第23話 新たな朝を迎え
旧見張り小屋の2階へと、朝の陽ざしが差し込む。
目覚めたルクスエは起き上がると、いつものように窓へと顔を向けた。そこにはカルアは座って居らず、慌てて周囲を見回していると、隣の敷き布団の上で丸くなっていた毛布が少しだけ動いた。
耳を澄ませば、まるで息を殺すように、それでいて規則正しい寝息が聞こえる。
起き上がった際の死角となっていた為に、ルクスエはそこでようやく気付いた。鼈甲色の髪が僅かにはみ出した毛布を僅かにめくる。
カルアが眠っている。
重い瞼は閉ざされ、いつもは強張っているカルアの表情が今はとても穏やかだ。
「よかった……」
彼がいつ眠れたのかは分からない。それでも、こうして心を許して、無防備に眠ってくれることが、何よりも嬉しい。
ルクスエは静かに微笑み、カルアの寝顔をじっと眺める。
盗み見る様で申し訳ないが、近くで見られる絶好の機会だ。
額に触れると熱は正常な体温まで下がり、痩せコケている白い頬には自然な赤みが戻っている。目元の隈は僅かに薄まり、薄い唇にもまた赤みが戻っている。良く見れば、贈った椿の油の効果もあって、髪は少しずつ艶を取り戻し始めている。椿油の恩恵は髪だけでなく、荒れていた指先にも顕れ始めている。
カルアの健康が少しずつ取り戻されている事に、無上の喜びを感じる。
彼が料理を美味しいと頬張る姿に、胸の内が温かくなる。また、苦しめてしまった事に胸が締め付けられた。
静かに湧き上がる穏やかな感情を、医師は〈恋〉と呼んだ。
初めて会った時、カルアの瞳に強く惹かれた。
その理由は、昔の自分と重なり、助けたいと思いから来るものだと考えていた。
しかし、こうして寝顔を見て、ようやく答えらしい答えを見つけた。
笑顔だ。カルアの笑顔を無性に見てみたい。竜と戦い、命と命の激しいやり取りをすることで誤魔化し続けて来た孤独による心の隙間を、その笑顔が満たしてくれるかもしれない。そんな予感を無意識に抱き、カルアのために動いていた。
「カルア。いつか、俺に笑いかけてくれないか?」
小さく、小さく問いかける。まだ眠っているカルアは、暖を求めてルクスエの懐へと潜り込む。
繊細なガラス細工に触れるように恐る恐る抱きしめてみれば、確かな呼吸音とそれに伴って肩が上下しているのが感じ取れる。微かに伝わる鼓動に、安心感を覚える。
それだけで満たされかける自分に苦笑しながら、ルクスエはもう少しだけみの幸せを噛み締めた。
やがてカルアの意識の覚醒の予兆が見え始め、眉間に僅かに皺が寄り、身じろぎが大きくなる。
ルクスエは音や振動を最低限に抑えながら布団を出ると、急いで服を着替え始める。
さらに身じろぎが大きくなり、手や足を動かし、寒そうに毛布にもう一度包まったが、カルアは上半身を起き上がらせた。
「おはよう。今日も良い朝だな」
動いたのを察知したと装うために、ルクスエはカルアに背を向けながら羽織を手に取る。
しかし、反応が返って来ず、動く気配がない。寝起きとなれば意識がはっきりしない状態でも、腕や背中などの固まっていた筋肉を解そうと伸びの動作を多少する筈だ。
どうしたのだろうか。ルクスエは、カルアの方へと振り向いた。
カルアは起き上がっているが寝ぼけ眼で、視点が定まっていない。まだ意識が眠りの海に漂っている様子で、船をわずかに漕いでいる。
このまま崩れる様に倒れては危ないだろうと、着替えが終わったルクスエは彼の傍に座った。
「朝食の準備に時間が掛る。まだ寝ていたらどうだ?」
布団の中へ横たわらせようとカルアの肩へルクスエは手を添える。優しく誘導しようとしたが、カルアはルクスエの腕の中へと抱き着くように寄りかかって来た。
心臓が大きく跳ねあがる。
「カ、カルア?」
胸の中に掛かるカルアの体重に、ルクスエの鼓動は速くなり、体を硬直させる。
ラダンからエンテムまでの道中の間、夜になるとリシタで暖を取っていたのだろう。親しみを込める様に頬をすり寄せ、安心しきり無防備なカルアに、ルクスエは何も言えなくなってしまう。
髪の毛から香る椿の控えめな匂いに、感情の行き場を無くす。
意識し過ぎて変な気を起こさないように自分自身へ言い聞かせ、肩から落ちそうになる毛布をカルアに掛け直し、ルクスエは天井を見上げる。
時間が途方もなく長く感じた。
「んん……」
しばらくすると、カルアの口から声が漏れる。リシタよりも柔らかさを含んだルクスエの胸に違和感を覚えたのか、その眉間に皺が寄っている。
目を僅かに開けて、周りに目線を走らせた後、ルクスエをじっと見上げる。
最初は理解できない様子だったが、徐々に緩んでいた顔は固くなり、頬の赤みが増し、大きく見開かれていく瞳にはルクスエが写り込む。
「あっ、えっ、ル、ルクスエさん」
「お、おはよう」
完全に意識が覚醒したカルアは、飛び上がる様にルクスエから離れる。
「すす、す、すいません。寝ぼけてしまったようで、その、私、おかしなことしていませんか?」
「い、いや、寄りかかられただけで、特には……」
「すいません……こんな、だらしない……」
赤く染まった頬に両手を当て、恥じらい戸惑う仕草が可愛らしい。カルアを意識しているせいか、それとも初めて無防備に感情を曝け出す姿を見たからか。
もっと色んな表情を見たい。ルクスエはそう思い、手を伸ばしかけるが、ぐっと堪えた。
今回は偶然が重なっただけ。欲張っては、ようやく隙を見せてくれるようになったカルアを傷付けてしまう。
「久々にちゃんと眠ったんだ。起き慣れるというのか……その、仕方ないと思う」
上手く言えず、ルクスエは立ち上がった。
「と、とりあえず、朝の支度を済ませてくれ。俺は朝食作りに行ってくる」
「はい……」
顔が赤いカルアは小さく頷くと、肩に掛かっていた毛布がずり落ちていった。
ただそれだけの事に、なぜかルクスエの心は激しく動揺した。
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