第6話
「この程度で仕留めたつもり?」
霧散する炎と、風に靡く青鈍のポニーテール。
その手に握る戦傘から迸る幻力の力強さに、百道は息を呑んだ。
「よ、夜見。お前‥‥」
「汝まさか生成りか!それにこの気配は‥‥知らぬ間に、また随分ともつれた因果よの」
兜の奥で、眼光が赤くギラリと輝く。
呼応するように瘴気が沸騰を始めた。
「ならば我も、全霊でお相手するとしよう」
鱗粉状の瘴気が怪しく輝き、
それに伴い、星霊の存在が増してゆくのを感じる。
「これは、周囲の瘴気を吸収しているのかっ」
瘴気の渦が止み、
その姿は先ほどと大きく異なっている。
「変身、したというのか‥‥!」
夜見が戦傘を構えた。
その翠嵐の瞳には、警戒の色が強く反映されている。
「それがアンタの本気ってわけ?」
黒い炎。
今度は翼だけではない。身体全体が黒い炎に包まれ燃えている。
そして、特筆すべきはその両腕だ。
肘から下にかけて黒炎の刃が形成されていた。
刃渡りは一メートルを優に超えるだろう。あんなもので斬られた日には百道など紙くず同然だ。
それほど暴力的で、圧倒的な力。
夜見を敵と認め、戦闘態勢に入った証である。
「往くぞ!!」
瞬く間にその巨体が豆粒サイズになってしまう。
遥か夜空に舞い上がり、大羽をはためかせたその姿は、まるで本物の不死鳥のようでだ。
高らかな、歌うような声。
「喰らうがいい──白夜殴殺霊峰!!」
流星の如く、夜見目がけて真っ直ぐに降ってくる。
「避けろ夜見っ!」
半瞬後、
それは衝突と言うより、もはや爆撃だった。
落下の衝撃により空間がぐしゃりと潰れ、突風の壁が大波の如く押し寄せ、周囲を吹き飛ばす。
百道は巧みな幻力操作により衝撃をいなすが、浜辺は大惨事だ。
激突の中心地には、半径十メートルほどの
土煙の上がる中、その大穴の中心から口笛が聞こえた。
「カカッ。今のを凌ぐか‥‥!流石憑き物だけある。だが、その余裕、いつまで保つかな?」
「それは百パーこっちの台詞」
夜見と
戦暈と灼熱の刃が押し合い、じりじりと火花を散らす。
「くくくっ、やはり汝は我らと同類だな。いや、同郷人というべきか」
「勝手に同類扱いしないでくれる?さっきから思ってたんだけど」
「いいや、汝はやはり同類よ。汝の内から溢れる、致命的な異物感。香水か何かで隠匿しているつもりなのだろうが、我には誤魔化せん──ぞっ!!」
星霊の猛攻は一撃では終わらなかった。
返すか刀から繰り出される灼熱の斬撃を、夜見は器用に捌いていく。両者その一挙手一投足が非常に素早く、百道が目で追えない程だ。
だというのに、感じる。
一見すれば愚直に見える剣戟は、その実、圧倒的かつ繊細な術理の応酬である。
百道は釘付けになっていた。
それほど、目の前の戦闘は、百道の知る星祓とは異なる次元にあったのだ。
「一体、何が、どうなって‥‥」
剣撃は止まる気配を見せない。
二者が打ち合う度に空間が悲鳴を上げ、余波が周囲を粉砕する。
「これ程の
「あっそ。よく話すわね。落ち着きがない男は嫌われるわよ?」
「無理なことだ。我から口を取っては、十八番が使えなくなってしまうでな」
両者、互角の超速戦闘を繰広げている。このままでは埒が明かないだろう。
先に仕掛けたのは
「ゆくぞっ!」
鎧の口を大きく露出させた。その口腔の奥では瘴気の炎が滾っている。
次の刹那、炎の激流が噴き出した。
火炎はうねり広がり、夜見を呑み込むべく襲いかかる。
それは極縮された瘴気の激流だ。先ほどの炎に負けず劣らずの、いや、それ以上の火力を持っている。
「さて生成り娘よ、凌いで見せよ」
回避か防御か、半瞬の間に問われる選択。
百道なら回避を選んだ。
夜見は違った。
