第10話

 そうして、首から刀を下げた鶴が空へ飛んでいくの見送ったヨサリは、社殿の前へ戻ってきた。


 すると、どこからか元気な話し声が聞こえてくる。


「これで全部ですか?」

「助かったわ、ありがとね!」

「いえ~!」


 聞き覚えのある声だった。


 ヨサリは、参道の脇、社殿と神門の間に建つ社務所の屋根にひょいと飛び乗って、その出所を見下ろす。


 社務所の裏手。裏庭を挟んだ、少し奥まったところにある倉庫らしき建物の引き戸の前。そこに、積まれた段ボール箱と二人の男がいた。


 一人は見慣れた、白茶色のふわふわ頭。ハルだ。


 もう一人はというと、栗色の短髪に千鳥柄の手ぬぐいを巻き、紺の作務衣を着た、いかにも神主といった風貌の小柄な男だった。


 二人の会話から察するに、作務衣の男が荷物を運んでいたところにハルが通りかかり、手伝って一緒に運んだということのようだ。思えば、ここへ来た時、社務所の前に置かれた段ボール箱を見た覚えがある。


 筋肉痛だと言っていたのに、頑張るではないか。


 そう感心していると、裏庭とは反対側、社務所の玄関の方からカラカラと引き戸の開く音がする。


 出てきたのは、ゆったりとした紺のトレーナーを着た、若い女だった。


 ぶかぶかのつっかけサンダルで一歩進んでは首を左右に振り、また一歩進んでは辺りをキョロキョロと見回して。その度、肩の高さで切り揃えられた、癖のない真っ直ぐで艶やかな黒髪が、サラリサラリと悩ましげに揺れている。


 と、そこへ、裏庭から参道の方へと戻ってきたハルが顔を出した。


「あっ、こんにちは! お参りさせてもらってます!」

「どうも。……あの、ここにあった段ボール箱、知らない?」

「あぁ、それなら、作務衣を着た男の人が……あっ、名前聞きそびれたな……。あぁと、とにかく、その人が倉庫まで運んでましたよ」


 裏庭の方を指差しながら「俺も手伝って……」と言いかけて、止まる。


 ハルを見つめていた女の切れ長な目が、みるみるうちに見開かれていくことに気付いたのだ。


「うちの神社、作務衣姿の幽霊が出るらしいんだけど」

「えっ」

「誰も見てないところで手伝ってくれてるみたいで、いつの間にか仕事が終わってることがあるの」

「あっ」


 ハルが弾かれたように振り返って、裏庭の奥、倉庫の引き戸の前へ視線を向ける。

 そこには、段ボール箱が積まれているだけ。……人の姿はどこにもない。


「……あなた、見えるんだ?」

「あ、あぁ~……。はい、見えます……」


 たちまち目を輝かせた女に、ハルは天を仰ぎ、それから降参と言わんばかりに両手を上げた。


 ……迂闊うかつな奴め。




 蓮見はすみと名乗った女は、ハルが幽霊を見たと知るやいなや「作務衣姿の幽霊を絵に描いてほしい」と頼み込んできた。


 じぃっと見上げてくる期待の眼差しに、ハルはあっさり押し負けたようで。


 そういう訳でヨサリは、裏庭に面した社務所の掃き出し窓がよく見える、向かいの倉庫の屋根で胡座をかいていた。


 開け放たれ、風に揺れる白いカーテンの向こうに見えるのは、応接間らしき部屋の床の間と淡い緑色の畳。中央に置かれた座卓で黙々と鉛筆を走らせているハルと、その手元を食い入るように見つめている蓮見だ。


