご結婚だそうです」
「怪しさ満載じゃないか!」
ノエルが叫び、アダルベルトがうなずく。
「更にデマルコ家もザネッロ家も理由をつけて慰謝料を払おうとせず、解消申請書類に理由を記載しない不誠実さでございます」
「アダルベルト。調査」
「すでに手配いたしました」
「さすが」とにんまりするノエル。
「どういうこと? 怪しいの……?」
確かに不誠実だとは思うけれど。
「あのね、姉上」とノエルが私を見上げる。「人の好さとのんびりしたところが、姉上とお父様の長所ではあるよ。でもね、騙されてほしくない」
「私はセストに騙されたというの?」
「そう。『財政難だから仕方なく』と言えば、姉上が簡単に了承すると考えたんだと思う。で、嘘だから、書類に未記載」
アダルベルトが大きくうなずく。
「セスト様は、来週にはお相手と婚約するそうです」
ノエルが不満そうに鼻を鳴らした。
「妊娠させたってところかな」
「そうでしょうね」とアダルベルト。
「え? にん……?」
まさか。セストは私と婚約をしていたし、そんな不誠実でも常識知らずでもない――。
いや。実は誠実ではなかったと、先ほどわかったばかりだ。
「姉上」ノエルが私の手を握りしめた。「結婚前に発覚してよかったよ」
「そのとおりでございます。婚姻を結んだあとに愛人が妊娠したからと離婚されたら、より一層お辛かったことでしょう」
「とにかく慰謝料を取って、懲らしめないとね。書類はどうなっているの?」とノエル。
「私の執務室にございます」
ノエルとアダルベルトが、この落とし前をどうつけてやろうかと話し合う。
でも私は、とうていそんな気分になれなかった。
ふたりの予想が事実だったなら……。
セストを恋愛的な意味で好きだったことはない。でも、仲のいい幼馴染だと思っていたし、彼との結婚を楽しみにしていた。幸せな夫婦になれるとも思っていた。
それなのに彼がここで語ったことは全部嘘で、私を裏切ってもいたかもしれないなんて。
「やっぱり、しっかりした大人の協力者がほしいな」とノエル。「父上があんな風だから、セストも調子に乗ったのだろうしね」
「残念なことですが、恐らくは」アダルベルトが「私が至らなかったばかりに」と頭を下げる。
「お前は執事。関係ない」
ノエルがそう言うと、彼はふたたび頭を下げた。私も、
「ノエルの言うとおりよ」と言い添える。
一年ほど前のことだ。父が病に倒れて、伯爵としての仕事ができなくなった。
だけど長年父のサポートをしていた叔父が、『兄さんも君たちも、病の治療に専念してくれて大丈夫だ。あとのことはすべて任せたまえ』と、私たちに啖呵を切ったのだ。
お父さまも私たちも彼を信頼して、全権をゆだねた。
でも間違いだった。
叔父は、オレフィーノ家の財産を次々に自分名義に変更していたのだ。幸いなことに途中でお父様の秘書が気づいてくれたから、土地屋敷は盗られなかった。だけれど金融資産の大部分が奪われてしまった。
弟に裏切られたショックでお父様の病は悪化。当然よ。誰よりも信頼していた弟に裏切られたのだから。
そしてすっかり弱ってしまったお父様に十分な医療を施すために、私とノエルは売れるものはすべて売り、倹しい生活を心がけている。
オレフィーノは家族全員叔父に騙され、財産を奪われた家。
愚かだから自分でも騙せる、とセストは考えたのだろうか。
「頼れる方といったら――」と、アダルベルト。
「タンビーニ男爵夫人がいい」ノエルが私を見る。「力になってくれると約束してくれたんだよね?」
タンビーニ男爵夫妻はふた月前に都の結婚式でお会いした、お母様の妹夫婦だ。
「ええ。でも、この件では嫌」
「どうして?」
「理由の一つは、私も力を借りたいことがあるから。幾つもお願いするのは申し訳ないでしょう?」
「そうかもしれないけど。姉上はどんなことを頼むつもりなの?」
「お仕事の斡旋」
「仕事!?」
ノエルが可愛い目を見開く。
「侍女とかご令嬢の家庭教師とか。できれば収入が良い職がいいわ」
そうすればノエルに仕送りができるし、自分の将来のために貯金もできる。独身で生涯を終えるのなら、なるたけ弟の負担にはなりたくないもの。
「タンビーニ家は貴族の知り合いが多いみたいだから、それほど難しくない頼み事だと思うの。無理ならば、私に『なかった』というだけで済むし。でも婚約破棄に巻き込むのはダメよ。タンビーニ家はいくら裕福でも男爵位よ」
対してセストのデマルコ家は伯爵位だ。
「もし、立場が悪くなってしまったら大変でしょ?」
「……まあね。僕としては徹底的にやり返したいんだけど、姉上がそう言うのなら、協力は仰がないよ」
「ありがとう。セストのことは、もういいわ。彼のことで煩わされたくないの。解消事由を書いた新しい書類を送ってくれれば、サインすると伝えることにするわ」
「姉上……」
ノエルが私を抱きしめる。
「わかったよ。姉上の気持ちを尊重する。あんな薄情な男のことは早く忘れてね」
優しい弟を抱き返す。
セストのことは悲しくて仕方ないけれど、ノエルのために生きるという新しい道が拓けたのだと考えればいいのだ。
我が家の財政が安定して、ノエルが望む令嬢と婚約できるよう、一生懸命働かなくちゃ。
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