2-5 商店街の定理 ~決勝 北海の白狼・鶴川朱麻里戦~(前編)
決勝が迫っている。
(姉ちゃん……ってことは、相手は
「へぇ、そんなに優勝候補、強い……?」
明智が思わず誰に向けてでもなく呟く。
「あぁ、やべぇぞ……ほら、あそこに陣取って涼しい顔してる姉ちゃんだよ。将棋で三段認定の俺が言うんだ、あんた、多分負けるよ」
男の指さす先には、確かに細身でそれなりの美人と思われる若い女が涼しい表情で堂々と座っていた。
「ふぅん……なるほどねぇ、ユーさぁ、丁度涼しい場所取ってるわけだ 。あのさぁ……ヒデト来たよ。そっちから来ないからさ……決勝の相手で合ってる……合ってない? アイザックとか、ガリレオとか呼ばれてない?」
「えぇ、間違いないですよ。
よく通る凛とした声の決勝の相手はまだ20代前半から半ばであろう若い女で、協会に名を連ねていない相手だった。
ちなみに準々決勝の村上、準決勝の影山は一応会員である。
<えぇ……決勝は意外な組み合わせです! まず破竹の勢いで優勝候補を次々と打ち負かしている明智ヒデト五段、そして、対するは都内で介護士をしているという、北海の白狼、鶴川朱麻里選手! ここまで明智五段ほどではないですが、かなりの強敵を潰しているにも関わらず非会員! ダークホースと言えます!>
明智は相手をよく観察した。
座っているので背丈はっきりとは分からないが、座高は明智よりも高く威圧感を感じる。黒のボブカットで白色のメッシュを両側に入れ、眼は切れ長でありながらぱっちりとしており、目尻と唇に薄い紅を塗っている。
口元の左側のホクロが味を出している。
白と灰を基調としたベストツーピースの上下に、広い肩幅と締め付けてあるのか薄い胸をしており、まさに大会に相応しい邪魔になるものが一切無い姿。
両手の爪も薄金色に染められ、無駄のない長さだ。
「ヒデト思うんだけど……送風の位置とか、ユーの方で計算してる……してない?」
「はい、私、無駄なものや邪魔するものは嫌いなんで」
<鶴川選手はですね、見てのとおりの端麗な美人。北海道の旭川市出身らしく、狼をイメージしたような強そうでいて優しそうな雰囲気をしていますよね。これまで、竹ノ塚大会、東青梅大会、式根島大会でも優勝経験があります! しかし残念ながら非会員だ!>
「あとヒデト思うんだけど……実況うるさい……うるさくない? それとさ、やたら会員に入れってさりげなく勧誘しちゃってない? ……早く始めない?」
「えぇ、うるさいですよね。邪魔とかも嫌いなんで。こういうのって、個人情報とか入ってるし、どこで調べてるんでしょう。会員にもなるつもりはありませんから。さあ、ジャンケンを」
結果、明智が勝ち、朱麻里が後攻ということで決まった。
チェスクロックの音が鳴り響く。残り120秒。朱麻里は髪で隠して見えない表情のまま、淡々と駒を箱の中に詰めていく。それは少女が細工遊びをするような繊細な動きであったが――
ドン……!
「”
それは王や玉が見えないほど周囲の全ての駒が斜めになって重なり合っている二段構えの「山」だった。その角度というのもなかなかに際どいもので、一歩間違えれば上級者でも崩れてしまうだろう。
「チャランケ……何、それ? ヒデトさ、物理の用語でも聞かないけど……」
「アイヌの言葉で「徹底討論」みたいな意味です……詳しくは、知らんけど」
<”
余裕で不安定な「山」は5秒を経過した。手を伸ばす明智。エアコンの空気は無情にも明智の背中側から、朱麻里の身体の方へと向かっていく。つまり手前側に引きにくいということだ。
「ヒデト思うんだけど……ガール、「
「ガ、ガールって…… どうって言われましても……そう思いたければ思えば良いじゃないですか……さっさと指さないと、負けますよ?」
「あと思うんだけど……ガール、座高凄くない……座高凄いって言われない?」
「あの……今、私怒らせる意味って……あります? 時間、切れますよ……あと私も」
明智は最も角度の低い駒を狙ってそれを素早く慣性の法則で擦って盤外に落とす。
1ターン目 先手 明智ヒデト:歩 1点
1ターン目 後手 鶴川朱麻里:0点
「……”
朱麻里の眼は既に決まった位置を狙っていたようで、素早く腕を突き出し、細く10cmはあろうかという中指で二段目から一段目に向けて駒を素早く音を立てずに落とし、一段目の駒を途中で切り離すことで、確実に取得していく。そしてプラチナムチャランケの二段目の角が朱麻里の手に渡り、一段目の歩が静かに盤上に取り残されていた。10秒を経過したのを待ち、チェスクロックが押される。
<インカルシュペ入りました! 鶴川選手、意味が分からないけどとにかく凄い! あの明智五段を相手に角をゲットォ! そして浮き駒として残されたのは歩のみ……!>
館内のギャラリーたちはすっかり世紀の一戦に魅入られていた。
「「朱麻里! 朱麻里!」」
浮浪者や老人のような先ほどとは変わった層の数人の応援団が、朱麻里の応援を突然始めた。
どうやら外見や所作ではそれなりに惹きつける力のある女らしい。
1ターン目 後手 鶴川朱麻里:角 5点
2ターン目 先手 明智ヒデト:歩 1点
「ガール……旭川市って安全地帯ってバンドで有名。そしてこの歩はまさに安全地帯にいる……この意味、分かる……分からない?」
「……いいえ、ぜーんぜん」
朱麻里が嫌味のこもった表情と声で返す。
「そう……なんの意味もない。ヒデト思い付きで言っただけ……でもさぁ……」
明智はその歩をスッと薬指で横に投げやりに落としていった。
2ターン目 先手 明智ヒデト:歩2 2点
2ターン目 後手 鶴川朱麻里:角 5点
「こうやっていつでもヒデト獲れる……つまりこの盤上は既にヒデトのものってこと……オーライ?」
「へぇー、それが口だけじゃないと良いんですけど……?」
朱麻里の手番、既に獲る駒が決まっていたかのごとく、シマフクロウの滑空のように静かに、飛を先ほどと同じようにインカルシュペ戦法で歩を土台にして獲得していった。
2ターン目 後手 鶴川朱麻里:飛角 10点
3ターン目 先手 明智ヒデト:歩2 2点
<鶴川選手、再び危なげもなくインカルシュペを決めてこれで10点。そして盤上には歩、これでは明智選手との距離はどんどん引き離されていきます! もう勝負あったかー?!>
「フィー……へぇ、ガール、やるじゃん」
明智が左手でフレミングのポーズを取りながら、涼し気な顔で唇から掠れた音を鳴らす。
つまり、明智は口笛が吹けないのだ。
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