キニキス、その序章──空を見上げる猿
板打つ鬼気
第1話
「どんな幻想でも叶える力。もし、そんな大それた力があるとすれば、君は何を叶えたい?」
──時舟
※
鴉の鳴く音。
日暮に吹く夏の風が木々を揺らし、葉擦れの音がさざめく森の中。
そこは切り開かれた平地で、木製の遊具が広がり、砂場がある。
山の一部を切り開いて作った公園のような広場だ。
草木が生い茂り足元は悪いが、見晴らしは悪くない。
そんな高台の広場の端にて、坊主頭の少年が険しい表情で周囲を観察していた。
背に着た逞しい大太刀に、黒地の軍服。
袖を捲し立てた腕は太く、程よく焼けた肌は、少年の無骨な本性の発露のようだ。
夕影を纏うその姿は、全体的に空気を引き締め、近寄り難さを醸している。
少年の名は
「‥‥嫌な予感がする」
落ちる夕日が彼方の稜線を夕闇に染め、茜の空では鴉の群れが踊る黄昏時。
黄昏時とは、光と闇、陽と陰の線引きが極めて曖昧になる時刻である。
昼と夜が入れ替わる境を「逢魔が時」、つまり「大禍時」というのだが、この時間帯は現実と異界、その境界が不明瞭であり、伝承的にも経験的にも不思議なことが起こりやすいと言われている。
要するに、危ないのだ。
百道の目が落雷のような閃光を捉えた。集落のすぐ横に見える林からである。
その閃光は、不吉な霊が存在を開始した証だった。
「まずい‥‥!宗司さんっ、
百道は通信石を介し手短に状況を伝達すると──石越しの静止を聞かず──直ぐさま高台を飛び出した。
山を下り、草むらを抜け、荒野を駆ける。
その躍動的な足取りには焦りが見える。目的地は件の林だろう。
「くそっ、星禍め‥‥!よりによって主戦力が出払っているこの時にっ」
星禍とは、幻力の濁りにより引き起こされる呪的災害の総称である。
星禍は凄まじい速度で成長する。
今はまだ危険な段階に達してはいないはずだが、予断は許されない。
百道は驚異的な速度で現場に辿り着いた。
眼前には鬱蒼とした雑木林が聳えている。
既に現場の空気は重たい。瘴気による侵食の影響だ。
百道は雑木林に足を踏み入れた。
周囲を警戒しつつ、探る。
数メートル進んだ所で百道が足を止めた。
百道は、少し先の開けた所にある、一際太い古木を視ていた。
古木の幹の奥で渦巻く黒い靄。幻力が不吉な方へ転向している。
「見つけた、苗床だ。だが成長が早いな。急ぎ浄化せねば」
百道は深刻に呟いた。
状態から察するに、危険度は既に四等を超えているだろう。
これが時間と共に上昇していくのだが、二等を超えると目も当てられない。
百道は古木に近づいた。
その時、古木の根から結晶が飛び出した。
黒光りする瘴気の結晶。星禍が三等へ発展した証である。
百道は目を
「な、進行が早過ぎる!?」
百道は背の大太刀を抜き、古木に突き刺した。
その刀身に幻力を練り、詠唱と手印を結べば術理の発動である。
「土式・浄魂」
言下、大太刀の刃が眩く発光し、古木の周囲を取り囲んでいた瘴気の結晶が霧散した。古木を蝕んでいた瘴気が浄化されたのだ。
「間一髪だったな」
百道が額の汗を拭い、ふう、と息をつく。
あと僅かでも浄化が遅れていれば、星禍は二等に悪化していただ。
二等は、人害の及び始める危険度である。
星禍の迅速な浄化こそ星祓隊の本分なのだ。
「そうだ、上に報告を」
百道が通信石に手を伸ばしたその時、茂みで物音がした。
反射的に飛び退いた百道は、再び周囲を探り始める。
耳を澄ませば衣擦れと荒い呼吸音。何者かが息を潜め、百道の様子を伺っているのだ。
「誰だ!そこに隠れているのはわかっている!」
「ひぃっ!?」
聞こえた悲鳴に、百道は眉を潜めた。
「子供、だと?」
百道は大太刀を鞘に収めた。
「はぁ。そういうことか。大人しく出てこい。お前も、親に捨てられたんだろ?」
そう。この区域は、そういう場所なのである。
「たく、ここの連中はいつも──な!?」
百道が溜息をついた、まさにその瞬間。
古木がビキビキと異音を掻き鳴らし始めた。
「な!?浄化したはずの瘴気が、膨れ上がって‥‥!?」
百道は焦り大太刀に手を伸ばす。
大木が戦慄き、激しく揺れるその様はまるで中で獣が暴れているようだ。
突き破るように幹が弾け、その断面からゴバッ!?と濃密な瘴気が噴き出した。
瘴気の闇が周囲を覆い尽くす。
それは偶然か必然か、夜の到来と時を同じくして。
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