第10話 祝杯

 遺跡の調査を終えた俺たちは、街への帰路に着いた。帰り道は驚くほど静かで、異形の姿を見ることは一度もなかった。心身ともに疲弊しきった俺たちにとって、それはありがたいことだった。だが、その静けさが逆に不気味さを感じさせたのも事実だ。


 道中、俺たちの間に会話はほとんどなく、ただ無言で歩き続けた。遺跡で見たものや経験したことが、それだけ衝撃的だったのだろう。頭の中には、未だにあの光景や出来事が焼き付いている。色々聞きたいことはあったが、特にミーニャの異変に対して思うところがあったものの、結局聞けずじまいだった。


 それでも、出口へ近づくにつれてミーニャの表情は徐々に落ち着きを取り戻していった。もしかすると、あの遺跡の中で感じた何かに当てられていただけなのかもしれない――そう思い込むことにした。


 長い通路を抜け、ようやく出口が見えてきた。久しぶりに外の空気を吸い込むと、胸がスッと軽くなるような感覚がした。冷たく澄んだ夜の風が肌を撫で、心の疲労をほんの少し和らげてくれる。振り返ると、仲間たちの表情にもほっとしたような安堵が浮かんでいた。


 夜も更け、月の光が俺たちを迎え入れるように優しく輝いている。頭上に広がる夜空には、二つの月が静かに浮かび、その光が暗い道を淡く照らしていた。近くに止めていた馬車に乗り込み、俺たちは街へ向けて出発する。


 馬車の揺れに身を任せながら、ぼんやりと夜空を見上げる。長い一日だった。暗い空に浮かぶ二つの月を見つめながら、俺は静かに目を閉じた。



 「着いたぞーレイン!起きろー!」


 フェンが俺を呼ぶ声で目が覚める。どうやら街に到着したようで、街明かりが眩しく目に飛び込んできた。その光景が安心感を与えてくれる。


 「寝るな!起きろ!」


 再び眠りにつこうと目を閉じると、フェンに怒られる。眠いのに無理やり起こされるなんて理不尽だ。


 フェンに引きずり出されるように馬車を降り、みんなでギルドへ向かう。


 ギルドに到着し、受付で依頼完了の報告を行う。調査内容については後日改めて報告書を提出することになった。さすがに今日は疲れた。早く宿に帰って寝たいと願いながら、ふらふらと歩き出すと、背後から肩を組まれる。


 「おーいおいおいおいぃ?レイン君なーに帰ろうとしてるのかな?」


 「は?帰るに決まってるだろ。もう疲れたんだ、寝る!」


 何やら嫌な予感がする。まさか、この後寝ないという選択肢があるのか?


 「まさかだけど、この後飲みに行かないなんて選択肢があるのか?」


 嫌な予感は的中した。フェンは予想通りの言葉を放ち、元気いっぱいだ。こいつには付き合っていられないと逃げ出そうとしたが、目の前に硬い壁が立ちはだかる。顔を上げると、そこには無表情で佇む巨漢、ガロンの姿があった。


 「レイン。すまないが、これは決定事項だ。」


 「ガロン、なんでだよ……お前までそっち側なのか?」


 行く手を阻まれた俺だったが、ここで諦めるわけにはいかない。右へ行くふりをして、相手の反応を見計らい左へ切り返す。見事なフェイントでガロンを抜け、宿という名のゴールへ一直線に走る。これで逃げ切れる――そう思った矢先、横から何者かが現れた。


 俺は勢いを抑えきれず、その人物に頭から突っ込んでしまう。


 ムニュリ、とした柔らかい感触が顔を包み込む。


 「あら、レインったら……大胆。」


 顔を上げると、頬を少し赤く染めたシャーリーが立っていた。その感触の正体は、彼女のたわわに実った胸だった。


 「うわあぁぁぁぁぁあ!ご、ごめんなさーい!!」


 飛び上がるように跳ね起き、全力で謝罪する。しかし、動揺のあまり体勢を崩して倒れてしまう。それでも俺は宿へ向かうべく這いつくばりながら逃げ出そうとした。


 だが、そんな隙を見逃す相手ではない。


 「いまだ!ミーニャ、とらえろ!」


 「わかった。あの変態とらえる。」


 フェンの掛け声に応じ、ミーニャがものすごいスピードで迫ってくる。必死に逃げるが、あっさり捕まってしまった。


 「レイン、観念して。」


 「くっ……こんなところで……!」


 必死にもがくが、すぐさまシャーリー、フェン、ガロンの増援が到着し、あっさりと取り押さえられてしまう。俺はガロンの肩に担がれ、完全に身動きを奪われた。


 こうして、俺の安息の夜はあっけなく幕を閉じたのだった。



 「今日の依頼お疲れさまでした、ということで!カンパーイ!!」

 「「「カンパーイ!!!!」」」

 「……かんぱい」


 全くもって不本意ながらも飲み会に参加することとなった俺は、消え入るような声でフェンの音頭に合わせた。みんな、あんなことがあった後だというのに元気に酒を飲んでいる。