あろうことか、彼女は向かってくる炎に対し直進を選択したのだ。
「なん!?馬鹿な!?」
その大胆不敵な行動に百道は昏倒しそうになる。
夜見は、業火の海を踊るように躍動する。
しなやかな身の熟しにより、黒炎に擦れるか否かの瀬戸際を掻い潜り、バネのような体幹を駆使して瞬時に
まさに針の穴に糸を通すような御業である。
「詰めが、甘いのよ」
一閃が炸裂する。
袈裟斬り。
夜見の戦傘が、不死鳥の肩口から腰へを斬り下ろす
その威力たるや、表面を覆う黒い結晶を叩き割り、肩口から赤い鮮血が噴き出す程である。
「ぐぅっ、がぁ!?」
夜見が畳み掛けようとした所で、
火炎を大波の如く吐き出した。
「チッ」と夜見は弾かれるように後退。
「傍迷惑な‥‥!」
「見かけによらず豪胆な女子だ。だがこれしき、すぐ治る」
宣言通り、損傷部位が修復を開始した。
じゅくじゅくと傷口が泡立ち、湯気のようなものが漏れ始めたと思えば、血が縫合糸のように傷口を縫い塞いでいく。まるで動画の逆再生を見せられているようである。
先刻の夜見の斬撃は、間違いなく致命の一撃だった。
しかし不死鳥の再生を上回るには足りなかったらしい。
「この程度で我は殺せんぞ。さて、次はどうする?生成り娘よ」
「ならその再生を上回れば良い」
夜見がすかさず躍りかかり、戦傘を振った。
息のつく間もない五連の斬撃が、不死鳥の黒い鎧を砕き、その身体に裂傷を刻み込む。されど不死鳥に倒れる様子は無い。
せっかく与えた傷も直ぐさま癒やしてしまうのである。
「このままでは埒が明かんぞ?」
今度は
口腔に炎を蓄えつつ、両腕に携えた灼熱の剣を振るう。
斬撃は炎の衝撃波となり、海面を切り裂いた。
夜見は身を翻し回避。隙を見て斬撃を加える。
だが、せっかく与えた傷も直ぐに再生されてしまうのだ。
このままではいずれ競り負けるだろう。
百道は手の汗を握り潰した。
「何か、打倒の手立てはないのか‥‥!?」
不意に、夜見が動きを止めた。
「あぁ、そういうオチ‥‥」
「む?まさか、怖気ついた、というわけではあるまいな?」
「そうね。ある意味で恐ろしいわ。アンタが間抜け具合には恐怖さえ覚える」
「ぬぅ‥‥?」
それまで泰然としていた
夜見は肩を竦める。
「もしかして本気で気づいてないの?傷を治す度に息が上がってんのよ、アンタ。このまま斬り結び続ければ、いずれ体力が底を尽きるんじゃない?自分の力の癖にそんな事も把握していないなんて、素人と戦っている気分」
その言葉に、
俯き、肩を振るわせる。それに追随し、周囲の瘴気もわななき始めた。
憤怒の気配を纏うその姿は、さながら燃える我が家を前にした武将のようである。
夜見は「そもそも」と続ける。
「アンタの能力には初めから違和感があった。普通、星座紋由来の能力なら呪詛である程度阻害できるものよ。だから数種の呪詛を試してみたんだけど、どれも芳しい効力は無かったわ」
「呪詛、だと?」
次の刹那、ごばぁ!?と瘴気が爆ぜた。
迸る瘴気を気纏う
「小賢しいこと企てよってに!汝に戦士としての誇りはないのか!?」
されど夜見は煽りの手を緩めない。
「あるわけないじゃない。私は誇れるような人じゃないし。どっちかといえば
傲然と肩を脅かす夜見、その瞳には嗜虐的な光が宿っている。
「後ろ、気を付けた方がいいわよ」
不死鳥が弾かれたように振り返り、狼狽した。
真下に、兎が鎮座していたのだ。
「幻霊か!?」
ちょこんと小ぶりな、愛らしい雪兎。
兎は忽ち膨脹を始める。
「爆っ!」
白い体が風船の如く膨れ上がり、、月美が
四方八方を巻き込む大爆発。その威力は百道の全力を凌駕していた。
「ぐ、むぅ‥‥!小癪な」
