第22話
夜空を漂う氷塊の上で、二つの影が揺らいでいる。
月美と夜見。
隊服を纏い、それぞれの装具を構え、臨戦体制である。
「メズスが復活し恋歌が乗っ取られた‥‥!」
大音声をあげる百道だが、内臓を損傷してしまっているらしいく、むせ返る。
代わりに時雨が叫んだ。
「テメェらは下がってろ!!コイツは俺が──っ!?」
しかし時雨も吐血する。
その様子に月美が──遠巻きからでも分かる程──目青ざめた。
束の間の話し合いを終え、月美がフヨフヨと此方に漂ってくる。
「雨君っ‥‥!」
氷から飛び降りる月美は、焦眉の急でヒシリと時雨の小脇に取付いた。
「怪我してるっ!」
「痛ってぇ」時雨は顔を苦痛に染める。
遠方では夜見とメズスが対峙していた。
互いの獲物を手に、新たな戦いの火種を焚べている。
「このデカブツは私が抑えておく。そっちの馬鹿×2は任せたわよ」
半身の声に、月美は強く頷いた。
※
「そこに座って!ちゃんと休んで!手当てするから!」
と腰に取り憑く月美を、時雨が引き剥がそうとする。
「今はいい、んなことよりも」
「ダメっ!」 と思いの他強情な月美だ。
「だから大丈夫だって」と聞き分けぬ時雨に、「ダメったらダメっ!」とブンブン首を振る月美。
その空色の両眼は、逃がさんとばかりに時雨を強く見据えた。
時雨が諦めたように岩陰に座り込んだ。何を言っても聞かないと判断したのだろう。
「よろしい」と月美が頷いた。
「なんだか懐かしい光景を思い出す絵面だな」と、百道の頬も弛緩する。
「何してるの?百道君も座りなさいっ!非常に早く!」
月美の、いつになく強い剣幕に圧倒され、百道も素早く正座する。
平時は品行方正な月美だが、土壇場では変貌するようだ。母のように目くじらを立て、「上脱いで」と二人を急かせる。
消毒液と包帯、ガーゼに絆創膏と衣料品を岩に並べ、テキパキと傷の処置を始めた。
それ、どこからか取り出したのだろうと疑問に思うも、百道は口を閉ざす。
「染みるけど我慢してね」
「チッ」
「これは応急処置だから、あとでちゃんとみるからね」
時雨の身体には幾重もの傷の塞がった跡がある。きっと、これらの傷を治療してきたのも彼女なのだろう。
暫く治療が続いた後、月美は包帯を巻く手を止めた。
「‥‥ねえ雨君。どうして怪我してるの?」
ぽつりと溢れるような呟きだった。時雨は俯いている。
彼女は時雨の肩にもたれかかった。
「怪我しないって言った。危ないことはしないって言ったよね。なのに、どうして怪我ばかりしてくるの?いつも。それは雨くんが、鈍臭いから?」
百道は時雨が嫌いだ。
だが彼女の言葉は、誠心誠意戦った者に対し、あまりにも不躾だと感じた。
「違う。それは、俺を庇って──」
「違げぇよ」
遮るような口調で時雨は紡いだ。
「そういうんじゃねぇ、ただ、油断しただけだ」
言い訳をする気はないようだ。
月美が溢れるように呟いた。
「私がいないときは無茶しないでっていつも言ってるのに」
「悪かった」
「急にいなくなっちゃうし」
「巻き込むつもりじゃなかったんだよ」
月美がむっと眉を八の字にして、
「じゃあ、許しません」
と、ガーゼに──当てつけと言わんばかりに──たっぷりの消毒液を落とした。
百道が思わず身を引くほどの狂気的なガーゼの出来上がりだ。
「これをお腹に貼ります」
「悪か‥‥マジか」
視線を上げた時雨が息を呑んだ。
「マジです」月美の瞳は完全に座っている。
時雨は深く深呼吸し、「こい」と男気を見せた。
この男、少女のような外見の癖に、妙なところで根性がある。
すると月美はクスリと笑み、ガーゼを引っ込めた。
「嘘、頑張ったってちゃんと分かってるよ。だけどね」
月美が時雨に向き合った。
「私達は貴方の支えになりたいので。だから、置いて行かれると寂しい。非常に‥‥」
「あぁ」
時雨から具体的な返事はなかった。だがそれで満足なのだろう。月美が目を細めた。
月美が、時雨の肩口にもたれかかり、
「じゃあもう置いていかない?」
時雨の手が、吸い込まれるように月美の下顎に伸びた。
見つめ合う二人。
百道は、甘い空気を断ち切るため、咳払いした。
「もういいか?」
顔を赤らめ縮こまる月美。時雨が舌打ちする。
「猿が」
その手の感情を知った百道ではあるが、流石にこれ以上は看過できない。
何せ戦闘中だ。
「俺が猿ならば貴様は馬鹿だ。月美、今度は俺の怪我の治療を頼む」
太々しく頼み込む百道に、月美は渋々と言うわけでもないが、どこか納得のいっていない様子で百道の傷を見始めたのだった。
※