 ハルが応接間へ通され、紙と鉛筆が置かれた座卓の前に座らされてから、しばらく経った頃。


 ハルは、正座していた足を少し崩し、首を傾げながら鉛筆を置いた。


「ん~……多分、こんな感じ……?」

「見せて」


 差し出された蓮見の手に、ハルが似顔絵の描かれた紙を渡す。


 当然、どんなものが描かれているのか、ヨサリからは見えない。それでも、花がほころぶように明るくなっていく蓮見の表情を見れば、その出来映えは想像に難くなかった。


「……すごい。生きてるみたい」


 ぽつりと蓮見が言った。


「実は、父さんとか他の神社の人とか、作務衣姿の幽霊を見たっていう人は、たまにいるんだ。でも、みんな遠目に見たとか、チラッとだけ見たとか……。描いてってお願いしても、何というか、その……苦労してて。だから、ここまでちゃんと姿が見えてて、分かりやすい似顔絵を描いてくれた人は、初めて」

「へへ~、お役に立てて何よりです。俺、これでも美術部員なので」


 似顔絵から目をらさないままの蓮見に、ハルはフニャリと口角を上げて、右手の親指を立ててみせる。


 それから「挨拶しそびれちゃってたんですけど」と前置きして、相楽澄玄さがらすみはるという名前と、北城大学の一年生で美術部に所属していることを伝えた。ついでに「ハルって呼んでください」とも。


 すると、蓮見はハッと顔を上げて、目をパチクリさせた。


「そうだったの? わたしも北城大学に通ってるの」

「えっ?」

「人文学部の二年生」

「おぉ、すごい偶然!」


 はしゃいだ声で言ったハルにつられて、蓮見の表情も柔らかくなる。


 そうして再び似顔絵に目を落とすと、その表情はさらに笑みを深めた。


「ありがとう、ハルくん。大事にするね」

「いえいえ。……いつか、会えるといいっすねぇ」

「そうだね」


 うなずいた蓮見が、窓の外へと視線を向ける。


 切れ長の黒い瞳が、思いを馳せるように空を――倉庫の屋根の上にいるヨサリの方を見ている。


 ――ほんの一瞬、目が合ったような気がした。


「……?」


 ヨサリは思わず、首を後ろを撫でさする。


 ……いや、まさか。幽霊が見えないからこそ、ハルに似顔絵を描いてくれと頼んだのだろう。


 そう考えている間にも、蓮見の瞳は、さも逡巡の間だったかのような振る舞いでハルへと向き直っていた。うつむきがちに目を伏せると、座卓の上で手を組みながら言う。


「……ハルくんさえ良ければなんだけど。その『見える』目を見込んで、もう一つ、付き合ってくれないかな?」

「? 全然いいですよ。何するんスか?」

「一緒に、死に場所を探してほしいの」

「…………え?」


 首の後ろの手が、ピタリと止まる。


 見下ろす先の応接間の空気も、ピタリと止まっている。


 遠くから、チチ、と鳥の声が聞こえた。


 掃き出し窓に風が吹き込んで、舞い上がったカーテンがカラリと音を立てた。


 ……それから、しばらくの静寂の後。


「そ……それはぁ……心中のお誘い、でしょうか……?」


 首を絞められたかのような、弱々しいハルの声。


 途端、しまったと言わんばかりに、蓮見が片手で口元を隠した。


「あ、ごめん。違くて」


 首を横に振りながら、蓮見は少し早口で言う。


「わたしのじゃなくて、母の。……わたしが子供だった頃行方不明になった母が最期にいた場所を、一緒に探してほしいの」


 聞けば、話はこうだった。


 蓮見の母親は、彼女が小学生になったばかりの頃、行方不明になった。


 その年の夏休み、蓮見が両親と三人で訪れた、美鷹山の裾野にある道の駅「やまさち」。


 そこでは、駐車場の一角に多くの屋台とキッチンカーが並んでいて、炎天下にも関わらず長蛇の列が出来るほど賑わっていた。確か、夏らしい催し物が行われていたのだったか。


 まだ幼かった蓮見も、そこで売られていたクレープを食べたい、と指を差した。しかし、その行列を見かねたのだろう、冷房の効いた直売所コーナー脇のベンチに蓮見と父を残し「私が買ってくるから、二人はここで待っててね」と言って駐車場へと向かって……そのまま帰ってこなかったのだ。