土煙から飛び出し、数メートル先で着地する影。
間一髪で爆撃を逃れた様子だ。
「この程度、回復の射程圏内だ」
と、
甲冑に身を包んだ兵隊に取り囲まれていたのである。
「なんて数だ」百道は呟いた。
包囲する軍勢は、幻力により生み出された存在、幻霊である。
百道の知る限り、幻霊が戦闘に使用される例は希だ。
膨大な幻力を消費する癖に制御が難しく、並の術師では扱いきれないのである。
どんなに優れた術師でも同時に使役できる数は、両の指までと言われている。
だが
担い手は月美だろう。
彼女は多才だ。幻霊操術にも精通しているとも知っていた。
──だが、これでは一個旅団並ではないか。
「‥‥術師はどこだ?」
百道も月見を見つけることができない。
兎兵の軍勢は、背格好に幻力、気配までも完全に一致。見分けがつかないのである。
どこからか月美の声が聞こえた。
「木を隠すならば森に、人を隠すなら人混みに。これは、その応用です。私を見つけたいなら、餌で釣るくらいしか手がないですよ?残念なことに」
「阿婆擦れめ‥‥決闘に横槍を入れた分際で喚くでない。耳障りだ。我は‥‥俺は!呪詛も爆弾もっ!その手の小細工が大嫌いなんだよっっ!!」
突風を巻き起こしての大狂乱。
夜見が肩を竦め、バッサリと斬り捨てる。
「誰がどの口で言ってるのよ、先に不意打ち仕掛けたのはそっちでしょうが」
夜見の言下、周囲の炎が成りを潜め、まるで痛い所を突かれた少年が言い訳を探すように、
「む、た、確かに。それは一理ある。一理あるのだが‥‥いやしかし、斯様な所業、我は到底看過できぬ所存。一体どうしたものか」
どこからか、「どうして上から目線?」という月美の疑問が聞こえてきた。
「さぁ?ただの馬鹿か一周まわった馬鹿か。どの道付き合いきれないわ。馬鹿は一人で結構なのよ」
呆れ顔の夜見が「月鏡兎軍」と唱えた。
忽ち、夜見の身体が暖色の光に包まれた。
荘厳で厳粛な、気高い幻力の輝き。
「この神聖な光はまるで‥‥」
光が止んだ時、夜見もまた灰地の鎧を纏っていた。
夜見と月美の声が重なる。
「「月式・明鏡兎軍ノ遊戯‥‥!」」
二人の真言を受け、兎兵が行進を開始した。
兎兵の軍勢は、時に混ざり、時にその位置を入れ替えながらも円環を保ち、篭を形成する。
幻霊の軍勢に囲まれたというのに、
「ほぅ。ならばその卑怯な力を持って、我を討ち滅ぼして見せよ」
と声高らかに告げる。
むむっ!、と月美の声がした。
「失礼。戦術って言って」とたいそうご立腹の様子だ。
「まあ、落ち着きなさい。どうせ最後は塵になるんだし、今のうちくらい楽しませてあげましょう──六番」
夜見の言下、兎兵の一体が
大上段から戦傘を振り下ろす。
胴を両断された兎兵は実体を乱し、霧散する。
「十一番」
更なる兎兵が斬りかかった。
しかし、またしても弾かれてしまう。
「この程度が幾ら来ようとも、我には塵芥同然──」
折も折だ。
「八番」と月美の声。
ズザンッ!と雷鳴の如く鋭い剣閃が走った。
それは、驚くほど速く、先ほどの兎兵たちの攻撃を遙かに超えた、まさに一閃と呼ぶにふさわしい剣撃である。
運動性能から見て夜見の仕業に違いな。
兎兵の傘は、何やら炎の膜に阻まれて、その動きをぴたりと止めていた。
兎兵の斬撃を阻んだものの正体は術理的障壁──結界だ。
「危ない危ない。緩急とは猪口才な」
「な!?」
百道は両目を瞠った。
兎兵の頭部が、もぎ取られてしまったのである。
躯は地に直立し、奪われた頭部は転がされ、踏み潰された。
「いかんな、我とした事が、つまらな過ぎて思わず殺してもうたわ」
百道は慌てた。夜見だと思ったからだ。
「「五番っ!」」
