第9話 魔人

 再び意識を取り戻したとき、俺は硬く冷たい床に横たわっていた。薄暗い空間に包まれ、まるで時間が止まったかのような静寂が広がっている。何か、悪い夢を見ていた気がするが、その内容はぼんやりとしか思い出せない。


(あの異形を倒した後、俺はみんなの傷を治そうとして……そしたらまた異形が現れて……あれ?)


 混乱する頭を抱えながら、次第に記憶の断片が蘇る。そして急に胸を締め付けるような不安が押し寄せた。


「みんなは!?」


 勢いよく体を起こし、周囲を見回す。するとすぐ近く、焚火を囲む仲間たちの姿が目に入った。その光景に、胸をなでおろす。


「レイン!目が覚めたのか!」


 フェンが嬉しそうに駆け寄ってくる。その後ろからシャーリー、ガロン、そしてミーニャも続いて寄ってきた。


「みんな、無事だったのか!」


 安堵とともに声を漏らすが、逆にフェンがこちらを叱るように言う。


「それはこっちのセリフだっての!お前が全然目を覚まさねえから、心配してたんだぞ!」


 フェンの言葉に、申し訳なさを覚える。だが、それ以上に皆が無事でいてくれたことに胸が熱くなった。


「レイン……本当に良かった。もう二度と目を覚まさないんじゃないかって、ずっと心配してたのよ。」


 シャーリーは目元を少し赤くしながら、心底ほっとした様子でそう言った。無表情なガロンも、どこかほっとした雰囲気を纏っている。


「本当に生きていてくれて良かった……。」


 最後にフェンが締めくくる。その顔には心からの安心が滲んでいた。


「もう少し休憩してから出発しよう。レインが起きたばっかりだしな。」


 フェンが気遣うように言う。話を聞く限り、俺はかなりの間意識を失っていたらしい。体の節々が鈍く痛み、まだ完全に動ける状態ではない。しばしの休息を取れるのはありがたいことだった。


 改めて周囲を見回すと、暗い空間の中に異形の姿は一匹もなく、静寂が広がっていた。


「レインが起きたことだし、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいか?」


 フェンが焚火越しに真剣な顔で問いかけてくる。


「なんだ?別に構わないが。」


「俺たちがどうやってあの異形から助かったのか、何か知らないか?」


 フェンの問いに、確かにそうだと思い返す。あの圧倒的な状況から、どうやって俺たちは生き延びることができたのか。その答えは記憶の中にない。


「すまないが、気が付いたらこんな状況だった。俺には何もわからない。そっちはどうなんだ?」


 問い返すと、フェンを含めた全員が首を横に振る。だが、その中でミーニャだけがどこか落ち着かず、視線をそらしている。


「俺が目を覚ましたときには、異形はどこにもいなかった。この空間には倒れたお前らしかいなかったんだ。俺の記憶じゃ、最後にお前は致命傷を負って血だらけだったはずだ。それがどういうわけか、傷ひとつなくピンピンしてるってのが正直謎なんだよ。」


