第7話
目覚めた時、百道はうつ伏せだった。
頭上では、燃え盛る火炎が轟々と鳴り響いている。
「ぐ、がっ、こ‥‥ここは?」
百道は起き上がろうとしたが、体にうまく力が通わず、砂に突っ伏してしまう。
脱水症状だろうか、視界が紫に明滅し、喉の渇きもひどい。
流血等の怪我がないのが幸いだろう。
「ぐっ、
周囲では、黒い業火の壁が燃え盛っている。
炎壁が円上に立ち上がり、内外を隔てる結界となっているのだ。
嫌でも煉獄の釜茹を彷彿とさせる光景だ。
まるで地獄の釜に突き落とされたかのようである。
と同時に、百道にとってその情景はよく見慣れた光景そのものだった。
「なぜ、何故だ。何故殺さない‥‥」
隣から聞こえた、囀るような声。
声の方へ視線を投げ、百道は目を瞠った。
傍には
力なく座り込み、頭を抑えつつ呻いている。
此方に気づいている様子は無い。
「なぜ、何故だ‥‥俺を生かす、俺がいるだろう。振り返れ」
震えた声音で、何かを繰り返している。
「はぁ、はぁ‥‥我は、俺は貴様を」
錯乱しているのか。
──今なら倒せる。
百道は意を決め立ち上がり、大太刀に幻力を充填した。
忽ち大太刀の刃が金色に発光し、金の鉱石が刀身を覆い始める。
結晶に包まれた刀身が、奇怪な形状へと肥大化する。
不完全だが、幻装だ。
「行くぞ、不死鳥っ!」
持ち上げた顔が、凍りつく。
鎧に隠されてもなお、驚愕が見て取れる。怯えてるようにも見えた。
「くっ!!」
「この場で貴様を星祓するっ!」
──土式・土怒王腕。
百道は大太刀を大地に叩きつけた。
それは大地を自在に操る術理だ。
砂浜が盛り上がり、巨人の腕の如く形状を成し、
「貰った!」
百道は勝利を確信した。
これだけ弱っているならば倒せると、確信があったのだ。
「何故、お前が生きているのだっ!」
刹那、翼を中心に衝撃波が発生。
それは強い幻力の塊だったのだろう。
大腕を模した石像の如く大地は、さぁーと砂に戻されてしまった。
百道の術理は、翼のたった一振りで看破されてしまったのである。
「ふっ、はぁっ。なんだ、なんだ‥‥小僧、か」
百道を正確に認識した瞬間、
「まあ良い。主の幻力を奪い、傷を治す苗床としよう」
瞬時、弓弦に炎の矢が番られた。
「土式・壁羅ッ!」
百道は咄嗟に結界術理を発動した。
無数の障壁が百道を守る盾となるべく整列する。
それに加え、百道は懐の幻石を砕き、更なる術理を取り出した。
火気には、水気。
中を舞う幻石の欠片が、忽ち水を成し、百道の周囲を多量の水流が覆い尽くした。
自身最大の防御に、水式を組み合わせた。百道が為せる最大防御である。
それでも、次の矢撃を受けるには心許なかった。
冷たい目がじっと百道を射竦める。
弓弦が限界まで緊張した、その時。
「フンッ!」と横合いから苛烈な拳が放たれた。
「むぐぅっ!」
くぐもった悲鳴と共に、
咄嗟に弓を犠牲にして受け止めたようだが、それでも完全に威力を殺すことはできなかったようだ。
「何故、主が今になって」
「あん?真打ち登場って奴だよ。テメェもわかるだろ?詰みだ」
「くっ。人間風情が戯けたことを」
時雨が後ろ頭をかき、肩を竦めた。
「つーかテメェ、さっきから思ってたんだが、雑魚の分際で頭が高ぇんだよ」
──下げろ。
すると、何が起きたというのだろう。
「痩せ我慢は良くねぇぜ」
時雨が大地を蹴った。
瞬く間に
腹部の硬質な鎧が砕け、メキメキと骨が撓む音がした。
目を逸らしたくなるような痛烈な一蹴である。
足蹴を受け、後方に吹き飛ばされた
瞬時に腕の弓を剣の二振りに分離させ、前傾姿勢を取った。
「こいっ、小僧!」
「はんっ、上等だ。焼き鳥にしてやん──よ!!」
時雨が地面を踏み抜き、火の玉の如く爆進した。
「疾い!」
時雨の剣術は苛烈だ。同じ刀剣使いの夜見と比べても随分とタイプが異なる。
正確無比の夜見に対し、時雨は力で叩き斬る、という単純な太刀筋なのである。