 当然、駐車場からその周辺に至るまで捜索が行われたが、所持品や靴が見つかっただけで発見には至らず。まるで神隠しにでも遭ったかのように、蓮見の母は忽然と姿を消していた。結局、失踪として扱われ、未だ行方不明となっている。


 だがある時、蓮見は直感したという。


「母は死んだのだ」と。


 以来、せめて母の死に場所はどこなのか――どこに花を手向けたらいいのか知りたい、と願い続けていたのだという。


「ずっと後悔してるんだ。私がクレープ食べたいだなんて言わなければ、もしかしたら、母は……。だから、ずっと謝りたくて、『ごめんなさい』って言って花を手向けたいの」


 そこまで話を聞いたハルは、難しい顔をして腕を組んだ。


「それは……そういうことなら、喜んで力になります。けど……でも、死に場所なんて、どうやって探すんですか?」

「大丈夫。手掛かりがあるの。……これは、わたしが『母は死んだんだ』って思った理由でもあるんだけど」


 そう言うと、蓮見はトレーナーのポケットからスマートフォンを取り出した。


 その画面を何度か操作すると、座卓の上へ置いてハルの前へ差し出す。


「これ、当時のガラケーの画面を直撮りしたやつだから、ちょっと見辛いんだけど……分かる?」

「ええと……『もう戻れない。ここには来ちゃ駄目。黒い卒塔婆そとばには近付かないで』?」


 じっと画面を覗き込んだハルに、蓮見がうなずく。


「うん。母がいなくなった日の夜に、このメールが届いたの。携帯は、もう警察の人が見つけてたから、送れるはずないのにね。……わたしは、遺言だと思ってる」


 淡々とした口調で言われた、重たい言葉。


 顔を上げたハルは、息を呑んだような表情をしていた。


「……実は母、色々見えたり感じたりする……その、いわゆる霊感体質で。だから、どこかで死んじゃった後、それでもわたしに何か伝えようとして、メールを残してくれたのかなって」

「なるほど……」

「そういうことだから……ハルくんには、わたしと一緒に美鷹山の道の駅『やまさち』に行って、黒い卒塔婆が見えるところを探してほしいの。そこがきっと、母の死に場所だから」


 蓮見は真っ直ぐにハルを見つめながら、静かな、だが芯のある声で言った。それから「勿論近付いちゃ駄目だよ」と念を押す。


 ……それにしても、また美鷹山か。


 先日のキャンプといい、今回の件といい、いやに縁がある。何事も無ければいいが。


 ハルは神妙な顔でうなずいたかと思えば、たちまち気合に満ちあふれた笑顔を浮かべた。


「分かりました、行きましょう! 任せてください!」


 両の拳をぐっと握り、天へと掲げてみせるハル。ヨサリの胸中にある不安など、欠片も考えていなさそうである。


 が、その笑顔はたちまち引っ込んで、苦々しい表情が浮かんだ。


「……あっ。すみません、それ、明日でも大丈夫ですかね」


 まだ伸びきっていなかった腕が下ろされ、そっと腹を撫でる。


 たちまち、蓮見がサァっと青ざめた。


「……っごめん。変なことばかり言って。やっぱり」

「いえっ、違っ、待って、待ってください。そうじゃないんスよ! ……イッテ?!」


 うつむいた蓮見に、ハルが慌てて腰を上げ――ようとしてバランスを崩し、座布団の上を転がり、そのままコロコロと畳の上をのたうちまわる。


「うぅ…………その……俺、今、めっちゃ筋肉痛で……沢山歩くのは、ちょっと……。正直、今も正座がキツ……」

「……」


 右手で腹を、左手で足の先を押さえながら、情けない声を上げて仰向けに転がるハル。


 それを見た蓮見は、フフッと吹き出して気の抜けた笑みを浮かべた。


「そうなんだ。じゃあ、今日は安静にしてなきゃね」

「はいぃ……そうさせてもらえると、助かります……」


 つられるように、ハルも涙目になりながらフニャリと微笑む。


 そうして二人は「明日、昼前に神社集合ね」と約束して、この日は別れたのだった。

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