第3話 奴隷少女は『無双』する
気付くとマゼルは自室のベッドの上にいた。
身体がいつも以上に重い。
動かそうとすると全身に痛みが走る。
それでもなんとか身体を起こすと、目についたのは部屋の中央に置かれた丸テーブル。
そこに、紙に置かれた白い粉末と水が入ったコップ、一口大に切られたフルーツがあった。
それを見て、マゼルはなるほどと理解した。
クウリが倒れていた自分をベッドに運び、その上で医者を呼んでくれたのだろう。
しかし、そうした理由がわからず不思議に思っていると、突然何かが込み上げてきた。
「ぐっ、ごほっ、ごほっ」
白い掛け布団が赤く染まる。
(ここまでか)
激しい運動のせいか、医者から告げられていた時期よりずっと早い。
それでもマゼルは目の前に迫った死に一切の怯えを見せず、それどころか安堵していた。
間に合ってよかった、と小さく笑みを浮かべる。
その時、自室のドアがゆっくりと開かれた。
そこに立っていたのは桶を両手に、暗い表情をしたクウリ。
目が合うと、彼女の手から桶が滑り落ち――
「ご主人様……!」
駆け寄ってきては、胸に抱き付いてきて。
胸元がじわりと滲んだ。
「お願い、です。死なないで、ください」
向けられた目には涙が浮かんでいる。
(あぁ……)
クウリにこんな想いをさせないために、厳しく接することで自分を恨むよう仕向けてきたつもりだった。
しかし、それは失敗に終わったらしい。
なぜかはわからないが、クウリは自分に懐いてしまった。
「クウリ、すまなかった」
マゼルはクウリを抱き締め返すと、その頭を優しく撫で。
勝負で一本を取られて以降、時折聞かれては一切答えなかった質問。
クウリを買った理由、そして自分についてのことをぽつぽつと語り始めた。
☆
今から四年前。
Bランクの冒険者として活動していた頃、男手ひとつで育てていた最愛の娘が病によって亡くなった。
妻に続いて娘も。
あまりにも悲しいその現実から目を背けるように、マゼルは一層仕事に励み、依頼がない時は訓練に時間を費やした。
その功績により、王国でも有数のAランクに昇格したのが昨年のこと。
それからも、朝から晩までひっきりなしに依頼を引き受けてはこなすという日々を続けていたある日、冒険者ギルドでマゼルは倒れた。
病院で告げられたのは病が進行しており、助かる見込みはないという死の宣告。
奇しくも妻、そして娘を蝕んだのと同じ病だった。
マゼルはその後も冒険者を続けようとしたが、その弱りきった姿から依頼を受けさせてはもらえず。
ギルドマスターからこれまでの貢献の礼として、いくらかの金を渡されると、そのまま除名となった。
その帰り道、現実逃避の手段がなくなってしまい、呆然と街を彷徨っていたマゼルの目に映ったのは、売りに出された奴隷達。
その中の一人、さらさらとした綺麗な金の髪を持った少女に目を奪われた。
「クウリア……」
顔立ちも髪の色もまったく異なる。
しかし、その雰囲気がどこか死んだ娘のクウリアに似ていた。
だからだろう、マゼルは少女を助けてやりたいと思った。
でも、自分が買ったとしてその後は?
自分はそう遠くないうちに死ぬ。
購入代金でほとんど消えてしまうので、彼女に遺してやれる金はなく、少女は露頭に迷うことになる。
結局彼女を不幸にするだけだと、踵を返そうとした時、ふと思いついた。
自分には長年で培った戦闘術がある。
それをあの少女に授けることで、冒険者として独り立ちできるように手助けできるのではないか、と。
ちらりと見えた木板によれば、幸いなことに彼女は11歳とのこと。
来年には冒険者として登録できる。
残り時間が限られているので、スパルタ教育を施すしかなく、辛い思いをさせるだろう。
だが、今後の一生を奴隷として生きるよりはマシなはずだ。
それに厳しく接していれば嫌われて、自分が死んでも悲しませることもない。
「よし」
マゼルは急いで家に戻っては、金を持ってすぐに貴族街に。
そうして奴隷の少女を買ったのだった。
☆
これまでの仕打ちは自分を思ってのことだったとわかって。
本当は大切に思ってくれていたことが伝わってきて。
慰められてようやく泣き止んだクウリは、マゼルに笑みを向けた。
「やっぱりご主人様は私の王子様だったんですね」
「王子様?」
「はい! 私、王子様が迎えに来てくれるってずっと――」
クウリは89番のこと。
彼女から物語を聞いて以降、ずっと王子様が迎えに来てくれるのを待っていたことを話した。
するとマゼルは困ったように笑い、「王子様らしいことをできずにすまんな」とクウリの頭を優しく撫でた。
その後はこれまでの分を取り返すかの如く、話に花を咲かせて。