それは一時間ほど前の、アザミと祭りを楽しんでいた最中の事だ。
誠司から連絡が来た。曰く、太陽教から情報だそうだ。
太陽教とは、“太陽”を崇め神格化する宗教組織であり、この業界の人間ならば一度は耳にしたことのある組織だ。
事の
千年前に生じた最初の星禍──黄道一二星座。
その力は他とは一線どころか二線三線を画す。
もはや一塊の術者では手に負えないだろう。
対抗できるとすれば、九曜の大賢者か、余程の命知らずか。
現状、南都でそれが可能なのは自分達しかいない。
少なくとも誠司はそう判断したのだろう。
「至急、その対処を頼みたい。頼まれてくれるか」
夜見は処置無しと肩を竦めた。
「それ以外に手がないんでしょ」
「恩に着る。して、時雨は?」
「えっと。それが、丁度さっき、どこかへ飛び出して行っちゃって」
「なんと‥‥」
没我の呟き。きっと老兵は今頃天井を仰いでいるに違いない。
とはいえ、時雨はこの南都の最高戦力である。それが不在となれば心細いだろう。
月美は自らの監督不行き届きを自白し謝罪するが、ほぼ百であの馬鹿が悪い。
「‥‥其方は儂が対処しよう。主らは、現場へ急行してくれ」
誠司の指示は街人の避難及び、対セイサイ用の防護結界の展開。それと黄道12星座の撃破である。
その後程なくして、星滅隊員及び駐屯する国境警備隊たち、太陽教らが街の外周を囲んだ。
集まった術者らは総じて優秀だ。だが、際限なく発生する星禍をいつまでも食い止められる強靱さはない。
「もって一時間って所ね」
「何がだ?生成り娘」
不敵に笑う
風に揺れる髪を抑えつつ夜見は、
「アンタの余命の話よ。それと、生成りは嫌。もう少し言い様があるでしょうが」
「ふむ、ならばなんと呼ぶ?」
「ここじゃ私らみたいなのは九曜の大賢者って呼ばれてるわ」
「ほぉ、九曜に大賢者とは、また大仰な。だが奇遇だ。我らもかつては12天使などと大袈裟に呼ばれたものだ」
「へぇ、随分と華やかなのね」
「だろう?」
「皮肉よ」
「手厳しい。まあよい。してその大賢者が、何故我の邪魔立てをする?」
射手座の星霊は、見透かしたようにほくそ笑んだ。
「其方ら、特に汝には、正義も理想もないだろうに」
「まぁそうね。確かに私にとってこの世界の大半はどうでもいいわ。けど、立場上、ある程度の面倒は見てあげないといけないの」
「そうか、汝は、生かしてやってもよかったのだがな」
夜見は妖刀を引き抜き、
「そうもいかないはずよ。だって私は、土地神・玉兎を見に宿す大賢者だから」
神の名を聞き、
まるで親の仇を睨むような壮絶な表情を浮かべ、
「そうか。そう言うことか。懐かしい気配は、そう言うことか‥‥因果なことよ」
夜見は妖刀を引き抜き、戦傘に変形させた。
「もしかして、アンタって歴史に詳しい質?」
「いいや」
と
「あいにく殆ど記憶にない。それと気が変わった。汝にはここで死んでもらおう」
刹那、夜見の周囲を純白の羽毛が取り囲んでいた。
無機質で禍々しい、白い瘴気の羽矢。その鏃を夜見一点に向けている。
「まぁ、そうよね」
夜見は眉間を険しくし、戦暈を握る力を強めた。
有無を言わさぬ羽矢の軍勢が、夜見へ襲いかかる。
※
包帯を巻く手を絶えず、しかし月美の意識は明らかに別の所にあった。
その視線の先では、夜見と
月美が小首を傾けた。
「夜見の攻撃があんまり効いてない、ような?」
断言はできないらしい。
夜見の斬撃が
しかし起こるのは薄皮程度の裂傷である。込められた幻力と採算が合わない。
「幻力を吸収されているのだろうか。時雨の攻撃も無効化されていた」
百道も断言はできない。
月美は首を振った。
「ダメージは通ってると思う。夜見だから。けど低減はされちゃってるかも」
百道としては判然としない話が、月美が言うのだからそうなのだろう。
時雨の攻撃を吸収し、夜見の攻撃を軽減する何か。
月美はむむむと、頭を悩ます。百道にも理解が及ばない。
時雨が取り次いだ。
「星禍が人間に受肉した。その結果、一時的に一個上の力を得た。そう考えるのが妥当だ。だが
思えばあの時の
だが先刻の
時雨の推測は的を射ていると見ていい。
「さて、問題は──」
時雨の表情が険しくなる。その視線は
黒き巨弓。
「あれが、射手座の神器」
「アレが攻撃を低減している。アレを破壊しねぇことには戦況は揺るがねぇ」
今は夜見が抑えているが、視線の先の戦傘は完全に打ち負けてしまっている。
このままでは時間の問題だ。
「私が行ってもいい?私と夜見の二人がかりなら、何とか押し切れると思う」
「いらねぇよ。俺がいく」
強く言い放つ時雨。その瞳には厳然たる色が浮かんでいる。