二人の声が重なるその言下、兎兵の躯が張り詰めた風船のように膨張。
大爆発は敵に避ける隙も与えない。
夜の浜辺に轟音が響き渡る。
「ぐ、がぁ‥‥!」
その巨躯が大きく蹌踉めき、吐血を繰り返した。
見れば総身に痛々しい裂傷が刻まれている。並の星獣であったら即死だったに違いない。
「むぅ、ぐぅ、治れっ‥‥」
不死の肉体は独りでに再生を開始した。
傷口がじゅくじゅくと煙を上げ、破壊された体組織が再生してゆく。
「みすみす再生させると思う?」
夜見の声だった。
「三、四、五──階段っ!」と矢継ぎ早の凛声に付随し、兎兵が三騎同時に躍りかかる。
躱した先に待ち構えていた兎兵が、戦傘の突きを繰り出した。
「くっ、小娘共め、同じ手を芸も無くっ!」
障壁が兎兵の傘を受け止めた、はずだった。
結界は敷かれた。障壁もあった。
しかし、鮮血が舞い散る。
なんと。傘の先端が障壁を貫通し、剥き出しの背を串刺しにしていたのである。
「なんっ!?」
結界を持ってしても防ぎきれない程の一撃だったのだろうか。
月美の仕業と思われる。
何故なら、戦傘の石突に、濃密な冷気が収斂されていたからだ。
氷の術理は、彼女の十八番である。
「その技は一度見ています。ならば対策を講じるのは至極当然かと」
──氷式・雪ノ薔薇。
月美の真言の下、濃縮な浄気が絶対零度の冷気と化し、ばぎぃんっ!!と炸裂した。
「ぐあ!がぁあっ!」と
片翼が瞬間的に凍りつき、砕け散る。
その様は氷の花弁の芽吹きのようだ。
「だが、みつけた、小細工娘ぇ!」
腕刃が一層黒く燃え盛り、相好に讃えるは歪んだ嘲笑。
己が矜持をコケにされた怒りに嵩増しされた灼熱の剣が、獰猛にも月美の首に迫る。
絶体絶命かと思われた。──が、その斬撃は月美に擦りさえしなかった。
まるで幻覚でも見せられたかのような奇しき現象に、「ぬぅ!?」と
「幻術の類いか?だが‥‥汝、まさか」
刹那。
ズザンッ!!と、閃光が迸り、もう片方の翼が吹き飛んだ。
夜見だ。彼女の戦傘が、翼を撫で切りにしたのである。
星禍の最上位、星霊の頑丈な翼を斬り落としてしまうとは、なんとも凄まじい切れ味である。
吐血した
「ぐぅぉ、一体、何がどうなって」
「お生憎様。この力はアンタみたいな
夜見の絶対零度の眼差しが見下す。
度重なる再生により、体力が底をついてきたのだろう。
不死鳥の星霊に宿る炎は、もはや風前の灯火に等しかった。
夜見が前傾姿勢をとる。
「アンタはもう終わり、来世は、もっといい存在に生まれ変わることをお勧めするわ」
夜見が体のバネを駆使し、星霊に踊りかかった。
「見下してんじゃっねぇよ!人間風情がっ!!」
振り絞ったような怒声だった。
あまりの怒気に、空間が軋む。
瘴気が一斉に解き放たれ、瘴気の壁として夜見の行手を阻む。
「側面倒なっ、さっきから知ったような口ばかりきいて、拗らせすぎなのよっ!」
瘴気の隙間を縫った夜見が斬撃を放つ。
が、激しく暴れる瘴気にかき消されてしまう。
「黙れっ!人間風情に我らの崇高な志がわかってたまるかっ!」
変化はすぐに起きた。二振りの大剣が重なり、大きな弓矢を織り成したのである。
「我が星の真髄を教えてやるっ!」
星霊が吠え、弓に一矢を番えた。
太く伸びる漆黒の矢。その周囲で凄まじい瘴気の炎が渦巻いている。
「兵諸共全て燃やし尽くしてやるっ!」
怒号に呼応するように、八つの黒い法陣が展開された。
顕在化した瘴気が法陣を描いたのである。
百道は叫んだ。
「その矢と法陣は繋がっている!一斉砲撃が来るぞっ!!」
「もう遅いわ!──浄魂閻魔の鏃ッ!!!」
矢は虚空で消え、法陣から巨大な炎流が射出された。
八方向同時である。
「氷式・極夜」
立ち所に冷気が溢れ、火炎と衝突した。
