第22話 格子戸から差す光

 厳しくも優しい両親。聡明で将来を有望視された兄。

 家族さえいれば、それだけで良かった。


 その日を境に、幸せな日常は消え去った。手の平から大事なものが零れ落ち、拒絶すら許されない。


 村民の仮面はあっけなく崩れ落ち、牙を向き、尊厳は壊された。

 母の作ってくれた服を破かれ、複数の男に押さえつけられ、股を開かされる。

 汗の臭い。体液の臭い。血の臭い。荒い息遣い。笑い声。罵声。粘着物の音。体温。振動。痛み。吐き気。震え。ぼやける意思。腹に溜まる違和感。

 助けを求めた時もあった。裏切られ、嘲笑われ、騙された。


 抵抗しても、両手を複数人に押さえつけられ、叫べば口を塞がれ、首を絞められる。


 快楽など馬鹿々々しく生易しいものは無く、痛みと屈辱と、生命の危機を感じ、やがて抵抗を諦め、せめて意思を守ろうと身体から切り離す。軋むからだは悲鳴を上げ、現実に引き摺り戻そうとして来る。


 いつ頃だったか。眠り方を忘れた。


 目を閉じれば止めどなく嫌な記憶が頭の中を巡り、欲望を曝け出す住民が毎日のように押し寄せる。そんな日々の何処に、休まる時間があるのだろう。


 限界に達し意識を失う時に味わう安堵。目覚めた時の絶望。


 彷徨い点滅する意識の中で、あの時、あの瞬間、これさえ耐えればと何度も、何度も自分に言い聞かせ、過ぎるのを待つ。


 明日を生きるために、今日を殺し続けた。


 身体を幾度も暴かれても、鞭に何度打たれても、首を絞められても、泉の冷水に投げ込まれ溺れかけても、汚物を食えと命令されても、生に縋り続けた。

 母様が、父様が、兄様が繋いだ道を、途絶えさせたくない。擦り切れる感情の中でも、それだけは大事に握り締め続けた。


 毎日、お父様から譲り受けたリシタがこちらを呼ぶ声に応える時だけが、生を感じた。


 日の数え方を忘れようとしていた時、遠くで、竜の翼を羽ばたかせる音が聞こえた。

 村民達の大きく騒めいていた。それに伴いように、いつもと違う気配が村に現れては、平地へ消えた。

 そうして、いつだったか、一際強い気配を小さな格子戸から感じた。

 竜でいて、竜でない。剣のように鋭く、惹きつける様なその気配は、山の上へと登って行った。

 やがて別の竜の羽ばたく音は消え、その気配が村へと生還した。

 村民が宴に興じる声が耳に届き、数年ぶりの休息を得ていた時だった。彼女が最後の機会だと言って、牢屋の鍵を開け、逃がしてくれた。


 念願の再会を果たしたリシタは、私を案じるあまりに食が細くなり、やせ細っていた。


 再び相まみえる事ができた喜びと共に罪悪感が溢れ出す。また、自分のせいで大切な存在が犠牲になる所だった。

 生きることへの執着が擦り切れていた私は、その時には自分の命なんてどうでもよくなり、ただ、ただリシタを助けるためだけに動いていた。

 母様の覆い布。兄様から貰った装飾品。壊された我が家の床下に隠していた遺品を身に付け、宴によって隙が出来た村から、リシタと共に外へと逃げだした。


 旅立ったあの日。

 久しぶりに、呼吸が出来た。空は果てしなく広く、このまま死んでも悔いはないと思えた。


 エンテムの町へ行かない選択もあった。しかし、忌み子として産まれた私ではリシタを守り切れない。野生の世界でリシタ一匹が生きていくのもまた難しい。この地域に走竜の野生種はごく僅かしかおらず、卵を孵化させ、雛の時から人間と共に暮らすリシタを彼らが受け入れてくれるとは思えない。闇雲に野に放てば、リシタは賊に捕まり、悪用され、それこそ使い捨てられる恐れがある。

 だから、エンテムの町に僅かな希望を賭けた。父様から、町長はラダンと縁があると聞いていたから、リシタだけでも助けてもらえるかもしれない。


 兄様から貰った家宝の装飾品を献上し、私の首を差し出せば、もしかしたら……


 旅の道中、毎日リシタが助かるようにと天へ祈った。

 エンテムの町に辿り着いた時、町長代理の怒りは仕方なく、自分の命と引き換えにリシタを助けて欲しいと懇願した。

 戸惑った彼らの様子に、話が分かる人達だと安心をした。これでリシタは助かり、私は楽になるとも思った。こんな体と色からようやく解放されると思った。


 なのに、ルクスエさんが現れた。


 竜のようで竜ではないあの気配の主だと、一目でわかった。

 真っ直ぐな赤い瞳でこちらを見て来たかと思えば、忌み子の逸話を信じないと言って、私へ当然とばかりに手を差し伸べた。

 その躊躇いの無さに、驚き、怖いと思った。

 優しい顔をして、何をしてくるか分からない。彼は所有物として家で躾けると言った。また乱暴されると覚悟をし、諦めた。

 それなのに予想を反し、彼は一定の距離を保ち、ラダンの村について訊くこともせず、優しく接してくれる。

 不思議で、怖いのに、居心地が良い。しかし、いつその仮面が落ちるか分からない。

 せめて役に立てると思ってもらえるように、母に教わった刺繍をやると言った。

 若いから鬱憤が貯まるだろうと、捌け口になれると言ってみれば、驚き、悲しんでいた。


 どうして、生かそうとするのか分からない。


 アイアラさんも、テムンさんも、どうして優しくしてくれるのか分からない。

 ルクスエさんは辛い過去を背負っているのに、どうしてそんなに献身的でいられるのだろう。

 どうして、躊躇いなく過去を開示できるのだろう。なぜ知って欲しいと思うのだろう。

 沢山考える事が増えた。奴隷として飼われた方が、ずっと楽だった。

 理由が知りたい。綺麗事でも、絵空事でも無く、確かなものが欲しい。

 何かあるだろうと、ずっとルクスエさんを観察していたのに、私を診察してくれた医師の老人はそれを〈恋〉と呼んだ。


 同情でも、義務感でも、慈善でもない。


 分からない。


 生き方も、やりたい事も、何一つ思い浮かばない浅はかな存在に、こんな取るに足らないモノに、好意なんて抱く理由が見つからない。

 いつか、とはいつのことだろう。いつまで待ってくれるのだろう。


 分からない。

 ただ、不安はない。


 刺繍が完成した時、ルクスエさんが喜んでくれた時、自分の中に僅かな変化を感じた。

 町の警鐘が鳴り響き、そしてルクスエさんが戻って来た時、もうここはもうラダンでは無いとようやく受け入れられた。

 あんな風に、心が乱れ、心配されたのは何年振りだろう。

 ルクスエさん達は、暴力を振るような人じゃない。ちゃんと物事を見て判断できる人だ。


 大丈夫。きっと大丈夫。

 ちゃんと話せば、分かってくれるかもしれない。


 信じたい。


〈いつか〉が、その日が来ると信じてみたい。


 ルクスエさんを、信じたい。

 この人なら、生きていてくれると信じたい。


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