その中でクウリは将来の夢について尋ねられた。
少しの間考えて、そうして頭に浮かんだのは89番の顔。
「私、お姉さんを助けてあげたいです。それと私みたいに親から売られた人や家族を守るために自分を売らなくちゃならなくなった人達も」
「……そうか」
マゼルは頬を緩めると、クウリの頭に手を置く。
「立派な夢だ。お前ならできる。頑張れよ」
「はいっ!」
数時間後、マゼルはベッドの上で息を引き取った。
その表情は柔らかく、どこか満足した様子であった。
☆
それから二ヶ月が経ち。
一つ歳を重ねて12になったクウリは、冒険者ギルドに足を運んでいた。
訓練用のカカシが置かれた広々とした部屋、ギルドマスターを名乗った壮年の男が口を開く。
「――ではこれより、ランクを決定するための測定を行う。鐘が鳴ったら開始だ」
「はい」
クウリは正眼に木剣を構え、呼吸を整える。
ほどなく、カーンと景気のいい音が耳に届いた。
それと同時にクウリは床を蹴り――
――再度鐘が鳴った後、相手をしていた男が感心した様子で近づいてくる。
「驚いたな。その若さでこの強さとは。誰かに戦闘術を学んでいたのか?」
「はい。ご主人様……えっと、マゼル・ガンゼンに稽古をつけていただいて」
「マゼル……なるほどな、道理で」
ギルドマスターはうんうんと頷くと、しゃがんで視線を合わせてきた。
「Cランクだ。これからの働きに期待する」
マゼルの予想通り。特に驚きもない。
「はい。頑張ります」
こうして冒険者――クウリ・ガンゼンは誕生した。
☆
約一年後。
クウリはかつて自分が売られた奴隷商の店にやってきていた。
「――あの、89番は」
「ええ、約束通りまだこちらに。それでそちらは?」
マゼルの死後、クウリはすぐに店を訪れた。
そして89番について尋ねると、まだ彼女は売れていなかった。
誰かに買われていたら、その時は直接買い主に譲ってもらうように頼むつもりでいたが、当然足元を見られる。
クウリはほっと安堵すると、奴隷商に交渉を持ちかけた。
――自分が89番を買うから他の人には売らないでほしい。代わりに相応の金を用意する、と。
奴隷商はその提案を快く受け入れた。
どうも損切りのため、そろそろ娼館に売り払おうかと悩んでいたところだったらしく、クウリの提案は渡りに船だったらしい。
そうして期日と金額について取り決め、その期日が今日。
必死に多くの依頼をこなし、何とか間に合わせることができた。
「はい、ここに」
クウリは大きな巾着袋をテーブルに置く。
じゃらっと音が鳴った。
「失礼しますね」
奴隷商は袋を開けると、金貨を積み重ねていく。
「はい、確かに。ではこちらへ」
クウリは頷いて奴隷商の後を追う。
複数並んだ牢、その中で絶望の顔をした女達が目に入った。
(この人達も私がいつか……)
「――こちらです」
奴隷商が奥から一つ前の牢で立ち止まる。
隣に並んで中を見ると、他と同じく二人の女性。
黒髪の女性は怯えたようにこちらを見ており、もう一人の茶髪の女性は大きく目を見開いていた。
「89番、出なさい」
開かれた扉からゆっくりと呼ばれた女性が出てくる。
約一年半ぶりの再会、彼女は記憶にあるままの姿だった。
「嘘……本当に?」
もう不安な思いをさせないため、交渉が成立した日に自分が彼女を買うということを、本人に伝えてもらうよう頼んでいた。
まさかそれが本当だとは思っていなかったのだろう。
89番は信じられないといった様子で、両手で口を抑える。
「お久しぶりです、お姉さん。すみません、お待たせしちゃいました」
クウリはペコリと頭を下げると、少し顔を赤らめて。
「えへへ、『僕と一緒に来てくれるかい?』、です!」
かつて89番が話してくれたおとぎ話、そこに登場する王子のセリフを口にした。
☆
庭の隅に置かれた三つの丸みを帯びた大きな石。
その右側、まだ真新しい『マゼル・ガンゼン』と刻まれた石の前で、クウリは両膝をついていた。
「――もう少しで、また一人助けてあげられそうです。えへへ、今日も頑張るので応援しててくださいね」
そう言うと立ち上がり、後ろにいた89番――ミゼロラにリュックを背負わせてもらう。
続けて鞘や柄から年期を感じさせる剣――マゼルから譲り受けた剣を受け取って。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「はい! 行ってきます!」
クウリは笑顔で答えると、一人でも多くの奴隷を救うため、今日も冒険者ギルドに向かうのだった。
【短編】奴隷少女は『むそう』する 白水廉 @bonti-
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