「こんのっ、小細工娘がっ!!」
月美の発する濃縮な冷気に、炎は飲み込まれ、消された。
氷式・極夜とは、かつて氷式の頂点に位置していた極大術理。
その絶大すぎる効力と消費の激しさ──並みの術師ならば気絶する程──故に禁術に指定された術理である。
百道は唖然と呟いた。
「まさか、この土壇場でそんな術理を引きずり出してくるとはっ」
だが、奴の狙いは別にあった。
「一時、退散させて貰うぞ」
「何故だ、翼は叩き斬ったはず──なっ、治癒が終わっている!?まずいっ!逃亡だ!」
百道は叫んだが、僅かに遅かった。
──まずい、このままでは逃げられる。
「くっ」
百道は歯噛みした。
奴を逃がせば戦いは振り出しに戻り、更なる被害が起こる。
南都が危ない。都が戦場と化す。それだけはなんとしてでも避けなければならない。
不意に、「私思うのよ」と凜声が夜気を裂いた。
「知性があっても活かせないのならば、それは無用の長物でしかないって。まるでどっかのお馬鹿さんみたいにね」
なんと、
先回りし、上空にて待ち構えていたのである。
彼女の戦局を見極める慧眼には、脱帽を禁じ得ない。
「「なんて奴‥‥!」」
百道の呟きと
「ふんっ!」
夜見は叩き落とすべく戦傘を一閃させた。
「くぐぅ!」と
巨大な幻力の衝突に空間が激しく揺れ動き、烈波が発生する。
のだが。下方向に叩きつける夜見と、上方向に飛翔する
案の定と言うべきか、
夜見は宙を蹴って、下方向に推進。畳みかける。
二者はお互いの武器を打ち合いながら、真っ直ぐに落下する。
対空し、数回、数十回、その刃を重ねる。
地面に衝突して激しく土煙を上げても剣撃は終らない。
そこに立ち入る隙はなく、百道は遠巻で指をくわえて見ている他ないのである。
「あれが、夜見──強すぎるっ」
夜見が
ズザンっと苛烈な衝撃波が広がり、かつて無い手応えを感じさせる。
「だが、これしきすぐに」
「でしょうね。けれど、これなら効くんじゃない?」
夜見は戦傘に幻力を纏わせた。
その色は、禍々しい紫だった。
「なんだ‥‥その力は一体‥‥」
一瞬唖然とした
夜見の纏う気は、百道にとっても初見の幻力だった。
傘を中心にしてうねり揺らぐその脈動からは、まるで化学薬品の発火現象のような不自然さが感じられる。
そして、どこか
幻力は、浄気と瘴気の二つに分けられる。
だというのに、夜見からは不穏で溢れていた。
包み隠さず言えば、浄気であるのに瘴気の様に見える。
どうやら
「汝、一体どれだけの業を」
「さぁ?数えたこともないわ」
夜見は戦傘で虚空を斬り裂いた。
瞬間、傘から紫色の閃光が噴き出した。
斬撃は紫の波動となり、
「ぬ、おぉぉっ!」
鮮血が舞う。
夜見の痛烈たる一斬を受けた
電撃を受けたかのようにその巨躯を痙攣させ、血を垂れ流しながら、おぼつかない足取りで岩にもたれかかり、ズルズルと崩れて座り込む。
「カカっ、いいぞ、いい一撃だ!だが、この程度、直ぐに治ると何度言えば‥‥む!?これは」
その傷口が妙だ。
黒い鎧の隙間から覗く赤黒い傷口。
裂傷部が泡立ち、ぐじゅぐじゅと再生を始めるのだが、しかし一向に完治する様子は無い。
傷口に浮かんだ紫の紋様が、再生を阻害している。
何かの呪詛か、或いは、夜見の幻力に秘密があるのか。
兎に角、夜見の攻撃が、不死鳥に有効であることは間違い。
出力を高めることにより強引に再生を急がせているのだろう。
「何故だ、傷口の治りが、遅い。まさかこれは。これは、やはり我らの‥‥」
「知りたい?私としては別に話してあげてもいいけど。けど、そうね──世の中には一定数、知らない方がいい事もあるのよ」
夜見が笑った。