 フェンの言葉に胸がざわつく。確かに記憶にある最後の光景では、俺の体には深い傷が刻まれ、血が止めどなく流れていたはずだ。それなのに、今の俺にはその痕跡すらない。


「俺たちは治療なんてしていない。傷が完全に消えてたんだ。それも後すら残らずにな。」


 自分の体に手を触れるが、傷跡はどこにもない。異形が消えた理由、そして自分が無傷でいられる理由。どちらも皆目見当がつかない。


 「だから、レインが何か知ってるんじゃないかなって思ったんだが……その様子じゃ、何も知らなそうだな。」


 フェンは俺の顔をじっと見て確認するが、すぐに肩をすくめて苦笑する。


「悪い、忘れてくれ。まぁ……奇跡が起こったのかもしれねえな。」


 フェンは手を大きく広げて、「もうこれ以上の言及はないよ」といった様子をアピールしてみせる。


「俺の日ごろの行いのおかげだな。神様も見てくれてたんだろう。こんな敬虔な信徒、なかなかいねえからな。」


 真剣だった空気を一気に打ち破る、フェンらしい軽口だ。


「敬虔?あんたが?どの口が言ってんの?寝言は寝てから言いなさいよ。」


 シャーリーの返答は相変わらず鋭い。だが、それで黙るフェンではない。


「いやいや、俺は敬虔だぞ?ものすごーくな。毎朝起きたときと寝る前に、龍神様ー、龍神様ーって、ちゃんと祈りを捧げてるんだぜ?」


 まるで自信満々の態度で語るフェンだが、龍神信仰に一日二回も祈りを捧げる習慣などないことくらい誰でも知っている。案の定、シャーリーはすぐさま指摘を入れた。


「それ、適当言ってるでしょ?龍神信仰にそんなのないわよ!」


 シャーリーの的確な指摘に、さすがのフェンも言い返せなくなり、言葉を詰まらせる。それでもなお軽口を止めないフェンだったが、最終的に「うるさい!」とシャーリーに頭を叩かれて、この不毛な口論は幕を閉じた。相変わらず賑やかな二人だ。


 そんなやり取りをぼんやりと見ていた俺は、視界の端に何か言いたげな表情を浮かべるミーニャの姿を捉えた。


「どうした?さっきから様子が変だぞ。何か俺に話したいことでもあるのか?」


 俺が問いかけると、ミーニャはびくっと肩をはねさせ、驚いたような目を向けてきた。


「な、なに?」


「いやいや、そんなに驚かなくてもいいだろ。どうしたんだよ?」


 上の空だったせいか、驚き方が大げさすぎる。苦笑しながら肩をすくめ、もう一度理由を尋ねた。


「べ、別になんでもない。」


「なんでもないって顔じゃないぞ?さっきから挙動不審じゃないか。」


「……大したことじゃない。……これは……。」


 ミーニャは視線を泳がせながら、しどろもどろに否定する。その様子に不信感を抱いたものの、本人が言いたくないのであれば無理に聞き出すのも気が引けた。


「大したことじゃないなら、それでいいさ。」


 そう言って俺は話を打ち切ったが、会話が途切れると沈黙が流れた。ミーニャはその間も何かを思い悩んでいるように見えたが、こちらからはそれ以上声をかけることはしなかった。


「レインは……今のレインは、いつも通り?」


 やがて、意を決したように絞り出されたその問いに、俺は思わず目を見開いた。


「は……?いや、俺はいつも通りだぞ?なんだよ、その質問。」


 突拍子もない質問に、苦笑しながら答えると、ミーニャはほっとしたように大きく息をついた。


「……なら、よかった。」


 その解放されたような表情を見て、逆に質問の意図を聞く気が失せてしまった。結局、ミーニャの考えを深く知ることはできず、謎のままだった。



 短い休憩を終え、俺たちは再び出発の準備を整えた。それぞれが装備を確認しながら、先を見据える。遺跡の調査はまだ終わっていない。気合を入れ直し、暗い奥へ進んでいく。


「妙に静かね……。」


 シャーリーが思わずそう呟くほど、道中は不気味な静寂に包まれていた。これまでの道中で感じていた異形の気配は一切なく、まるで異形がすべて消え去ったかのようだ。今までの激しい戦闘が嘘だったかのように、驚くほどスムーズに奥へと進むことができた。しかし、通路の暗さと未知の恐怖が常に付きまとい、神経は張り詰めたままだ。


 やがて、長い通路の終わりに一つの鉄扉が現れた。朽ちた扉を押し開けると、そこには先ほどまでの薄暗い空間とは対照的に、光永石によって明るく照らされた部屋が広がっていた。


「ここは……研究施設?」


 シャーリーが辺りを見回しながら言葉を漏らす。目に映る光景は、これまで遺跡内で見かけた研究施設と似ていた。ガラス張りのポッドが並び、そのほとんどが割られている。ただし、よく観察してみると、ガラスの割れ方が以前見たものと明らかに違っていた。先ほどのポッドは内側から破られたように見えたが、ここでは外側から誰かが壊したかのようだった。


