第6話
もともと1人暮らしのルクスエは家具や布類はそれほど持っておらず、祝いで貰った品は返還する為、荷車に乗せるにはそれほど時間は掛からなかった。その代わりに町の人達への謝罪と返金、抗議や反発への説得に時間を費やし、その後ようやく店で食材を買った。
気が付けば、高く昇っていた太陽は沈み始め、青空は赤と瑠璃を滲ませている。
吹く風は冷えはじめ、ルクスエは荷車を引かせるアレクアに、出来るだけ早く進むよう促した。
「あっ……」
もうすぐで着くという時、ルクスエは思わず声を漏らした。
家に、灯りが灯っている。玄関近くの窓から見える小さな、小さな灯りだ。
初めて見た。
旧見張り小屋を宛がわれてから、ずっとルクスエは1人で暮らしていた。
町長との勉強は昼間のみ。小さな頃は、夕暮れ時にテムンや町長の息子夫婦達が様子を見に来てくれたが、ルクスエが在宅であると確認が取れている場合のみだ。やがて遊びに来る人も増えたが、それでも夜は1人だった。
日が落ち始める中で家々の灯りを眺めながら、暗い家へ帰る日々に寂しさを感じた。時が経つにつれて慣れ、擦り切れて何も思わなくなった。
昔を思い出し、孤独が重なり、ルクスエの胸は温かくなった。
「た、ただいま」
この程度で浮足立っては格好がつかないと、アレクアから降りたルクスエは喜びを抑えながら玄関口で声を掛ける。
すると、灯明皿を手に持った青年が顔を出した。
灯された双眸の奥に、美しい光が見えた気がした。
「おかえりなさいませ」
「あ、あぁ、うん。ただいま」
もう一度言ったが、どこか締まりがない。自分自身にルクスエは苦笑しそうになる。
「勝手に油を使ってしまい、申し訳ありません」
「謝らなくて良い。暗くなり始めたのだから、灯りは必要だ」
家に帰ったらすぐに灯りが点けられるように、玄関先にいつも灯明皿とマッチを置いていた。こちらも、何かあれば使うだろうとそのままにしていたのだ。
むしろルクスエは、使ってくれて良かったと思っている。
「荷物を運び入れたら、すぐに食事を作る」
「手伝います」
「……そうだな。あなたは、食器類や小物を頼む」
何か役に立たなければ、暴力を振るわれていたのだろう。牢屋では無く、鉱山の様な日陰になる場所で重労働をさせられていた可能性も否めない。
習慣付いてしまったものを無理に拭い去る事は出来ない。ルクスエは、無理をさせない程度に、怪我をさせない様に、丁寧に扱う必要のある品を運ぶように頼んだ。
「今日の所は、家の中へ運ぶだけで良い。明日、改めて整理をしよう」
「はい。わかりました」
青年は直ぐに了承してくれた。
ルクスエはアレクアを竜小屋に戻し、荷車から荷物を下ろし始める。毛布や絨毯はルクスエが運び、定位置へ敷いて行く。青年は食器類を丁寧に運び、竈のある台所の周囲まで運んだ。
荷物を取りにルクスエが出て行っている間に、家の中を見て回ったのだろう。青年はまるで昔から住んでいたかのように、迷いなく室内を移動していく。
記憶力の良さに感心をしたが、褒めれば嫌な記憶を引き出させてしまいそうで、ルクスエは黙って自分の作業を行った。
「何か食べたいものはあるか?」
「特にはありません」
「苦手な食材は?」
「大抵のものは、食べられます」
「それは助かる。頑張って作るから、楽しみにしていてくれ」
ルクスエは笑顔でそう言って、お茶を淹れ直し、食事の支度を始める。
「さて……」
木製の机の上に食材とまな板、包丁を並べ、ルクスエは何を作ろうか考える。
沢山料理を食べて欲しい。本来は結婚式だったので、贅沢するのも悪くない。しかし、彼の痩せた体には負担になってしまう。
自分の時はどうだったか。記憶を手繰り寄せるうちに、初めて食べた料理は温かく薄味のスープだったのをルクスエは思い出した。
いつだったか思い出話をした時に、町長は〈体が弱っている時に、腹の中に濃い味のものを入れると、余計に体調が悪くなるんだよ〉と言っていた。
それに倣い、ルクスエは丸鶏を切り分け、調理を始める。
1人暮らしだったので料理の作れる彼は、手早く進めていく。
しばらくして、
「こんな感じか」