あの男がよく見せる嘲笑に似た壮絶な笑みを湛え、周囲を不穏に染める。
それは、有り体に言えば、闇に身を浸した者特有の気配である。
「いや結構、人の執念は、相変わらずだな。やはりあの時滅ぼしておくべきだった。だが汝も苦労人よな。その苦杯に免じ、汝は生かして遣ってもいい。これから我の創る世界にな」
「お気遣いどうも、私も同情するわ」
夜見は肩を竦めた。
「ぬっ?」
「だってそうじゃない?アンタは今宵、一変も残さず朽ちるのだもの」
夜見が、出し抜けに戦傘で砂を巻き上げた。
微細な砂が立ち込め、急激に視界が悪くなる。
「一、一、一。三枚!」
「二、二、二。同じく三枚っ!」
次の瞬間、土煙の中から兎兵の軍団が現れ、
意表を突いた奇襲、これこそが強襲だ。
「馬鹿にしおって、小細工娘がぁ!!」
瘴気の霧が螺旋に渦巻いて立ち上がり、やがて一柱の業火と至りて爆発的に広がった。遠巻きに観戦していた百道にも、炙られるような熱が伝わってくる。
その熱が、兎兵を諸共吹き飛ばす。
「汝らを駆除すれば次は人類だっ!全員、ぶっ殺してやろうぞっ!!」
──グサリ。
耳障りな音がして
その度出っ腹を、深々と戦傘が貫いている。血飛沫はない。
「ぬぅ‥‥」
「そうはさせないかな。困るので、非常に‥‥!」
月美だ。
「氷式・無情氷牢葬奏」
真言の命に従い、傘の先端に収斂された濃密な冷気が、瞬間的に不死鳥の全身を覆い尽くした。
これもまた、古い文献に記載された術理である
「うん、いい感じ」
月美がはにかむ。
それと同時に、兎兵が一斉に消失した。
気づけば二人を包む鎧も解除されている。
「終ったのか‥‥?」
星霊が討伐されたというのに、その実感が湧かない。
百道は自我が極めて希薄な状態で、その場に立ち尽くしていた。
夜見と月美は選りすぐりの集う学び舎でも、頭一つ優秀だ。
しかし、まさか星霊を撃破してしまう程とは、思いも寄らなかった。
もしや彼女らの才は、あの男に近いところにあるのかも知れない。
百道としては頭の痛い話である。
「そう言えば、あの男は?それに夜が晴れないのは一体何故‥‥」
百道は辺りを見回し異変に気がついた。
火が、まだ消えていない。
浜の彼方此方には、か細い火が残留していた。
黒い瘴気の炎が、夜を照らす灯りとして確実に存在していた。
夜見が呟いた。
「まだ、終わってない」
ぽたり、滴音が夜の静寂に響き、じゅぉぉと蒸発音が続く。
本来ならば春の芽吹きを彷彿とさせる雪解けの音が、百道には不穏に聞こえた。
それが不死鳥が氷を溶かしている音だと気がつき、百道の本能が激しく警鐘を鳴らす。
と、途端、ばぎん!と異音が響き、氷檻が瞬間的に消失した。
黒い瘴気の濃霧が爆発的な広がりを見せ、津波のような熱波が押し寄せた。
「ホシニネガイヲ・ソノカガヤキニ・カゴアランコトヲ!!」
それは、星を覚ませし呪言。
音の抑揚に合わせて、より一層強い炎が
夜空が白むほど、強い黒炎。
百道は思わず走っていた。頭にあるのは二人の救出のみ。
「お前たちっ!そこから離れろッ!!」
百道は二人を庇うように前に出る。
「百道君!?逃げて!!」と月美が叫んだ。
と同時に百道は背中を突き飛ばされる。
「月美!?なにを!?」
振り返る間もなく、怒号が耳をさく。
「超新星・星矢烈光炎!!」
それは最初、ごく微量な火種であった。
だが周囲の瘴気に着火し、あっという間に燃え広がり、大爆発に至る。
その現象は、閉鎖的な空間で起きる粉塵爆発にどこか似ていた。
まるで地獄から引き出したかのような業火の本流が、百道の体を通過した。
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