第8話

 生物の頂点に君臨する幻獣の王。それが竜だ。

 草食から肉食。手の平ほどに小さいモノから、山より大きなモノまで、多様な生態と姿をしている。あるモノは天候を操り、またあるモノは山を喰らい、またあるモノは氷河を生んだ。人類にとって脅威であり、同時に信仰の対象として崇め奉られている。

 伝説上と呼べる種は目撃数を含め極めて少ないが、肉食の竜にとって町や村は格好の餌場となりかねない。

 そのため、この地に生まれた子供は、男女問わず竜と戦う術を教わる。適性のある子供は守り手となる戦士候補として育てられ、そうなれずとも、竜の習性や特性を学ぶことで生き残る術を身に着ける事ができる。


「そっち頼んだ」

「あぁ、行ってくる」


 翌日、ルクスエは他の見張り達と共に、町の周囲に広がる草原をアレクアに乗って駆け巡る。今日、彼が担当するのは東の草原だ。草原を抜けると白さを含む乾燥した台地が広がり、さら遠くには赤い山脈がうっすらと見える。


「ルクスエ」


 竜の影すら見えないと思っていたルクスエの元へ、深緑色の走竜に乗ったテムンがやって来た。


「テムン。どうしたんだ?」


 早くに父を亡くしたテムンは、現在町長代理として町を仕切っている。普段であれば草原へと来ることはまずない。


「仕事中に、すまない。ラダンについて調べようと思ってな。どんな様子だったか教えて欲しい」


 ラダンの村長が嘘を言っていたのか。それとも美しい娘を町に送るのが惜しくなったのか。本当に困窮し、若い人はあの青年だけだったのか。抗議するにも、相手の状況が分からない。テムンは情報収集をする為、ルクスエの元を訪れたのだ。


「確かに困っていたが、すぐに村が駄目になる程のひっ迫はしていなかった。歓迎に、羊一匹ご馳走になったくらいだ」

「誰か来るたびに?」

「そこまでは分からない。あの時、討伐を試みにやって来ていたのは、俺だけだった。4日ほど滞在したが、他の戦士は来なかったな」

「どの町も、そう簡単に戦士を向かわせられないからな……久しぶりに村へ来た戦士に、なんとしても討伐してもらう為に、ご馳走を振舞ったのだろう。他にも、もっと教えてくれ」

「そうだな……」


 ルクスエはラダンの村の様子を話した。

 道中で見かけた乾燥に強いはずの植物が、かなり枯れていたので雨が降っていないのは確かだ。水源近くには竜は居座っていたが、井戸や少し離れた場所にある小さな川の水は枯れず、一定の透明度を保っている。10頭ほど放牧されていた羊たちの毛並みの良さから、水質の汚染による健康被害は無さそうだった。子供は元気に駆け回り、母親に抱かれる赤ん坊はふくよかで可愛らしい頬をしており、平和な村の様に見えた。


「竜は天候を操っていたのか?」

「いや、ここでも時折見かける火球を噴き、空を飛ぶ竜だ」


 全身を赤い鱗に覆われ、蝙蝠のように前足が翼へと進化した竜。

 その竜は翼を広げれば、3階建ての建物とほぼ同等の大きさを誇る。身体を支える為にもそれに見合った脚力があり、そのかぎ爪に襲われでもしたら一溜りもない。草原の広がるエンテムの周囲で見かけるが、基本は草食の竜や小型の竜を獲物にしているので、人間を襲う可能性はかなり低い。


「水源である泉の近くの崖に、巣を作り始めていた。あれは雄が巣を作り、雌がそれを気に入れば番になる。他の生物も繁殖の時期を迎えるから、あの場所を選んだのだと思う」

「水を飲みに来る獲物を狩るために、その場所を選んだか。知識がなければ、独占している様に見えるのだろうな」


 繁殖となれば、その危険値は未知数になる。危機的状況が迫っていたのは確かだった。エンテムの町では、独り立ちしたてのこの竜種によって羊を3頭食べられる被害があった。食べ盛りの雛達にえさを与えるとなれば、手当たり次第に襲いかねない。雛が空を飛び始めれば、狩りの練習として、ラダンの村が襲われる可能性も出てくるのだ。