しかし月美は不服そうだ。
「また置いていくの?」
「違ぇよ。手伝えって言ってんだ。野郎は俺がぶっ殺す」
すると月美は目を細めた。「はい」
「待て。お前の攻撃も無効化されるのだろう?だったらせめて作戦でも」
「んなもん、何のたしにもならねぇよ。それに軽減な」
「それでも大したダメージにはないはずだ。その上その怪我だ。いくらお前でも無謀すぎる」
「だとしても他に取れる手はねぇだろうが。なら無理を押し通してでもやるしかねぇ」
聞く耳を持たぬ時雨の視線は、激しい火花を散らす戦いの中にあった。
そのまま百道がいくら訴え掛けても、時雨は振り向かないだろう。
故に百道は時雨の前に立ち塞がった。
「待て時雨。ならば俺も行く」
「はぁ?」時雨は鼻を鳴らした。
「笑えねぇ冗談だな。テメェみてぇな雑魚。お荷物以外のなんでもねぇ」
「だが、現状奴に最も有効打を与えているのは俺だ。俺を連れて行けば──」
時雨は語気を強めた。
「まさかテメェ、あんなラッキーパンチで漬け上がりやがってんのかぁ?テメェの助けなんざ要らねぇよ。テメェみたいな雑魚が戦いに出張った所で無駄死にするだけだ。だったら俺がその穴を埋めるしかねぇだろ」
時雨は呟いた。
──それが力を持った者の責務ってやつだろうが。
それを聞いて、ああ、と百道は納得する。
この男も、根本は自分と同じなのだ。
誰にも傷ついて欲しくない、誰も巻き込みたくない。そんな思いを両手で抱きしめて、必死に現実に向き合っている。
そう思うと、百道の口元は弛緩していた。
「案外、お前って優しいんだな」
「あん?なんだテメェ、気色の悪い顔しやがって」
百道は時雨の肩を強く掴んだ。
「ならばなおさら俺も行く。それと気色の悪いは一言余計だ」
時雨が振り向き、百道を睨み付ける。
「テメェは本気で話が通じねぇのか?ついてきた所で足手纏いだって何度言えば分かるんだ?」
「だがお前だって負傷している。万全ではないはずだ」
「そりゃ全部テメェのせいだな」
時雨の歯に衣着せぬ発言に、百道は頷く。
「そうだ。だから俺にはお前を補助する義務がある。それに、奴が目覚めたのだって、恋歌を拾ったのだって俺だ。これは俺の始めたことなんだ。だから全ての責任は俺にある」
百道は強く握り拳をきつく締めた。
その拳には少年の覚悟が籠っていた。
「だが敵は強く、俺一人では到底敵わないだろう。だから時雨、お前の力を貸して欲しい。倒すためじゃなく、取り返すために」
百道は誠心誠意頭を下げた。
思えば本当の意味で誰かに頭を下げたのはこれが初めてだった。
時雨が「へぇ」と意外そうに唇の端を釣り上げた。
「で、テメェに何が出来る?テメェに出来ることなんざ、身代わりか、せいぜい囮くらいだぜ?」
時雨の挑発じみた物言いに、百道は「構わない」と頷いた。
「それで
時雨は呆気にとられたような表情を浮かべた。
「なぁ、時雨。俺たちは思えばいつも啀み合ってきた。互いに歪み、貶し、肩肘をぶつけ合って、とてもじゃないが切磋琢磨とは言えなかったよな」
「犬猿の仲とはまさにこのことだ」と時雨が鼻で笑った。
それでも百道は時雨を見据え、続けた。
「だからこそだ。今宵、たった一度でいい。背中を合わせてみないか?お前は俺を好きに利用しろ。俺がお前の
時雨の鋭い視線が百道を見つめ返した。
しかし百道は視線を揺るがすことはしなかった。真っ直ぐ時雨を凝視する。
時雨も、百道が意地でも引き下がろうとしないのを悟ったのだろう。
諦めたように後ろ頭を掻いた。
「たく。テメェは実力も気品も威厳もなってねぇ欠陥品の癖に、覚悟だけは一丁前に決めやがって」
「それだけが取り柄だからな」
「はっ。テメェもようやく客観視ってのを覚えたんじゃねぇの」
「お陰様で、ようやくだ」
「はぁ?テメェがそんなだと、こっちの調子が狂うだろうが。まぁいい。気が変わった。
その言葉に、今度は百道が呆気にとられてしまう。
時雨は呆れたように肩をすくめた。
「はぁ?分かんねぇのかぁ?この俺が直々に、勝ち星をくれてやるってんだ」
どう言う風の吹き回しだろうか。あの時雨が百道を手伝うような意味合いをしたのだ。
それから時雨はそっぽ向くように背を向けた。
「あんだよ。不服か?」
「いいや、辱い」
百道は大太刀の柄を握りしめた。
頑張れ──という声援が耳朶に響き、大太刀を通して普段とは比べものにならない幻力が漲っているのを感じる。
「待っていろ、恋歌。必ず助け出す」
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