まさに、剣を振り続けたらこうなりました、という型であり、故に、繰り出される一撃一撃が強力無比。
「ぬぅ‥‥むぐぅ‥‥!がぁっ‥‥!!」
時雨の繰り放つ渾身の一撃一撃を、
「ありえない」
一方的だ。百道には、猛獣が暴れ回っているかのように思えた。
「くっ!このっ、死に損ないがぁ!!」
だが、その行動も時雨には予想の範疇だったようだ。
「はん、俺があの程度でくたばるかよ」
時雨はその場で身を引き、鼻の先で躱す。
そのまま前方宙回り。回転の勢いを乗せ、
「だぁああ!」
「あの程度だと!?ならば、目にものを見せてくれるっ!」
その口腔では、極圧な瘴気が坂巻いている。
火炎放射の兆候だろう。
「まずい‥‥!時雨、避けろッ!」
「ぶぅらぁぁあ!!」
不死鳥の放った火流は、炎の津波の如くうねりを上げ、時雨に襲いかかる。
「たく。どいつもこいつもうっせぇな」
あろうことか時雨は、素手で、右腕一つで受け止めていた。
時雨が炎に触れた途端、黒い炎が清浄な輝きを放ち、時雨の右拳周辺で螺旋を描いた。
「まさか、星霊の炎を制御下に置いてしまったというのか‥‥っ」
百道にとっては全くの初見の現象である。
時雨は拳を振り放つ。
「そらぁっ!!」
白炎を纏った鉄拳が、
よほど強烈な一撃だったのか。その巨体がくの字に折れ曲がり、
「ぐっ‥‥がはっ!!」
さらに時雨は、好戦的な笑みと共に畳みかけた。
続く応酬は、もはや時雨の独壇場だ。
時雨は、千年ぶりの逸材の名に恥じぬ戦いぶりを披露していた。
「まだまだこんなもんじゃねぇだろうが!!」
ふと「アンタ、さっきまで何してたの?」と艶のある凛声がした。
時雨が胸踊る様子で口角を釣り上げる。
「昼飯食ってた、うまかったぜ!」
「はぁ?最っ低」
誰あろう夜見だ。
手段は不明だが炎壁を超えて
もはや
夜見の奇襲が決まる。
「後で説教だから‥‥!」
戦傘の一閃が、
胴を両断された
「な‥‥ぜ‥‥」
流血が浜を赤黒く染め、
っあの威容の最期は吹き消された蝋燭ように呆気ないものだった。
それこそ、その死に確信が持てぬほどに希薄に。
「終わった‥‥のか?」
百道の呟きを代弁するように、突風めいた風が頬を殴る。
次の刹那、バリンっと音を立てて夜の情景が崩壊を始めた。
決壊する帷の隙間から、茜色の陽が差し込む。
夜の情景が完全に消え去った頃、頭上はすっかり茜色であった。
いとどしく奏でられる虫の囀りと細波が鼓膜を揺すり、煌めく海の先に見える巨人の手のような岩間からは、茜色の地平線が姿を見せる。
「アンタさぁ」
百道が唖然と息を呑む隣では、夜見がややヒステリック気味に時雨の耳を引っ張っていた。
「本当、いい加減にしなさいよ。女子が果敢に戦ってるっていうのに、自分は高みの見物って、どういうつもり?アンタが参戦してたらもっと楽に片づいてたでしょ?」
その神経が理解できないという声音で詰められて、時雨は逃げるように後ろ頭をかく。普段の放埒な態度とは違い妙にソワソワした様子で肩をすくめる。
「しょうがねぇだろう?腹が減っては戦ができぬって言うじゃねぇか」
「ものの例えを実践するな、馬鹿。それと、言葉遣いは選ぶことね。次巫山戯たこと抜かしたら流石の私でも面倒見きれない」
「おいおい、先人の知恵をバカにすんじゃねぇよ。バチが当たっても知らねぇぞ?」
「‥‥はぁ、もういいわ。この世界にも『働かざる者食うべからず』という諺はあるようだし、ちょうどいいわ」
「あん?夜見ぃ、テメェ何企んでやがる?」
「だから、飯抜き決定だって言ったのよ。あぁ、もしかして馬鹿だから分からなかったの?」
と、青筋を立てる夜見の台詞に、時雨の肩がびくりと振るえた。
「飯抜きだぁ!?」と語気を乱し、
「おいおいっ!そりゃねぇだろうが!?奴にとどめ刺したのはこの俺だぜ?」
