第9話

 絹地、木綿、麻、金糸、銀糸、染料、絹糸、多彩な色の刺繍糸にビーズ。そして、裁縫道具一式。

 昼になる前に時間を貰ったルクスエは、急いで隣町の市場へ出向き、カルアの装飾品の修理をしてもらうべく、知り合いの細工師の元まで行った。そのついでに、生活必需品や刺繍の材料を購入した。留守番をしてくれるカルアが、家の掃除やリシタの世話の後、手持ち無沙汰になってしまうと思ったからだ。


「商人に訊いて、一通り揃えた。多めに買ったから、壁掛け以外にも何か作りたくなったら使ってくれ」


 様子見がてら昼食を食べに家へ戻って来たルクスエはそう言って、材料を包んでいた包み布ごと大きな籠の中に入れ、カルアの前へと置いた。


「こんなに沢山……ありがとうございます」


 カルアは花の彫刻が施された木製の裁縫箱を手に取り、ルクスエに感謝を述べる。


「もし足らなくなったら、言ってくれ。買ってくるから」

「はい。ありがとうございます」


 その後も、ルクスエが買った品の報告が続いた。

 保存のきく食品と香辛料は既に貯蔵部屋に仕舞われ、目の前には生活用品が並ぶ。

 洗濯用の洗剤の塊が入った布袋。カルアの風呂用の石鹸と肌に優しい木綿の手袋。すり傷ややけどに効く軟膏の入った陶器の薬瓶。リシタ用のブラシが大小3種類。


「服と下着は、カルアと背格好が似ている人の寸法を測らせてもらい、買って来た」


 市場は賑わい、様々な年齢の男性と女性が行き交う。ルクスエは、服屋の前を通りかかった身長が高いがまだ少年の細い体をした男の子に頼み、寸法を測らせてもらった。頼んだ時には少年はルクスエを訝しんだが、目の前が服屋なこともあって、了承してくれた。


「今は大きいかもしれないが、次第に合って来るはずだ」

「ありがとうございます」


 真新しい簡素な下着4着、シャツにズボン、そして羽織を3着ずつ。ベルト2本と靴下4足、靴はまだ買っていない。

 エンテムの町の人々からしてみれば、靴を履かせるのは良く思われないだろう。

 忌み子に靴なんて与えれば、悪さをして逃げるかもしれない。

 そんな小言を言われかねず、カルアに気を使わせてしまいそうで、今は買わなかった。


「それと、こっちは椿油だ。他の国から種を仕入れて、搾油したものだと聞いた」


 最後に、二重にしてある包み布を解いた。その中には、陶器の瓶が入っていた。金の彩色が施され、美しい赤い大きな花が描かれている。


「女性用と言っていたが、別に男が使って駄目なわけではないだろう? 身体や髪に塗ると綺麗になると言っていたから、今度、風呂の時に使ってほしい」


 椿の種から搾油した油には保湿効果があり、髪や頭皮、肌に塗れば乾燥を防ぎ、潤いを与えてくれる。カルアの乱れてしまった髪と肌に必要だと思い、少し値は張ったものの、迷いなく買った。


「どう使うのですか?」

「商人が言うには……」


 昨晩の出来事もあって、ルクスエが誠意を持って接してくれていると理解したカルアは、緊張の糸をほんの僅かだが緩ませていた。

 しかし、親切の裏に何かあるのではないか、と考えが脳裏をよぎる。

 何度も何度も希望を潰され、傷付けられ続けたカルアの心の一部はルクスエを疑っている。



 昼食を食べ終えると、ルクスエはアレクアに乗り再び見張りへと戻って行った。

 家で留守番をするカルアは、さっそく壁掛けを作るために布の大きさを確認し、刺繍糸を選ぶ。布地を染料で色を付ける事も出来るが、作業をするには桶とある程度の水が必要だ。ルクスエの許可が必要なので、今回は白地のまま壁掛けを作る。