小さく切り刻んだ根野菜と鶏の胸肉のスープが出来上がった。
自分用として、さらに香辛料で味を付けた鶏の串焼き。食材を買っている最中に、テムンから貰った小麦と塩と水で作ったパン、それと揚げ砂糖と呼ばれる菓子を皿に盛る。
揚げ砂糖とは、小麦粉、卵、蜂蜜、塩を混ぜた生地を油で揚げ、最後に砂糖をふんだんに塗した菓子だ。砂糖はこの地域では貴重な品で、祝い事にしか使用されない。無事に青年がエンテムの町へ着けた祝いとして、とテムンが取っておいてくれたのだ。
ルクスエは感謝しつつ、青年が待つ居間へと持って行く。
「出来たぞ」
料理を乗せた盆を手に、居間で待つ青年の元へとルクスエは戻って来た。
「温かいうちに、食べてくれ」
匙とスープの入った陶器の椀を青年へと手渡す。
「いただきます」
青年は匙を使い、スープを慎重に一口飲んだ。
「口に合っただろうか?」
「はい。美味しいです」
「よかった」
ルクスエが微笑むと、青年は僅かに目線を逸らした。青年の表情は、アレクアを見た時に比べれば、まだまだ緊張が解けていない様子だ。
けれどもう一口スープを飲んだのを見て、ちゃんと食欲がある事が分かり、ルクスエは安心をした。
「俺も食うかな」
ルクスエは串焼きに齧り付いた。
香ばしく焼き上がった鶏肉は柔らかく、肉汁の旨味と香辛料の辛みが良く合っている。優しい塩加減のスープのお陰で口の中が油っぽくなり過ぎずない。
今日も美味しく出来上がったとルクスエは、自画自賛をする。
三本目の串焼きを食べようとした時、ルクスエは青年の様子をちらりと確認する。
ろくに食事を与えられなかった彼は、その少ない量を大事に少しずつ食べていたのだろう。それが癖となり、今ようやく椀一杯のスープが空になった。
「スープのおかわりは?」
「あ、その、い、いただきます……」
問いかけると、遠慮がちに青年は応えてくれた。
料理を食べてもらえる喜びを感じつつ、空の椀を受け取ったルクスエは小鍋からスープを注ぎ入れた。
「あなたの呼び名についてだが」
椀を渡す際、ルクスエは話題を青年に振った。
村では何と呼ばれていたか。ルクスエは訊こうと思ったが、酷い待遇であった村に縛られるのは良くないと考え直す。
「家を出ている時に、色々と考えさせてもらった。何か希望はあるか?」
「特にはありません。あなたが呼びやすければ、それだけで充分です」
椀に満たされたスープへと目線を落とした青年の顔は、被っている布によって隠れてしまった。
名前を奪うかのように忌み子と罵られ続ければ、希望なんて作れるはずが無い。失言をしてしまったと後悔しながらも、ルクスエはそれを打開する。
「そうか。それなら、カルアにしよう」
「カルア?」
不思議な音に興味を示したのか、青年は顔を上げた。
「古い言葉で、雨を意味する。あなたに多くの祝福が降り注ぐように、願いを込めさせてもらった」
かつて両親達と一緒に、各地を点々と回っていた頃に、教えてもらった言葉だ。両親は不思議なその古い言葉を使い、ルクスエに共通語と同じように喋れるように教育した。
なぜ熱心に教育していながら捨てたのか。出来が悪かったから捨てられたのか。そんな事をふと思い、時間と共に忘れる。それを幾度も繰り返していた。
「どうだろうか?」
青年は何かを言おうとしたが、口を噤んだ。
感情が追い付かず、言葉が見つからない時は噤んでしまう癖があるのだろう。
「気に入らないのなら、候補が幾つかあるぞ」
「いえ……私なんかに、勿体ないと思っただけ、です」
青年はそう言って、再びスープで満たされた椀へと目線を下げた。
「そんな事は無いさ。俺は、あなたに似合っていると思う」
「ありがとう、ございます」
「少しずつ慣れれば良い」
「……はい」
顔はさらに下を向き、布で顔は完全に隠れてしまったが、カルアはきちんと応えてくれた。
「カルア。料理が冷める前に食べようか」
「はい」
その後、カルアはスープを合計二杯と揚げ砂糖一個を食べて食事を終えた。ほとんどの料理はルクスエの胃袋へと入った。
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