「やっぱり、ここのポッドにも何か書いてあるぞ!」


 フェンが興味深そうに鉄製のプレートを見つけ、こちらに呼びかける。俺たちはフェンの元へ駆け寄り、そのプレートを覗き込んだ。


「この文字……読めるぞ!古代文字じゃない!」


 フェンの言葉に驚きつつ、プレートに目を走らせる。確かに、そこに書かれているのは、俺たちが普段使っている人語だった。


「検体タイプ1……×?どういうことだ?これは失敗作ってことか?」


 フェンが首を傾げる。確かに、「×」という記号は失敗を意味しているようにも思える。シャーリーもその文字に目を落とし、眉をひそめた。


「なんて薄気味悪い施設なのかしら。一体何を作ろうとしていたの……?」


 シャーリーの言葉に俺も同感だ。この施設の目的は何だったのか。異形とは一体何者なのか。疑問が深まるばかりだ。


「こっちだ!これを見てくれ!」


 ガロンの低い声が響く。振り向くと、ガロンが乱雑に散らばった机と紙の山を指差していた。俺たちは急いで彼の元へ向かう。


「この紙に何か書いてある。手掛かりになるかもしれん。」


 ガロンの言葉に従い、散乱する紙束を拾い上げてみるが、どれもかすれていたり、破れていたりして読める状態ではなかった。しばらく探していると、比較的状態の良い紙が一枚見つかった。


 その紙をそっと拾い上げ、目を通す。タイトルらしきものが書かれているようだが、それもかすれて読めない。しかし、本文の一部ははっきりと読むことができた。


 ---


 **――計画において、私が目指すものは神だ。私自身が神になることである。**


 **神になり、私は新しい存在を作り上げる。その名を計画の名称となる、魔人と呼ぶ。**


 ---


「……神だと?魔人……?」


 俺は無意識に声を漏らした。この文書の内容は、ただの狂気としか思えない。誰かが神を目指し、自らを神と名乗ろうとしていた。さらに、その計画で生み出される存在を「魔人」と呼ぶと記されている。俺たちが戦ってきた異形は、もしかするとこの計画の産物なのだろうか。


「やっぱ気味わりぃなここ。早く帰ってお布団に入りてぇよ。」


 フェンは軽口を叩いてみせるが、その声色はかすかに震えている。薄暗い部屋の雰囲気が、彼の冗談さえ空回りさせているのだろう。俺も同感だった。ここには、何か見てはいけないものが潜んでいるような、そんな不安が押し寄せてくる。それは俺だけではない。皆、どこかぎこちない様子だった。


 特にミーニャは、この部屋に入ってからというもの、普段以上に無口で表情も硬い。普段から大人しい彼女だが、今はまるで別人のようだ。


(このまま先へ進むべきなのか?それとも引き返すべきなのか?)


 考えが堂々巡りする中で、俺は口を開いた。


「そろそろ帰らないか?もうみんな限界が近い。体力ってよりも、精神的にさ。」


 俺の提案に、シャーリーとガロンはすぐに頷く。皆、この不気味な空間から一刻も早く抜け出したいという気持ちが見て取れた。だが、ただ一人、ミーニャだけが頷かず、その場に立ち尽くしていた。


「まだ……まだ調べられることがある。探すべき。」


 小さく、けれど強い口調でそう呟くミーニャ。その声には普段の控えめな彼女からは想像できないほどの決意が宿っていた。


「なあ、ミーニャ。どうしちまったんだよ。ちょっと様子がおかしいぞ?もう今日は帰った方がいい。これはギルドに任せるべきだ。俺らには荷が重すぎる。」


 フェンが困ったようにミーニャを促す。その声にはいつもの軽口とは違う真剣さが含まれていた。それでも、ミーニャの意志は揺るがなかった。


「絶対に今行くべき。このまま知らずに終わるのは嫌。」


 彼女の言葉は小さいながらも硬い意志を感じさせる。何が彼女をそこまで駆り立てているのか分からない。それでも、その意志の強さに誰も否定することができなかった。


 フェンが困惑したように俺に目を向けてくる。俺もどうすべきか分からなかったが、ミーニャの様子がただ事ではないことは明らかだった。それ以上に、その不自然なまでの執着が気になった。


