第5話
新品のシャツと灰色のズボン、紺色の羽織物に布製のベルトと男性ものの服に着替え、頭に布を被った青年の元へ、ルクスエがやって来た。
彼もまた着替えを済ませ、竜の鱗の首飾りは14枚の鱗が輝く二重のみになり、少しくたびれたシャツにズボン、緑一色の羽織物を着ている。
「さっぱりしたかい?」
「は、はい。ありがとうございました」
ルクスエは、下を向いてしまった青年の背格好を確認する。
青年は身長こそルクスエと大差ないが、体格があまりに違う。ルクスエの寸法では彼には大きく、袖は2回程捲られ、腰のベルトは細すぎる彼の体では意味を成していない。
すぐにでも、新しい服を買わなければ。
「お茶を淹れたから、居間で一息つかないか?」
着替えや風呂の用具以外にも、ルクスエが小屋を使い始める以前から置いてある鍋や茶器などの共用の物品、休憩用に茶葉とクルミやドライフルーツも残してある。
こうなるとは予想もしなかったルクスエだが、備えて置いて良かったと思った。
「わざわざ、私なんかの為に……」
「これから俺は外に用がある。もてなすべき相手に留守番をお願いするのだから、これくらいやって当然だ」
2人は靴を脱ぎ、居間へと移動する。本来は絨毯や座布団が置かれた憩いの場であるが、今は片付けられ、冷たい床だけの空間となり果てている。ルクスエは二階に置かれていた使い古された毛布を持って来ると、正方形に畳み、座布団代わりに座る様に青年に促した。
「お茶を持ってくるから、待っていてくれ」
「はい」
青年が大人しく毛布の上に座っていると、ルクスエが盆を持って戻って来た。
盆の上には、白地に紺の紋様と赤い花柄が映える茶器と、クルミの乗った皿が置かれている。ルクスエは急須から茶碗へとお茶を注ぎ入れ、青年へと渡した。
「あなたの着ていた服だが、捨てても良いだろうか?」
「……はい。お願いいたします」
青年は温かいお茶を飲むのが久しいのか、口を付けるのを躊躇い、冷めるまで暖を取る様に茶碗を両手で覆った。
「装飾品は錆を落として、一部のものは部品を変えれば使えると思う。のちほど、俺が細工師の元へ持って行く」
ルクスエは竜の牙で作った小刀を使い、クルミを器用に割っていく。
「あの……私はお金を所持していません」
「それ位は、俺が出す。家畜は持っていないが、竜の素材で儲かっているんだ」
そう言って、ルクスエはクルミを一粒口に放り込んだ。
家畜の肉は食糧に、皮等は生活必需品となる。牛であれば畑の耕起に、ロバやラクダは乳だけでなく、物資の運搬にも役立つ。馬と走竜は特に人々の足として重宝される。管理は大変だが、繁殖させ、数を増やせばそれだけ財産が増える。
ルクスエの場合、家畜の立場を担うのが竜だ。町では、討伐した人たちが竜を解体し、売る事が許されている。ルクスエは度々1人で討伐に成功しているので、取り分が大きいのだ。
食物連鎖の頂点に立つ竜は、討伐が難しい分、得られる部位は希少性があり、高く売れる。肉と臓器は食糧になるだけでなく漢方にも使え、骨や牙は道具や武器、鱗は装飾品や防具に使える。竜の部位の高で特に希少とされるのが〈心臓〉と、綺麗に生え揃った中で唯一逆向きに生える〈逆鱗〉、そして数百年生きた個体の体内でのみ生成される〈竜玉〉だ。心臓は漢方や珍味として、竜玉はお香や呪いの道具として、逆鱗は強者の証として、金持ちがこぞって欲する。
ルクスエの首飾りに付けられている計14枚の鱗は、全て大型の竜種の〈逆鱗〉だ。その中には、一枚でも売れば家を建てても大金のお釣りが返って来るものもある。金持ちのように思えるが、竜の中にも希少性があり、種類によって値段に大きな差がある。また、町を毎日襲いに来るわけではない。半年なにも稼ぎがない時もある。その時には狐や山羊を狩猟し食つなぐが、ルクスエにとって首飾りは強さの象徴であり、いざという時の財産なのだ。
幸い、ラダンの村へ向かう2週間前に、エンテムの周囲に飛来した竜を討伐していたので、持ち金は多い。2人暮らしになっても、2ヵ月は食っていける。
「もし何か欲しいものがあったら、言ってくれ」
「なにも……」
殻から取り出したクルミの乗った皿を見ながら、青年は小さく首を振った。
「今は無くとも、これから必要なものが出てくるかもしれない」
「……はい。わかりました」
自分自身を蔑んでしまっているが、何気ない仕草の節々に教養が見え隠れしている。
走竜に対する接し方や、道具を使っての体の洗い方、金銭のやり取りなど牢に居ては身に付かないものだ。茶碗の持ち方も、とても丁寧であり、慣れを感じた。
過去を掘り返そうとは思わない。しかし、青年がどんな人なのかルクスエは気になった。
「さてと……」
ルクスエは茶を飲み干すと、立ち上がる。
「日が暮れないうちに、新居に置いて来た絨毯や座布団を取りに戻らないといけない。それに、町の人へあなたの処遇について伝えて、謝罪と祝い金を返して……あぁ、今夜の夕食の食材も、買いに行かないといけない」
この家に現在残っているのは、共用の出来る品のみだ。遮蔽物の少ない乾燥したこの地域は、夜になれば強い風が吹き、防寒は必須だ。
2人で生活する為にも、なるべく早く、住まいを整えなければいけない。
「ここで、待っていてもらえないか?」
休んでいてくれと言いたかったが、それが今の彼には出来ない気がして〈待つ〉と表現をした。
「はい」
青年は、小さく頷いてくれた。
「出来るだけ早く済ませて帰って来る」
ルクスエはそう言って、裏手に向かい、竜小屋からアレクアを出してきた。
颯爽とアレクアに乗ったルクスエは、来た道を戻り、新居になるはずだった家へと走り出す。
あっという間に小さくなる1人と1匹。やがて建物の角を曲がり、姿が見えなくなった。
家の中へと戻った青年は、ようやく呼吸が出来るかのように、大きく息を吐いた。
裏手へと続く戸へ向かう途中、居間に置いてある盆に目線が行く。茶碗に満たされたままの茶は徐々に冷め、割られ取り出されたクルミが盆の上の皿に残っている。
青年はクルミを静かに手に取り、口へと運んだ。
僅かな硬さの中に、甘みがある。久しぶりに食べるその味は、優しいものだった。
「リシタ」
青年は、裏手を望む窓から愛竜に呼びかける。
水を飲んでいたリシタは顔を上げ、黄色の瞳で真っ直ぐに青年を見つめる。
「あの人を……信じても良いのだろうか」
青年は愛おしそうに目を細め、唯一の家族に問いかける。
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