 村人としては、住みやすい土地を手放したくはない。村に被害が出る前に、早め早めに対策に乗り出していたのだと考えられる。


「先を見越して動け、戦士をきちんと歓迎できる村だというのに、なぜ忌み子を……」

「本当の娘は道中で忌み子に食われ、新たに訪れた町の人間をたぶらかし、食い殺して回ろうとした」


 ルクスエの言葉に、テムンは目を丸くした。


「村がカルアを隠し続け、今になって外に出したなら、あり得る作り話だろ? ラダンの村に抗議したとして、そう言って取り繕っていたはずだ」

「確かに忌み子の話の中には人食いもあるが……どうした? 家で何かあったのか?」


 カルアとは、あの忌み子に付けた名だろう。平静を装っているが怒りが滲み出るルクスエを見て、テムンは問いかける。

 ルクスエは視線を下に向け、間を置いた後、昨日の出来事や就寝前のカルアの発言から推測されるラダンの村での生活について、テムンに話をした。


「……それは、酷いな。よく生き延びたものだ」


 テムンは顔をしかめた。

 毎晩、いや時間帯すら関係なかったのかもしれない。食事だけでなく、衣類や灯明の油など、何かにつけて強要され、欲の処理道具として扱われ可能性が示唆される。

 精神が壊れてもおかしくはない。会話が成り立ち、意思表示が出来るだけで奇跡なほどだ。


「常に精神を張り詰めさせていたのか、眠るのも難しくなっている様子だった」


 ルクスエが目を覚ました時には、カルアは小さく開けられた窓の外をじっと眺めていた。

〈よく眠れたか〉と何気なく聞いたところ、彼は〈すいません。眠れませんでした〉と答えが返って来た。

 眠る事ができず、毛布に包まる事すら居た堪れなくなり、ただ時間を潰す為に空を眺めていたのだと、ルクスエは察した。


「彼の生命線は、愛竜であるリシタなのだと思う。走竜について話している時は、少しだけ表情が和らいでいた」

「走竜を助けて欲しいと言ったのは、それか……」


 リシタといる時だけは、現実から離れる事が出来たのだろう。人よりも愛情を真っ直ぐに向けてくれる走竜が、彼の心を支えていた。


「同情の余地は充分にあるが、いろいろと引っ掛かるな」


 テムンは大きくため息を着いた。

 余計に謎が深まる。カルアと名付けられた忌み子が、愛竜リシタとどこで接点を持ったのか。カルアが不遇の身であったが、村にとって財産となりえるリシタは何故あそこまで痩せているのか。性処理の道具として使い続けた理由は何なのか。

 忌み子は、産まれた時点で殺されてもおかしくはない存在だ。

 何故生かしたのか。なぜ突然捨てたのか。壊れた精神では、どこかで野垂れ死に、遺体は竜や狼に食われるとでも思ったのだろうか。ルクスエの言うような思惑があったのか。

 そうであれば、あの錆びた装飾品を着ける必要は無く、走竜を用意せずに1人で歩かせるのではないか。

 走竜は馬よりも寿命が長く、足が速い。忌み子に懐いているからと安易に手放すとは到底思えない。


「もっと情報が必要だな。もし、忌……カルアが答えられそうなら、ラダンについて訊いてほしい」

「彼は思い出したくない筈だ。あまり答えてはくれないと思うぞ」

「少しでも分かれば良いんだ。その情報が、何かと繋がるかもしれない」


 テムンは町へと戻り、見張りの仕事を再開しようとしたルクスエは遠くを眺める。

 東の先、はるか遠くに薄っすらと赤い山脈が見える。あの山の一角に、ラダンの村がある。


「遠いな……」


 小さな呟きは、風の中に消えた。

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