「分かったよ。もう少しだけ調べよう。」


 根負けしたように俺はそう答えた。シャーリーも少し呆れたような表情を浮かべながら肩をすくめ、ガロンは無言で頷く。そして俺たちは、もう一度部屋の中を探るべく歩き出した。


 まだ探索していなかった部屋の奥へと進む。それぞれが手分けして調べている中、俺はひとつの扉を見つけた。その扉は、これまでに見てきたどの扉よりも小さい。しかし、その作りは明らかに頑丈で、周囲の空間とはどこか異質な雰囲気を放っていた。


「ん?開かないぞ?」


 試しにドアノブに手を掛け、力を入れて引っ張るが、扉はビクともしない。これまでの扉はどれも簡単に開けられたのに、この扉だけが違う。近づいてよく見ると、ドアノブの下に見たことのない板のような装置が取り付けられている。その装置には0から9までの数字が並んでおり、まるで鍵の代わりに使うように見えた。


「これを使えば、開くのか……?」


 そう考え、装置に手を伸ばそうとしたその時だった。背後から声が掛けられる。


「待って、レイン。私がやる。」


 振り向くと、そこにはミーニャが立っていた。彼女は迷いのない足取りで扉の前に進み出ると、俺の横をすり抜けて装置に触れた。


「おい、ミーニャ?どういう……?」


 言葉を紡ごうとする俺を無視するかのように、ミーニャは装置を操作し始めた。その手つきはまるで、この装置の使い方を知っているかのように滑らかだった。押されるボタンに合わせて、小さな電子音が空間に響く。数秒後、ピーッという音が高らかに鳴り、ロックが解除されたような音がする。


「開いた……?」


 ミーニャがドアノブを掴むと、これまで頑として動かなかった扉が、まるで最初から開いていたかのように軽々と動いた。その光景に、俺は言葉を失った。ただ驚きと戸惑いが胸の中を埋め尽くす。


「扉は開いたよ。みんなを呼んでくる。早く先へ行こう。」


 振り返りもせずそう言い残し、ミーニャは足早にその場を後にする。


 俺はその場に立ち尽くし、開かれた扉を見つめる。ミーニャがどうしてこの装置を操作できたのか、なぜ急にこんなにも人が変わってしまったのか、疑問が次々と頭をよぎる。だが、彼女の説明もないままに事が進んでしまい、追いかけることもせず、ただ見守ることしかできなかった。


(ミーニャ、一体……どういう事なんだ?)


 胸の中に不安が募る。彼女の行動が、ますます理解できなくなっていく中で、俺は扉の向こうに広がる未知の空間を見つめるしかなかった。


 ミーニャによって全員が集められ、先へ進むことになった。その空間は、先ほどまでと同様の研究施設だったが、より一層荒廃していた。何がこの場所で起こったのかはわからないが、この部屋の惨状が何か重大な出来事を暗示しているのは確かだ。ミーニャの言葉通り、何か重要なものが隠されているのかもしれない。散らばるガラスを踏みつける音が響く中、さらに奥へと進んでいく。


 「なんだ……これは……?」


 全員が足を止め、目の前の光景に息をのんだ。そこには、本来壁であるはずの場所に“巨大な穴”が開いていた。その穴は奥深くまで続いており、どこまで続いているのか底が全く見えない。覗き込むたびに、底知れぬ暗闇がこちらを飲み込もうとしているようだった。


 恐怖が全員の胸に押し寄せる。この巨大な穴を開けた何者かの存在を想像するだけで、背筋が凍る思いだった。


 「ここは一体何なんだ?いったい何がいたんだ?」


 誰ともなくつぶやく声が、静寂に包まれた空間に吸い込まれていった。


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