「ふんっ。この後に及んでも悔い改めない馬鹿に、食わせるご飯はないのよ」
すると時雨は後ろ頭を掻きむしり、
「確か、アロマ?だっけか?いい匂いの蚊取り線香みたいなやつだ。お前欲しがってたろ。店で欲しいの買ってやる。これでどうだ」
因みにアロマは──百道が知る由もないが──そこそこの嗜好品である。
されど夜見は「普通に無理」と肩を竦める。
「おサボりの分際で対等に交渉しようって魂胆が気に食わない。これを機にアザミさんに相談するわ」
「あぁ!?なんでここで母さんが出てくんだよっ!」
「アンタがマザコンだからでしょ。そもそも、迷惑をかけたのは私と月美の二人よ。なのになぜ、詫びの品が一つだけなのかしら?」
毅然と問い詰める夜見に、時雨は──彼にしては珍しく──大人しく頷いた。
夜見は満足げに頭を振る。
「明日にでもお店連れてって。あの娘も匂い系好きだし、きっと喜ぶわ。あと、今日の夕食はアンタが作って。それでチャラにしてあげる」
許しを得た時雨は後ろ手を組み、伸び切った声で返答する。
「おーせのままに」
「一応言っておくけど、月美に作らせるのもなしだからね」
「げっ、まじか」
「当たり前でしょ。アンタの罰なんだから。これに懲りたら振り方を改めることね」
ふと、そんな二人の間を季節外れの冷風が通過した。
不意の冷気が氷を成し、残留した火種の鎮静化に勤めたのだ。
氷は不死鳥の亡骸にも伸びた。
既に事切れ、崩壊してゆくその身体を、覆い尽くし芯まで凍り付かせた。
「えい‥‥!」
月美が指を鳴らすと同刻、氷が霧散した。
業火も星霊も、何もかもが氷の破片と共に崩れ、塵芥となりて空へ溶けてゆく。
浜に吹く潮風が、塵さえもさらってゆく。
つい先程までの苛烈な戦闘が嘘のようだ。
「お疲れ様」
月美が時雨らに駆け寄る。
あの灼熱の獄炎に晒されたというのに、月美の肌や衣服には戦闘の痕跡が一切見られない。
夜見にしてもそうだ。涼しげに夕焼けを見上げている。
一方、百道の身体は擦り傷や切り傷だらけだった。
大して戦闘に参加したわけでもないのに、心身共に青息吐息の状態なのである。
浮き彫りになる実力差に、百道は瞳を揺らし、拳を潰した。
「なんだ、いつもの威勢はどうしたぁ?えぇ?えらく落ち込んだ様子じゃねぇか?」
声のする方を振り返ってみれば、驕慢な笑みを貼り付けた時雨がいた。
突きつけられた提言に、反論する気にはなれなかった。
胸の奥にある感情を司る源泉が堰き止められたかのようだ。
虚しい胸中に残るのは、無力な己への惨めさだけ。
「あん?無視か、そんなんで落ち込んでりゃ、先なんか見えねぇぞ」
「煩い、今は放っておいてくれ」
百道はやや憔悴気味に言い返した。
そんな百道の態度が気に入らなかったのだろう。
眉根を潜め、
「あん?んだよ人がせっかくアドバイスしてやろうと思ったのに。しょうもねぇ野郎だ。大して努力もしてねぇ癖に、一丁前に悔しがってんじゃねぇよ」
時雨が呆れた半目を向け、踵を返した。
その背を、百道は見送る。
星祓隊の存在意義は、星禍を祓うことにある。
人々を守るため、土地を取り返すため、負の権化たる星禍を祓うのだ。
そこに個人の意思な介入する余地もなく。例え、個人が負けたとしても、最終的に組織として勝ち星を上げれたのならばそれで充分なのである。
だから、夜見や月美、時雨という優秀な人材が同期にいるということは、本来星祓隊としては喜ばしい限りなのである。
だというのに、百道の胸中は暗然としていた。
百道は歯噛みのまま茜色に染まりゆく地平線を眺めるのだった。
「くそっ‥‥!」
しばらくして、不思議な香りが鼻腔を掠めた。
百道は視線を下ろし、激しく目を瞠った。
つい先刻まで何もなかった砂浜に、赤毛の少女が横たわっていたのだ。
「これは、一体‥‥」
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