キニキス、その序章──空を見上げる猿

板打つ鬼気

第1話

「どんな幻想でも叶える力。もし、そんな大それた力があるとすれば、君は何を叶えたい?」

──時舟


鴉の鳴く音。

日暮に吹く夏の風が木々を揺らし、葉擦れの音がさざめく森の中。

そこは切り開かれた平地で、木製の遊具が広がり、砂場がある。

山の一部を切り開いて作った公園のような広場だ。

草木が生い茂り足元は悪いが、見晴らしは悪くない。

そんな高台の広場の端にて、坊主頭の少年が険しい表情で周囲を観察していた。

背に着た逞しい大太刀に、黒地の軍服。

袖を捲し立てた腕は太く、程よく焼けた肌は、少年の無骨な本性の発露のようだ。

夕影を纏うその姿は、全体的に空気を引き締め、近寄り難さを醸している。

少年の名は百道ももち、星祓隊の隊士である。

「‥‥嫌な予感がする」

落ちる夕日が彼方の稜線を夕闇に染め、茜の空では鴉の群れが踊る黄昏時。

黄昏時とは、光と闇、陽と陰の線引きが極めて曖昧になる時刻である。

昼と夜が入れ替わる境を「逢魔が時」、つまり「大禍時」というのだが、この時間帯は現実と異界、その境界が不明瞭であり、伝承的にも経験的にもと言われている。

要するに、危ないのだ。

百道の目が落雷のような閃光を捉えた。集落のすぐ横に見える林からである。

その閃光は、不吉な霊が存在を開始した証だった。

「まずい‥‥!宗司さんっ、星禍せいか発生。至急、対応しますっ!」

百道は通信石を介し手短に状況を伝達すると──石越しの静止を聞かず──直ぐさま高台を飛び出した。

山を下り、草むらを抜け、荒野を駆ける。

その躍動的な足取りには焦りが見える。目的地は件の林だろう。

「くそっ、星禍め‥‥!よりによって主戦力が出払っているこの時にっ」

星禍とは、幻力の濁りにより引き起こされるの総称である。

星禍は凄まじい速度で成長する。

今はまだ危険な段階に達してはいないはずだが、予断は許されない。

百道は驚異的な速度で現場に辿り着いた。

眼前には鬱蒼とした雑木林が聳えている。

既に現場の空気は重たい。瘴気による侵食の影響だ。

百道は雑木林に足を踏み入れた。

周囲を警戒しつつ、探る。

数メートル進んだ所で百道が足を止めた。

百道は、少し先の開けた所にある、一際太い古木を視ていた。

古木の幹の奥で渦巻く黒い靄。幻力が不吉な方へ転向している。

「見つけた、苗床だ。だが成長が早いな。急ぎ浄化せねば」

百道は深刻に呟いた。

状態から察するに、危険度は既に四等を超えているだろう。

これが時間と共に上昇していくのだが、二等を超えると目も当てられない。

百道は古木に近づいた。

その時、古木の根から結晶が飛び出した。

黒光りする瘴気の結晶。星禍が三等へ発展した証である。

百道は目をみはる。

「な、進行が早過ぎる!?」

百道は背の大太刀を抜き、古木に突き刺した。

その刀身に幻力を練り、詠唱と手印を結べば術理の発動である。

「土式・浄魂」

言下、大太刀の刃が眩く発光し、古木の周囲を取り囲んでいた瘴気の結晶が霧散した。古木を蝕んでいた瘴気が浄化されたのだ。

「間一髪だったな」

百道が額の汗を拭い、ふう、と息をつく。

あと僅かでも浄化が遅れていれば、星禍は二等に悪化していただ。

二等は、人害の及び始める危険度である。

星禍の迅速な浄化こそ星祓隊の本分なのだ。

「そうだ、上に報告を」

百道が通信石に手を伸ばしたその時、茂みで物音がした。

反射的に飛び退いた百道は、再び周囲を探り始める。

耳を澄ませば衣擦れと荒い呼吸音。何者かが息を潜め、百道の様子を伺っているのだ。

「誰だ!そこに隠れているのはわかっている!」

「ひぃっ!?」

聞こえた悲鳴に、百道は眉を潜めた。

「子供、だと?」

百道は大太刀を鞘に収めた。

「はぁ。そういうことか。大人しく出てこい。お前も、親に捨てられたんだろ?」

そう。この区域は、そういう場所なのである。

「たく、ここの連中はいつも──な!?」

百道が溜息をついた、まさにその瞬間。

古木がビキビキと異音を掻き鳴らし始めた。

「な!?浄化したはずの瘴気が、膨れ上がって‥‥!?」

百道は焦り大太刀に手を伸ばす。

大木が戦慄き、激しく揺れるその様はまるで中で獣が暴れているようだ。

突き破るように幹が弾け、その断面からゴバッ!?と濃密な瘴気が噴き出した。

瘴気の闇が周囲を覆い尽くす。

それは偶然か必然か、夜の到来と時を同じくして。



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