 使う刺繍糸の色を決め、さっそく縫い始めようとしたカルアだったが、おとなしかったリシタが鳴いた。


「おい! 忌み子が家から出て来たぞ! ルクスエの命令を無視したんだ!」


 テムンに頼まれ、少し離れた場所に建つ染物屋からルクスエの家を監視している若者3人のうちの1人が小声で言った。

 カルアは自分の出来る家事を一通り終え、ルクスエの替えの靴を借りて裏手に出て来ていた。2人は足の大きさも違うので、カルアは少し歩き難そうだ。


「どう見ても、走竜の世話だろ。それくらいさせてやれよ」

「さすがになぁ」


 カルアはリシタを竜小屋の隣に生えている木に繋ぐと、竜房内の糞掃除を行い、寝床に使っている干し草の一部を外へ天日干しさせる。動きに慣れを感じさせるが、痩せすぎた体が時折ふらつき、危なっかしくて目を離せない。

 カルアが作業している間、長めの綱で結ばれているリシタは、気ままに裏手を歩いては彼の様子を伺っている。


「なんだよ。おまえら、忌み子の方を持つのか」

「あんなぁ、ルクスエは町の見張りの為に、夕方まで動き回ってんだぞ。その間は誰があの走竜の面倒をみるんだ」

「もし、あの走竜を連れている時に竜に襲われたら、どうする? あんな良い走竜を囮になんて、できるわけないだろ」

「……確かに」


 リシタはやせ細っているが、ラダンから歩き続け、耐え抜いただけの丈夫さがある。テムンの大声に動揺しない心の強さと、あの忌み子が軽く叩いただけで何をすべきか理解できる賢さがある。

 走竜は財産だ。なくてはならない移動手段であり、重い荷物を運ぶ労働力でもある。あの走竜に充分に栄養を与え、健康な体格になる太る事ができれば、よく働いてくれそうだ。


「人間と同じで、たまにいるんだよ。かなり神経質で愛情の重い走竜。飼い主以外には、毛の一本すら触られたくないって暴れるんだ」

「あー、おまえの親父さんに懐いてる子か。あれは強烈だよなぁ」

「良い走竜に育つと思って父さんが手厚く世話したら、あんなことに……」


 柔和な態度の若者は、片方は宿屋の、嘆くもう片方は走竜を売って生計を立てている家の息子だ。

 ルクスエの愛竜であるアレクアの妹であるその雌の走竜は、彼の親父さんにご執心だ。他の走竜を世話しようものなら大声を上げ、放牧しても傍を離れない。他の人が世話をしようと近付こうものなら噛みつき、時に蹴り飛ばそうとしてくる。嫉妬のあまり他の走竜とやたらに喧嘩するので、仕方なく彼女専用の小屋を用意した。


「あれ程じゃなくても、知らない人に触られたくない馬や走竜はいるからな。それに、ただ家に置くだけじゃ穀潰しになるし、家の掃除や水汲みくらいさせるだろ」

「だよな。裏手の竜小屋と井戸に行くくらいは、目を瞑った方が良い。俺らは、家仕事以外の事をしないか見張るだけで良いだろ」

「井戸水に毒を混ぜたりしたら、どうする気だ」

「あの走竜が毒で死んだら、本発転倒だろ」

「走竜は人質みたいなもんだ」


 今にもテムンに殺されようとしていた中で、あの忌み子は走竜の命を助けて欲しいと言った。自分よりも走竜の命の方が、価値があると思っている。そんな奴が、井戸水に毒を混ぜるはずが無いのだ。


「町長が帰って来るのは、大体1か月後だ。ずっと気を張ってたら疲れるぞ」

「おまえらの気楽さは、それが理由か! 町長に任せきりも、よくないんだぞ!」

「はいはい」

「分かってるって」


 遠巻きにじゃれ合うような話し声がカルアの耳に届いたが、リシタが擦り寄って来たので気にする余裕は無かった。

 悪さをしないかカルアの見張りを立てる。その建前を風潮し、事実を造り上げ、他の町民によるカルアへの加害行為を防ぐ意図がある事を3人は知らない。

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