 「あれ?レインはお酒じゃないのか?お前もお酒飲めよ~」


 フェンに絡まれ、眉間にしわを寄せてできる限り嫌そうな顔をする。


 「うわっ……なんだその顔……。」

 「酒は飲まないという顔だ。」


 そう言って、リンゴジュースを飲む。酒なんてまずいだけだ。このリンゴジュースの方が百倍おいしい。それに、周りの酒を飲んで騒ぎ回っている連中を見ると、俺は心底ああはなりたくないと思う。店内は騒がしく、周囲にはすでに酔いつぶれている奴らもちらほらいる。


 「ちぇっ、つれねぇやつだなぁ。今日ぐらいいいじゃねぇかよぉ。」


 そう駄々をこねられるが、嫌なものは嫌だ。


 「あと、飲みすぎないでくれよ。酔っ払いのお守りなんてやりたくないぞ。」

 「えぇ!?酒は浴びるほどに飲んでつぶれるまでが常識だろ?そんなの約束できねぇな。」


 聞いたことのない常識を語られ、耳を疑う。冒険者という職業自体命の危険と隣り合わせだということもあり、酒を飲んでいないとやってられないという話はよく聞くが、それでも限度があるだろう。俺は呆れたようにリンゴジュースが入ったジョッキをあおぎ、騒がしい店内を眺めながら早く帰りたいという願望を抱くが、それが叶うことはなかった。


 しばらくの時間が過ぎると、みんなの酔いが回り始める。よくこういう飲み会をしているからか、みんな酒がかなり強いようで、ハイペースで飲んでいた。そのおかげでフェンとミーニャはすでに出来上がり、ふらふらと酔った状態になっている。ただ、シャーリーだけは酔った様子すらなく、次々と来る酒を平然と飲み干していた。まあ、シャーリーらしいといえばらしい。しかし驚いたのはガロンだ。イメージ的にどれだけ飲んでも平然としていそうな彼が、数杯で酔いが回り、静かなこともあいまって気がつけばテーブルに突っ伏していた。


 「今日は3杯かぁ。持った方じゃねぇか?」


 慣れているのか、誰も心配する様子はなく、むしろフェンに至っては楽しそうに「ガロンの限界数」を数えていた。そんな中でも時は流れ、楽しそうな会話が店内に響く。


 「そういやよ、レインはいつ俺たちのパーティに入るんだ?」

 「は?」


 突然の質問に、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。


 「いやぁ、今日一緒に依頼をこなしてみて、入る気になったんじゃねぇかなって思ってよ。」

 「いやいや、一言も入るなんて言ってないし、勝手に決めんなよ。」


 まさかの理由に、思わず食い気味に否定する。


 「えぇー……いいと思うんだけどなー。俺たちほどアットホームで温かく働きやすいパーティはねぇと思うけどなぁ。」

 「なんだそのブラック求人みたいな定型文は。」


 フェンの言葉に突っ込むと、シャーリーが微笑みながら口を開く。


 「私もレインはこのパーティに合うと思うけどな。今日一緒に戦ってみて、実力も十分だし私たちの動きにもしっかり合わせられてた。それに、馬だって合いそうじゃない?」


 シャーリーにまでそんなことを言われ、思わず口ごもる。確かに、このパーティの居心地が悪いとは思えない。


 「レインともっと仲良くなりたい。もっとお話ししたい。だめ?」


 ミーニャに上目遣いでお願いされ、さらに困ってしまう。しばらく考え込んだ後、ようやく口を開く。


 「みんなにこんな風に言われてすごく嬉しい。でも、もう少し考えさせてくれないか?すごく贅沢なことだってわかってる。『銀狼』っていえば、ノヴァリス一のパーティで、冒険者全体で見てもトップクラスだ。そんなパーティにこんなに勧誘されて、それでも断るなんて何様だって思われるかもしれない。でも、俺には今時間が欲しいんだ。だから……。」


 「もういい。大丈夫だ。」


 フェンが優しい表情で答える。


 「こんなに真剣に考えてくれてるってわかっただけでも十分だ。俺らはどれだけでも待つよ。お前の決心がつくまでな。だから、そんな顔しなくてもいいぞ。俺らは待つから。」


 シャーリーも微笑みながら続ける。


 「いい返事が聞けることを待ってるわ。」

 

 ミーニャもぐっと親指を立てて、俺に笑顔を向ける。こんなにも暖かく優しくしてくれる彼らに感謝しかない。それと同時に、そんな彼らに何もしてあげられない俺が情けなく感じる。そんな俯いた俺を気遣ってか、フェンが明るい声をかけてくる。


 「さ!気を取り直して飲みますか!」


 ちょうどそのタイミングで、先ほど注文していた飲み物が届いた。


 「そうだな!」


 気分を入れ替えるためにも、店員から渡されたジョッキを一気に飲み干す。


 「あ!それ私のお……さ……け……」


 「あぁ、いい飲みっぷりだな!っておいおい!?」


 飲み干した直後、喉が熱くなる感触とともに急に頭がふらついた。視界が揺れ、何が起こったのかも分からず、頭がうまく回らない。一体何が――。


 「あちゃー。私のお酒飲んじゃったかー。」

 「え?マジかよ、よりにもよって飲んじまったのがお前の酒かよ……」


 意識が遠くなる中で聞こえる会話から、さっき飲んだのが酒だったのだと理解する。これが俺にとって初めての酒になったのだった。

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